■家族の灯
スーパーの袋を手に提げ、俺は昼方の住宅街を歩いた。頼まれ事とはいえ、これだけ大量の材料を買い揃えたのは初めてかもしれない。まぁ普段は食費をギリギリ切り詰めてどうにか遣り繰りしてるから、そもそもこんなに買うこと自体ほぼ有り得ねーし。
入り組んだ路地をあちこち曲がって、たまの坂道に辟易しながら目的の場所へ向かう。距離的には、ウチから大学ぐらいまでっぽいか。そりゃこんだけ遠けりゃ、あんだけの兄弟を抱えてスーパーに行くなんて至難の業に違いない。
初夏の茹だるような暑さを頭上に感じる。汗を拭いつつ小さめの公園の角を曲がれば、ようやく目的の一軒家に辿り着く。ひしゃげた窓枠、日に焼けた漆喰の壁、風雨で浸食された瓦屋根。見た目からも分かるような、古めかしい長屋。念のため端末で住所を確認して……ああ、ここで大丈夫っぽいな。
近くまで寄ると、中から賑やかな音が聞こえてきた。見るからに建付けの悪そうな引き戸の前に立ち呼び鈴を鳴らせば、どたどたと重そうな足音が玄関までやってくる。手間取ってる様子が窺えたので、代わりに俺が引き戸を引いた。中にいた糸目の熊と、目が合う。
「おにーちゃんこの人だれ」
「だれー」
熊にまとわりついていた子供たちが俺を見上げて、口々に声を上げた。微笑ましさに無意識に口角を上げながら、熊目掛け買ってきたものを高らかに掲げる。
「来たぜ、睦樹」
「あーもう、ホントありがと泰利……」
◆
「いやー、マジでありがとうね。引き受けてくれて……」
「いいって、ちょうど予定空いてたし」
台所で支度を進める俺の視界の端で、睦樹が俺に群がろうとする弟たちを制止しながら言った。その奥では遊星が、疲労困憊のせいか屍のように物言わず居間に横たわっていた。辛うじて揺れる尻尾ですら、弟のうちの一人に弄り回されている。
「ゆーせー寝てる」
「起きろゆーせー」
「おーきーろー」
ぺしぺしと頭を叩く音がする。今度は遊星に群がり始める弟たちを再び制止して、睦樹は俺のほうを見る。
「遊星、レポート徹夜で間に合わせて来てくれてたんだけどさ」
「ねみーって言って寝ちゃった」
「やすとし遊んでよー」
「こらこら、泰利お兄ちゃんは今から夕飯作ってくれるんだから」
夕飯と聞いた子供たちは、俄かに騒ぎ始める。“お兄ちゃん”という響きにどこか照れ臭さを感じつつも、賑やかな声を背に袋をテーブルに置いた。一番大きい弟に場を一任して、睦樹もふらふらと台所へやってくる。
「マジ元気だな、みんな」
「夏休み近くなるといつもこうなんだよ。入っちゃえば遊び疲れて逆に静かなんだけど」
「はは、いいじゃねーか賑やかで」
「そういや泰利は。兄弟とかいるの」
「あー……いや、いねーよ、全然」
「欲しいって思ったことは」
「んー、どうだろうな」
笑ってはぐらかしつつも、流しの水を止めふと思案する。兄弟なんて、そういえば考えたこともなかったな。悟とも、善人や大智とも、そういう話をしなかったせいもあるけれど。『家族』という響きにあまりに馴染みがない。だからなのか、意図せず口が開く。
「……どんな感じ」
「え」
「いや、兄弟いるってどんな感じなんかなーって」
「うーん、どんな感じ、かぁ」
買ってきたものを整理しながら、睦樹は首を捻る。その様子を見てようやく、自分が変な質問をしたことに気付いた。これだから家族関連の話題はちょっと苦手だ。どういう話をすればいいのか分からなくて。
「どうだろ、あんまり意識したことないな」
「そりゃそうか」
「気付いたら兄弟に囲まれてたみたいな感じだからなー」
「大変そうだよな、マジで。子供の面倒見た経験ねーから、想像でしかねーけど」
「そうだねー。まぁ色んな人に助けてもらって、どうにかやってるよ」
弟たちに群がられてる遊星のほうを見て、睦樹は笑う。両親は共働きで、今はどちらも出張中。いつも来てくれる彼女さんは、課題提出期限が近いから呼ぶのを躊躇。遊星は来てくれたはいいがダウン。俺にヘルプの連絡が来たのもそういう経緯によってだった。
「突然呼んでホント、ごめん。料理できそうな人っていったら、泰利しか思いつかなくて」
「あれ、睦樹はしねーの」
「いやその、一応、するけど……」
「兄ちゃんのマズいもん」
「そー、塩と砂糖間違えるし」
「あーもー、そっちで静かに待ってなって」
顔を出してきた弟たちを諫めて今に続く戸を閉めると、睦樹は溜め息をついて苦笑いを浮かべた。それを見て、思わずニヤついてしまう。正直意外だ。睦樹、なんでもできそうな雰囲気醸し出してるのに。睦樹が恥ずかしげに笑ったのに合わせ、こっちも得意げに笑う。
「ま、頼まれたからにはきっちり仕事してやんぜ」
「ホント助かる……」
持参したエプロンと三角巾をつけ、食材を台所に並べる。白米は言っておいた通り既に炊いておいてくれたらしい。手伝いを申し出た睦樹に居間で待ってるよう説き伏せて、ヨシと腕を捲った。戻りがけ、睦樹が尋ねる。
「そういや何作るの、泰利」
「そりゃー当然、出来てからのお楽しみってやつ」
◆
「すげーっ」
「カラアゲだぁ」
大皿に山盛りにされた唐揚げを見て、子熊たちは口々に歓喜の声を上げた。食卓を綺麗に取り囲んだ八人が一斉に料理を覗き込む光景はなかなかに壮観で、突発的ながら料理人役としては喜ぶほかない。ニヤつく頬を抑え、もうひとつ大皿を出す。
「炒飯もあんぜ、ほら」
「うおー」
「おいしそー」
「あ、こら、ちゃんと挨拶してから食べるんだぞ」
はーい、という元気のいい返事と、いただきます、という揃った掛け声。食卓に花が咲いたような。夕刻の薄暗かった室内に、パッと明かりが灯ったような。妙な感覚に襲われている間に、出したばかりの料理が次から次へと子供らの口に消えていく。
「うんめぇ」
「おいしー」
「兄ちゃんのよりうまい」
「いや、母ちゃんのよりうまいかも」
「あー、それ、俺の取ろうとしてたやつー」
「そっちこそ、チャーハンの肉取りすぎだろおまえー」
「もー、黙って食べなって」
賑やかを通り越して、ひたすらに騒がしい食卓。エプロンと三角巾を外し、その輪の隅っこに紛れ込んだ俺は、あまり覚えのない感情に包まれて不意に困惑する。
張り替えられた畳のにおい。キャラクターシールの貼られたガラス戸。破れてそのままの襖。大家族には狭い居間に流れる、他愛のない時間。柚子原家にとってのいつも通りの日常が、俺にはどこか新鮮で。
「あれ泰利、食べないの」
「……ん、ああ、腹ペコの奴らが食い終わってからな」
「いやでも、さっさと食べないと」
「なー、もうないよー」
「唐揚げなくなっちゃった」
マジか、と思わず感嘆の声が出る。食事風景を眺めてる間に、いつの間にか皿を平らげてしまったらしい。綺麗になくなった大皿の傍ら、大盛りにして持ってきた炒飯も既に虫の息と化していた。あちゃーと言いたげな睦樹の顔を尻目に、俺は尻尾を振る。
「いい食いっぷりだなー、はっは」
「やすにいのカラアゲうまかった」
「もっと食いたーい」
「おーそうかそうか、へへ」
こんだけ早く減ったのは予想外だったが、念のため準備しておいてよかった。“やすにい”呼びにすっかり頬を緩ませて立ち上がり、台所に白熱電球で保温しておいた大皿を持ってきて食卓に乗せる。再び現れた山盛りの唐揚げに色めく喚声。そして殊更得意げになる俺。
「うわ泰利、準備してたの」
「まあな、炒飯も第二陣あるから安心しろって」
驚く睦樹をよそに、弟たちは一目散に皿に群がり始めた。一応食べやすいように一口サイズぐらいに切ってはおいたが、誤嚥しないか見てて心配だ。こう食べっぷりがいいと、作ってる側としては嬉しいに越したことはないんだけどさ。
食べ盛りの子供たちが自分の料理にがっついているのを、不思議な気持ちになって見つめる。普段の飯づくりでこんな大量に作ること自体経験がないから、ぶっちゃけそのせいでこういう変な感情になるのかと思ったけど。
一家団欒って、こういう感じなんだろうか。テーブルを囲んで、みんなでご飯をつつき合って、テレビがついていることすら忘れるくらい騒がしくて。
無意識に、暗い部屋で過ごしたあの日々を思い出す。独り毛布に包まって、食べるものすらろくに与えられなくて、どうにもならない時間がただ過ぎ去ってくれるのを待って。
「……家族、かぁ」
「やすにい今なんか言ったー」
「どうかしたの、泰利」
「ん、いや、全然、なんも」
笑って誤魔化して、そろそろ食うかと箸を持った。流石に第三陣は用意してねーから、このままじゃ食いっぱぐれかねえし。
俺も箸を伸ばして、夕飯争いに参戦した。賑やかな子供たち、それを咎める睦樹、一向に起きる気配のない遊星。こんなに雑多で忙しない、楽しい食事時は初めてだった。