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あいつとシェアハウス 短編23


■一夜を越えて


 ……あの夜から、善ちゃんがどこかおかしい。


 具体的にどこが、と問われると返答に困るんだけど。でも、間違いなくおかしいとは言い切れる。だって。


「……善ちゃん」


「…………」


「善ちゃんってば」


「え、あ」


 俺の呼びかけにようやく応じた善ちゃんは、慌てて茹っていた鍋の火を止める。若干の焦げ臭さがリビングに漂って、善ちゃんは不甲斐なさそうに顔を顰めた。こちらのほうは見ないまま、「ごめん」と小さく零す。


「だ、大丈夫だって。焦げてても俺、全然食うし」


「……ああ」


 俺の視線に気づいているのか否か、不自然なくらい目を合わせてくれない。なんだかもどかしくなって、トイレに立つフリをしてキッチンに立ち入るが、肩に触れようとしたところで善ちゃんが声を上げる。


「あ、お、俺……ちょっとトイレ」


 呼び止める隙もなく、脇をするりと抜けて廊下のほうへ向かう善ちゃん。残された俺は傍らの少し煮立ち過ぎたカレーを見下ろしながら、不可解さと気まずさでごちゃ混ぜになった思考を緩めるように後頭部を掻いた。




     ◆




 正直なところ、あの夜のことは思い出すのも照れ臭い。なんだろうあの、改まって恋人同士として裸で向き合ったときの、どうしようもない気恥ずかしさは。善ちゃんの身体をまじまじと見たことなんてなかったから、流石に少しドキドキしてしてた気がするし。


 触れて、弄って、口と口を重ねる。善ちゃんが勝手にしろって言うから、最低限の知識に頼って、見様見真似で俺なりに頑張ってはみたけれど。なんというか、多分俺、上手くやれていたと思う。確証はある。善ちゃんの顔見れば分かる。


 それに、うん、俺だって。楽しさと嬉しさと心地よさとで、触り合ってる最中胸がずっと締め付けられてたぐらいには。


 少なくとも俺に、性も愛もあるって分かったのは本当に良かった。善ちゃんと……ちゃんとやっていけるかもって、思えたし。


 あれこれ考えてる間に、体中に血が昇ってきそうだった。ソファにだらりと横たわり、うつ伏せになって腕の隙間に顔を埋める。


「…………」


 とにかく俺は、あの夜のことをそう捉えてたんだけど。やっぱりどう考えても、あの日以降、善ちゃんの態度が変だ。いつもどこか上の空だし、普段はしない失敗も多くなった。


 それに何より、やけに俺に触られるのを避ける。


 何かやらかした……んだろうか。というか、ぶっちゃけそれ以外に考えられないような。理由を探るべくあのときのことを鮮明に思い出そうとするも、段々と恥ずかしさが勝ってきてまともに思案できやしない。


 喜ばしいような、情けないような。ちょっと前まで“恋愛とかわかんねー”って心情だっただけに、自分に降って湧いてきた大きな変化がむず痒い。


「…………」


 尻尾を丸めてひたすら口を尖らせていると、背後で善ちゃんが戻ってきた音がした。咄嗟に起き上がって表情を窺おうとするも、その顔は不機嫌そうな眼を携えたまま露骨にあらぬ方向へと逸れていく。


 このところずっとこんな調子だ。やっぱ俺、何かやらかしたんかな。それにしては、あんまり怒ってるようにも見えないのが、不思議でしょうがなくもあって。



――次はねーぞ、ボンクラ。



 あの狼が、遥か彼方で俺を嘲笑ってる気がする。いや、この現状を見たら、あいつなら間違いなくニヤケ面を浮かべて俺を煽り倒してくるはずだ。


「…………」


 思い切って、立ち上がる。口を真一文字に結び再びキッチンを覗き込むと、善ちゃんもようやく一瞬こちらを見た。すぐにそっぽを向いたその横顔を見据えたまま、どたどたと側まで歩み寄れば、流石に少し驚いたのか不機嫌な猫の眼が恐々俺を窺ってくる。


「善ちゃん」


「な……んだよ大智、飯ならもうすぐ」


「俺のこと微妙に避けてるっしょ」


「…………」


 弁解しようもないのか、善ちゃんは耳を伏せて視線を落とした。無言になって口元を手で押さえ、なぜか深呼吸をする。漂うカレーの匂いに混じって、あの林檎っぽい香りが鼻をくすぐる。


「その……多分俺がなんかやっちゃったんだと思う、けど」


「…………」


「理由があるなら教えてほしいってか……いやまぁ、自分で気付けって話なんだけどさ」


「……えよ」


 適切な言葉を探ってるうちに、唸るような声が耳に響いてきた。俺が何か言うよりも早く、善ちゃんは俺の腹をどついて、呟く。


「……んだよ」


「え」


「だから……んだよ」


「善ちゃん、その、声小さくて聞こえないんだけど……」


「……ッ」


 途端、一際大きな力でどつかれ、俺の身体は軽く仰け反る。瞬間目に留まる、耳まで顔を真っ赤にした猫の表情。


「ムラつくんだよ! お前に触られると!」


「む、ムラ……って、え、え」


 善ちゃんの吐き捨てた「ムラつく」の意味を理解して、俺のほうも頬の辺りが熱くなってくる。そして同時に、これは正真正銘やっちまったのでは、という自覚も。


「あんときからなんか、お前に触られる度にゾワゾワして……」


「…………」


「絶対ヤバいやつだって分かってっから、わざわざ避けてたっつーのに、お前、お前この」


「いて、あ、ごめん、ごめんって」


 善ちゃんから容赦ない拳が――といっても力自体はじゃれあい程度のものなんだけど――何発も飛んでくる。善ちゃんにしてみれば恥の境地なんだろうけど、俺のほうは嬉しいやらおかしいやらほっとしたやらで半笑いだった。


「でも俺たち付き合ってるんだし、別に避けなくたって……」


「…………」


 そういう問題じゃない、と言いたげな眼を向けられ、流石に俺の半笑いも止まる。善ちゃんが善ちゃんなりに気にしてるんなら、茶化すような雰囲気を出すのは良くない。勢いが収まってきた隙を見て、善ちゃんの腕を掴んで止めた。一瞬訪れる静寂。交差する視線。


「…………」


「…………」


 目が合ったのは偶然だったのか、どうなのか。考える暇もなく、俺たちのマズルはそれとなく近づいていく。徐々に空気が詰められて、そんで。


 ……ぐう、と。お互いの息が当たるぐらいの距離になった頃に鳴り響く、俺の腹の音。それで不意に恥ずかしさを取り返した俺たちは、息を止めたままどちらからともなく身体を離した。互いに姿勢を戻した辺りで、照れ隠しなのか笑いが込み上げてきて。


「……ふ、へへ」


「はは、ひ、はは」


 今度は普通に目を合わせて、二人で少し、笑った。いつもより濃いカレーの香りが、鼻先をつついてくる。


「飯にすんぞ、大智」


「おう」



あいつとシェアハウス 短編23

Comments

一気読みしました!ご馳走様でした!

airisu303

これで精通しました本当にありがとうございました

poops


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