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あいつとシェアハウス 短編24

■停電の夜


 あ、と思ったときには既に暗闇の中だった。充電中の端末の灯りだけが薄暗い室内で鈍く光っている。書きかけのレポート――教授が「手書きで出せ」とか言い出した代物――を尻目に窓の外を覗けば、一帯は一面墨をぶちまけたような黒。


「…………」


 背中の辺りに変な悪寒を感じ、着込んでいた服の上から更に安手のブランケットを羽織る。春先の夜半はよく冷えて、毛量の増えた身体にも肌寒い。こんな状況でレポートを勧める気にもなれず、俺はぐるりと上体を捻って、敷きっぱなしの布団に寝転がる。


「…………」


 心音、車通り、酔っ払いの喚き、時折軋む部屋、窓を擦る風、隣近所の話し声、微かに流れ着いてくる遠巻きな喧噪。


 こんな夜は、どうしたって思い出す。暗がりの、古びた一室。ろくに家に帰ってこない母親だったあの人を、寒さに凍えながら待ち侘びたあの日々を。


 電気のスイッチには手が届かなかった。暖房は電気代の無駄だとあの人がキレるのが怖くて、リモコンに触ったことすらなかった。だから、幼かった俺は、使い古してぼろぼろになった布団の上で毛布に包まって、ただじっと息を潜めているしかなくて。


 ……色んな出会いがあったおかげで、もう大分昔のことのように感じてはいるものの。今でも俺の根幹に植わった、不安の種と呼ぶべきナニカは消えてはいないらしい。


 仕方ないこと、とは思う。でも同時に、ひっでー話、とも思ってしまう。だって多分、世の中の大半の奴らは、こんな夜なんか知らない。ただ漠然とした淋しさだけが心を支配して、自分が淡い絵の具みたいに溶け消えていくような。


 そんな夜、なんて――。


「……ん」


――ふと、妙な音を聞いた気がした。一瞬聞き違いかとも思ったが、その音は再び静かな暗闇に転がり込んでくる。その正体に気が付いた俺は起き上がり、半ば惹かれるように玄関のドアへと歩み寄った。鍵を開ければ、がちゃりと扉が開く。


「泰利」


「……悟」


「いるなら返事しろ、何回連絡送ったと思っているんだ」


「え、あ……」


 言われるまま端末を見ると、いくつかのメッセージと着信が来ていたのが分かった。バイト中に音量をオフにしていたのを忘れてそのままにしていたから、気付かなかった。


「それとも寝てた……のか。それなら悪いことをした」


「いやいや、全然。フツーに気付かなくてさ、すまん」


 そうか、と呟いた悟は、なら構わないよな、という顔をして部屋へと上がり込んだ。そうして布団に座り込むなり、俺の手を引っ張り腕の中に抱きかかえてくる。


「あ、お、おい、悟」


「寒い」


「あ、はは……なるほど」


 冷えた身体と、震える呼気。外で少し待たせてしまったらしいな。肩にもたれかかる黒馬に申し訳なさを感じ始めたとき、突然首元を手で撫でられる。


「ひっ、つめて……って」


「ふふ」


「何すんだおま……ってか、そもそも何の用で来たんだよ」


「用がないと来たら駄目だったか」


「……そういうわけじゃねーけど」


 悪戯っぽく遊んでくる指先に同じく指を絡ませ、おもむろに握った。こういうことを臆面なくできるようになった辺り、俺も結構慣れてきたみたいだ。握り返してくる悟の手が、段々と温かくなってくる。


「…………」


「…………」


 互いの息漏れを聞きながら、頬を擦り合わせる。俺が「こうすると安心する」と言ったら、悟も率先してやってくれるようになった。そのまま布団に横たわれば、どちらともなく笑いが零れてくる。


 暗がりの中、二人。窓から覗く月明かりのせいで、なんとなく落ち着かない。それでも頬の感触に心地よさを覚えていると、不意に悟の顔が俺の胸元へと沈み込む。


「……心細かった、本当は」


「…………」


「こういう夜は……苦手なんだ。自分一人だけが、世界に置き忘れられたようで」


 搾り出すような声を耳にして、思わず「俺も」と口にした。胸の辺りが、悟の呼気でじんわりと熱を帯びていく。


「でも、良かった。お前がいて」


「俺も良かったよ、悟が来てくれて」


「いなかったら危うく、あいつらのとこまで行くところだった」


「はは。やめとこうぜ、傷の舐め合いは二人でしたほうがいいっしょ」


「……そうだな」


 どこかへ走り去る車の音、窓を撫でる風、軋む部屋、薄い喧噪、息遣い、心音。このナニカとやらとは多分、一生付き合っていかなきゃねーんだろうけど、それでも。妙に甘えたがってくる黒馬の頭を撫でながら、少し誇らしい気分になる。


 だって多分、世の中の大半の奴らは……こんな夜なんか知らない、だろ?


あいつとシェアハウス 短編24

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