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あいつとシェアハウス 短編25


■一路青年の前進


「なあ、お前」


 あまり人の寄り付かない食堂の隅、一人席がちらほらある程度の小さな空間。そこで早めの夕食を進める俺の元へ、やたら筋肉質な白虎がやってくる。


「御仁、剣道部の……あー、羽柴、だったか」


「そうだが、お前は一体」


 白虎が坂東と名乗ったことで、ようやく思い出した。確か丹山教授のところの院生だったか、言われてみれば何度か見かけた覚えがある。


「何か用……ですか」


「あー、用っつーかなんつーか」


 あやふやな返答をした白虎は、そこらにあった椅子を適当に持ってくると、俺の隣に座り込んだ。多少面食らうこちらをよそに、虎は手にした端末に厳つい指先を這わせる。と思えば、それを俺の眼前に突きつけてきた。


「これって、お前か」


「む……」


 画面には見慣れぬ紹介ページ。何らかのアプリのもの……ということは、こういうものに疎い俺でも一応見て取れるが。訝しむべきは、そこに表示された名前が自分のものであるということだった。


「なん、ですか、これは……」


「まぁ、ゲイ用のマッチングアプリだな」


「ゲイ用、だと」


「テキトーにハウってたら出てきたんだが、お前こういうのやるタイプに見えねぇしさ」


「は、はうって……とは」


「アプリ内で検索かけたっつーアレ。ま、その様子だとお前じゃねぇんだなやっぱ」


「…………」


 無言を肯定と捉えたのか、白虎は納得したように小刻みに頷いた。己が俗世間に疎いことが却って証明になるとは、あまり喜ばしくはない。


「そりゃそうか、本名まんまで登録なんてリスキーだもんな」


「マッチング……ということは、出会いを求めてのものですよね。普通は実名でやるのでは」


「いんや、下手に身バレしたら困るかんな。大抵偽名というか、まぁ、あって愛称ぐらいにしとくのがフツーだ」


 ふむ、と鼻を鳴らした。危機回避のためという理屈は理解できる。なぜ自分の名がそこに登録されているかは非常に気掛かりなところではあるが。


「しかし雰囲気的に、なりすましってよりはタチの悪いイタズラって線が濃厚か」


「イタズラ……」


「例のウワサあったろ、お前。真に受けた奴がふざけ半分にやったんじゃねぇかって」


「…………」


 鈍い自覚こそあれど、白虎の主張の説得力については十分理解していた。部内ですらあれだけ混乱を招いたのだ、愉快がって変な行動力を見せる輩がいても不思議はない。


「お前も災難だったな。真偽はどうあれ、あれこれ巻き込まれてさ」


「…………」


「これは運営に通報しといてやっから、あんま気を揉むなよ」


 彼は俺を労うと、「邪魔したな」と立ち上がった。ふと気になった俺は、そのまま去ろうとする背中を呼び止める。


「先輩、は、ゲイ……なんですか」


「ん、ああ。というよりはバイ……いや、パンセクに近いな、俺は」


「パン……?」


「あー、つまりな、好きになった奴が好きっつーこと」


「…………」


「なんで訊くんだ、そんなこと」


 戻ってきた白虎は、再び椅子に座りこちらに向き直る。付近には誰もいない。夕刻の茜が窓から差し込んで、薄暗い辺りは柔らかな赤褐色に沈んでいる。口を開きかけ、言い淀み、思わず嘴に触れた。それでなんとなく、話さなければならない気になってくる。


「あの噂は……事実、です」


 それから俺は、ただ語った。軋んだ記憶の蓋を少しずつ開くがように。避け続け錆びついた気持ちを削ぎ落とすがように。




     ◆




 忘れもしない。奴と初めて相まみえたのは、中学生になってすぐの新人戦でのことだった。由緒正しき剣道一家に生まれ、将来の活躍を嘱望され、体躯にも才覚にも恵まれ、順当に少年剣士としての名を馳せつつあった俺の前に、そいつは現れた。


 俺より一回りほど小柄な、狼。正直なところ、幼かった俺はそいつを甘く見ていた。少し小突いて、気迫で押し切れば簡単にケリがつくだろう、などと。


 ……だが、奴は強かった。よもや打ち合いになろうと力で押し切れると考えてはいたが、それすらも拮抗したときには流石に驚いた。そして、その気の緩みが敗着だった。身軽にも一瞬で距離を取ってきた奴は、竹刀を振り上げ大きく一歩踏み込んで――。


――その日から、俺と奴は自他ともに認める好敵手になった。何の因果か同じ高校に剣道の特待生として進学し、部内でもしのぎを削り合った。


 そうやって、何度か竹刀を交わすうち。いつの間にか俺たちはよく話す仲にもなっていた。奴のほうはどう思っていたか、今となってはもう分かりはしないが。少なくとも俺に問っては、親友、と、呼べる関係だったように思う。


 それで……やがて。奴と俺の目線が、気付けば同じぐらいになっていたとある日。奴に俺の剣が鈍ったことを指摘され、ようやく俺は自分の中に見知らぬ感情が植わっていることに気付いた。


 というより、恐らく気付かぬ振りをしてきていたのだろう。剣道一家の跡取りが、同性に惚れるなど。好敵手であり親友でもある存在に、あろうことか恋情を抱くなど。あってはならない……ああ、あってはならないことだったのだ。


 しかしそれでも、奴に向ける想いを自覚してしまってから、俺の腕は無様にも鈍り続けた。己でも理解できないほどの速度で、キレも冴えも失っていった。実にくだらない、実に馬鹿らしい、そう思った。


 そんな俺を、奴は責めた。当然だろう、逆の立場だったとしたらきっと俺もそうした。何より、高め合うはずの存在が見る間に劣っていくのを、許せるはずもなかったのだから。


 言うしか、なかった。伝えるほか、なかった。処理の仕方も分からず、消し方も知らず、隠し通すこともできず。不器用に不器用を極めた己には、吐き出す以外にどうしようもなかったのだ。まぁ、無駄に誠実さを重んじた結果でもあったのだが。


 せめて、くだらないと、笑い飛ばしてくれたなら。どうでもいいと、一笑に付してくれたなら。奴にこの愚かさを説き伏せてもらえたのなら、多分俺は立ち直れただろう。


 というか、奴ならそうしてくれると思った。これほど俺のことを思ってその剣を振るってくれる奴は、これまでいやしなかったから。


 ……だが、小狡い俺の思惑を一蹴するかのごとく。お前を好いている、と伝えた俺の眼前目掛け、奴はただ呟いた。


「……きっつ」


 今なら、そう零した奴の気持ちも分かる。そのとき俺が味わった絶望を、奴もきっと味わっていたのだろう。良き理解者だと思っていた相手が、その実自身を性的対象に見ている輩だと知れた日には。


 ともあれ、その瞬間。俺と奴の関係性は、修復不可能なほどに瓦解したのだ。奴が周りにその話を吹聴する度、俺の心は荒んでいった。奴にしてみれば、周囲に言いふらしでもしなければやっていられなかったのだろうが。


 卒業までの数ヶ月は、俺にとって後悔と自戒の日々だった。全ては、己の弱さゆえ。恋だの愛だのに現を抜かし、その解消を相手に求めた俺の、しようのなさゆえ。


 大学への進学を蹴り、一年間を自罰に費やした。と言えば聞こえはいいが、実際は奴や周囲との関係を断ちたいがゆえだった。両親が俺の私事に疎かったのは幸いだったが、流石にその一年は針の筵ではあった。


 そういう経緯で俺は、この大学へやってきた。己の感情に負けるまいと。ひたすらに冷静に努めてみせると。この過ちを、絶望を、二度と味わうまいと決意して。




     ◆




「なるほどなぁ」


 俺の吐露を黙って聞いていた白虎は、こちらの言葉が途切れたのを確認するなりそう零した。朱に染まっていたはずの辺りは、知らぬ間に濃い群青の暗がりに包まれている。


「そりゃ宗谷とソリが合わねぇワケだ。真逆の生き方だもんな、お前ら」


「…………」


 どうしてこの話を、話したばかりの白虎に。今まで誰にも、丹山教授にすらしたことはなかったというのに。勢い任せに語ってしまった己を多少は恥じたが、白虎が俺の肩を叩いたことで、その気分も消え去る。


「辛かったな、色々と」


「…………」


 労いを受けたのだから、礼を言うべきなのだろうが。それでも俺が奴にした仕打ちにしてみれば、労われるべきはむしろ奴のほうではないかと思わずにはいられなかった。俺の様子を察してか否か、肩に置かれた白虎の手が少し力を帯びる。


「ま、もうちょい肩の力抜いとけって。多少隙があるほうが可愛げも出るっつーもんだ」


「そうは思う、の、ですが、なかなか……」


「堅物極めるってのも悪かないがなぁ。どんな己も受け容れてこその武道じゃねぇの」


「…………」


 俺はただ、無暗に肩肘を張って、勝手に窮屈になっていただけなのだろうか。白虎のあっけらかんとした物言いが、今はすとんと胸に落ちる。逆を言えば、それほどまでに自分の心が穴だらけになっていたことの証左なのだろう。


 中身を詰めるにはやはり、きちんと前を向くほかないのだ。軽蔑してきた己の側面と相対し……それこそ、真正面から剣を振るえるようでなければ。


 嘴に、触れる。無意識に磨いていた自分を、女々しいとすら思っていたものだが。裏を返せばこれは、続けたいからこそ続けていたのだ。あのニヤケ面の狼に対し、少しでも良き自分であれるように。アレの言葉を真に受けるぐらいには、俺も俗っぽいのだから。


「……頑張ります、俺」


 放った声は存外小さかったが、それでも近くで聞く白虎には十分に届いたようだった。いいねぇ、と唸った彼は、何か思いついたように指を鳴らす。


「ここはいっそ、試しに飛び込んでみねぇか、御仁さん」


「飛び込む、とは」


「ほら、こいつだよ、こいつ」


「な……」


 楽しげに尾をしならせた白虎は、先ほどのアプリを俺に見せつけながら笑った。

 

あいつとシェアハウス 短編25

Comments

読むのが楽しかったです!

ウート

ありがとうございます!

日永

待ってました!


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