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あいつとシェアハウス 短編17


■ちょっとした幸せ


「なあなあ、どうよ、これ」


 夕刻の研究室。徐々に暗くなっていく室内にやきもきし、部屋の電気を点け席にちょうど戻ってきたときだった。椅子の背もたれ側に座った泰利が、端末の画面を俺と奥にいる悟のほうへ向けてくる。


「日常のちょっとした幸せ、か」


「何それ」


 表示されていた文字を読んだ俺たちは、揃って疑問符を浮かべた。文面の意味はわかるが、これを尋ねてきた豹の意図が掴めない。


「いやなんか、SNSで募集してんのさ」


「ああ、企業のキャンペーンのやつ」


「それそれ。テーマに沿ったエピソードをハッシュタグつけて投稿すると、抽選で賞品が届くとかなんとか」


「へえ」


 気のない返事をしつつも、パソコンで片手間にそのキャンペーンを検索し始める悟。それを横から覗けば、詳細画面が悟の肩越しに見える。


 洗剤、ティッシュ、スーパーなんかで使える商品券に、米。賞品はまさしく家庭の味方といったラインナップで、正直俺もちょっと心惹かれるところがあった。割とどれが当たっても家計が助かる。まぁ、まだ応募すらしてない段階だけど。


「せっかくだし、みんなで応募してみねーか」


「ああ、まぁ」


「エピソードがあれば、な」


 いんじゃね、と便乗しようとした途端、悟から思い切り釘を刺される。そりゃそうだ。手頃な小話でもあれば、簡単な話ではあるが。生憎パッと思いつけるようなものはない。


「日常の幸せなー、何かあっかなー」


「ちょっとした、てのがポイントか。些細な話が好かれやすい、と」


「…………」


 椅子の上に胡坐を掻き、あれやこれやと模索する。投稿するならできれば、いい感じのものにしたい。抽選とはいえ人の目は通すだろう。となると、極力選ばれやすい話のほうがいいはずだ。どうせならなんか当てたいしな。


「俺はやっぱあれかなー。バスとか電車にギリッギリで乗れたとき」


「俗っぽすぎね」


「なんか違くないか、それ」


「じゃーあれ、あの、家出る時間にちょうど雨が止んだとき」


「安っぽすぎね」


「そもそも幸せって言うのか、それ」


「はー、お前らケチばっかつけやがって」


 不貞腐れた泰利は、前のめりになって「お前らもなんか言ってみろよ」と催促し始める。言ってみろ、とか言われてもな。思いついてないものを言いようもないっつーか。


「俺は……そうだな」


「お、なんだよなんだよ」


「新書を捲って、優しい紙の匂いがしたとき……とか」


「うわ」


「気取ってんなー、悟」


 泰利の茶化すような物言いに、悟はいつもの無表情で応えた。かと思えば、ふ、と口角を僅かに上げて、そんなら、と言葉を続ける。


「遅れて帰ってきて、人の布団で寝てる豹の顔を見たとき……なんてどうだ」


「え、は、ちょ」


 慌ててひっくり返りそうになる泰利を見て、悟はひっひと笑う。俺もそれとなく周囲を見回したが、研究室内には俺たち愉快な三人組のほかには誰もいない。さっきまでいた奴らも、ほんの十数秒前に出ていったばかりらしい。悟め、見計らってわざとやったな。


「おま、誰かに聞かれたらどーすんだよ」


「俺は別に聞かれても構わないけどな」


「…………」


 泰利は無言になって、後頭部を掻く。このやり取りも随分と様になってきたもんだ。俺と大智の絡みも傍から見たら似たようなもんだったのかと思うと、妙な面映ゆさが襲ってくる。照れ隠しとばかりに俺は、二人の交差する視線に割って入る。


「じゃれ合ってねえで、真面目に考えろよ」


「俺は大真面目だ」


「つーか、まだなんも言ってねーの善人だけだろ」


「えっ」


 割って入ったせいで、二人分の視線がこちらに突き刺さってくる。


「文句ばっか言ってねーで、お前もなんか言えよなー」


「え、いや」


「むしろ善人のほうが、そういうの多そうなんだけどな」


「あー、確かに」


 なんの納得なんだそれは。二人の視線がどこか期待を秘めたものへと変わるが、相変わらず俺の脳裏には何も浮かびやしない。ちょっとした幸せなんて、前ならいくらでも見つけられた気がするのに。歳のせいだろうか。


「もしかしたら、幸せボケかもな」


「あーあー、それマジ言えてるわ」


「は?」


「毎日幸せなら感覚もぼやけるか」


「好きな相手と長いこと一緒だもんな、そりゃー鈍るわ」


「……お前ら」


 呆れて睨みつければ、二人分の笑みが返ってくる。それに俺のほうが耐え切れなくなって、パソコンの画面のほうを向きながら頬杖をついた。幸せ、幸せ……ねえ。確かに慣れちゃってきてる感は否めないが。


「偶然入った店に、めっちゃ好みの服があったとか」


「小説で好きな一節を見つけたときなんかは」


「なくしたと思ってたイヤホンがリュックの底から……いや、なんか違うな」


「茶柱……は、流石にベタか」


 あれこれ案を出し合う二人をよそに、俺は一人頭を混濁させる。幸せ、幸せ、幸せ。そもそも幸せってなんだ。改めて考えると全然分からんぞ、これ。なんならそのうちゲシュタルト崩壊でも起こしそうだ。


 結局、三人悩んでるうちに話はなあなあになり、後は各自適当に考えようということでその話題はお開きになった。各々作業に戻る中、俺はキャンペーン詳細のページを開きながら、帰ったらあいつにも聞いてみるか、なんてぼんやりと考えていた。




     ◆




「ちょっとした幸せかー」


 事の顛末を伝えるなり、黒犬はぼやけた表情でそう呟いた。かと思えば急に神妙な顔つきになって、腕組みをして何やら考え事でもするかのように唸り始める。思い付きで変なことを言い出したりしないだけマシだが、大智の考え込む顔はあまりに見慣れな過ぎて、思わず頬が持ち上がりそうになる。


「改めて考えると、パッとは出てこねーもんだなぁ」


「ま、だよな」


 今度は頬を持ち上げて笑いながら、食材を適当に刻み夕飯の支度をする。ソファから立ち上がり、カーテンを閉め電気を点けた大智は、不意に俺のほうを見て表情を緩める。


「んだよ、変な顔しやがって」


「いや、なんつーか……俺らって多分、今、幸せじゃん」


「なんだ、藪から棒に」


「いつも幸せだなーって思ってんのに、言葉になんないのって不思議だよなって思って」


「…………」


 食材を鍋に突っ込んだ手を宙に浮かせたまま、俺は耳の先をくるりと回す。一体どうしてこいつは、ごく稀に思いもよらないことを口にするのか。おかげでこっちは、いつまで一緒にいても一向にお前に飽きやしない。


「でもせっかくならなんか応募してーな」


「……そうだな」


 俺の相槌を聞くなり、また顔を変に歪めて脳みそを動かし始める大智。ホントにこいつは、もうちょっといい面で考え事ができねえのか。呆れがちに溜め息を吐いてふと、自分の口角が無意識に上がっていることに気付く。


「……幸せ、か」


 鍋に入った具材をお玉で掻き回しながら、誰へともなく呟いた。目の前にある味付け前のスープが、掻き回す度に渦を巻いていく。刻まれた野菜が汁の中で踊る。そうこうしてるうちに背後で炊飯器が鳴って、炊けた米の香りがリビングのほうまで広がっていく。


「あ……」


 そして物静かな室内に響く、豪勢な腹の虫。尻尾を振り首筋を掻いた大智は、いつも通りの丸っこい眼でこちらをちらと窺って。お腹が空いたと主張するその瞳で、俺は多分結構満たされていくから。


「待ってろっつーの」


 欲しがりな黒犬に軽快な口調で釘を差して、少し笑う。何も小難しく考える必要はないか。大智の言った通り、言葉にせずとも意識せずとも、ふとした瞬間そこに転がってるぐらいのもの。本来そういうものなんじゃないかって。


 そんならそれを、ありのまま投稿してやればいいか。鍋が煮えるのを待つ隙に端末を取った俺は、SNSにハッシュタグをつきで思いの丈を投げつける。


 ……自分の料理を、心待ちにしてくれる奴がいること。




     ◆




「え、善人、当たったってマジで」


「……マジだわ」


 それから、後日。俺は電話口にいる泰利にそう告げた。後ろには、ちょうど今さっき届いたばかりの、米の入った袋の山。どうやら十五はあるらしい。家に残ってる米と合わせれば、恐らく軽く二十は超える。


 まさかファミリー向けのキャンペーンだったとは、ろくに確認してなかった。当たったのは嬉しいが、消費しなきゃないってことをすっかり忘れていた。


「炒飯いっぱい食えんじゃん、やったやった」


 一か月の献立を慌てて考え直す俺をよそに、大智は米袋を両手で抱え能天気にはしゃぐ。もういっそこいつの希望通り、毎日炒飯にでもしてやろうか。がっくり肩を落としつつも、廊下を意気揚々と歩いていく黒犬の背を見たら、俺は微笑まずにいられないのだった。


 


あいつとシェアハウス 短編17

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