■『旅立ち』part1
「お前とも……これが最後なんだな」
白虎はさも名残惜しそうに口にした。窓から差し込む朝焼けを背に、俺は軽快に尾を捻る。
「センパイにしてはらしくないっすねえ。そんなしおらしくしちゃって」
「そらーしおらしくもなんだろ。オレとお前、身体の相性最高だったしよぉ」
ベッドから降りたセンパイは、パンツ一丁で自慢らしい肉体を見せびらかす。研究やら何やらで忙しいだろうに、よくもまぁそれだけの質を維持できるもんだ。見飽きた肉体美に呆れがちに歩み寄って、首を振る。
「何言ってんすかセンパイ。梓馬くんは“誰だろうと”相性最高なんで」
そう言えば、今度は向こうが呆れ顔になる。「そりゃちげえねえや」と苦笑した白虎は、少しぼさついた尻尾をうねらせ洗面台へと向かった。ダブルベッドの脇では、先輩の端末がひっきりなしに何かの通知を告げている。
「相変わらず多忙っすねぇ」
「まあな」
「今は何人でしたっけ」
「いねーよ」
「……いない?」
「ああ」
気怠げな返答とともに、こちらへ戻ってくる白虎。後頭部をガシガシと掻いてる様子を見るに、どうやら毛並がイマイチ決まらないらしい。棚に転げてるワックスでも投げつけようかと思ったが、バスタオルを取ったところを見るにシャワーを先に浴びるようだ。
「訊いていいか分からないっすけど、なんでいないんすか」
「いやな、水地と別れたときに、他の奴らとも話したんだよ」
脱いだパンツをそこらに放り投げながら、先輩はおもむろに語り出す。
「オレ自身、特殊な恋愛してんのは分かってっからな。もしかしたら他の奴も、水地と同じように何かしら抱えてるかもしんねえって思って」
ああ、これだ。これだからこの白虎はモテるんだよな。パッと見は豪快でガサツそうなくせに、的確に気まで回しやがる。とはいえ、逆にそれが仇になって、多くの奴らを誤解させてきた節はあるが。
「んで、相談した結果、全員と別れたっつーか」
「随分あっさりしてんすね」
「そりゃーお前、価値観が違えばお互いしんどいだけだろ」
「っつーことはセンパイ、理解は得られてなかったってことすか」
「……そうだな。付き合ってるからには、サシの関係でありたいって言われちまって」
「…………」
複数恋愛――ポリアモリーという生き方は、自身だけじゃなく相手の同意を以ってようやく成立する。一般には浸透してない上、浮気性だと捉えられるのがフツー。生きづらさで言えばかなりのもんだろう。
「情けねぇぜ、やっぱ。最初のうちこそ、あいつらにも理解してもらえてるなんて、能天気に思い込んでたからな」
バスタオルを肩に掛け、不甲斐なさげに佇む白虎は、笑いながら頬を歪めた。そう辛気臭くされると、梓馬くんとしては居心地が悪い。
「ま、センパイどうせモテっから。そう腐んなくてもいいっしょ」
「へ……だといいけどよ」
白虎は首をぐるりと回し、溜め息を吐く。察するに、端末に来てた数多のメッセージは、いわゆる“お誘い”の類だろうとは思うが。その中に坂東蓮介という人物を理解してやれるヤツがどれだけいるのやら。
ふと足元を見れば、いつの間にか落ちる影の輪郭が明確になっていた。そろそろチェックアウトの時間か。先輩曰く『最後の時間』も、残り僅かってところだろう。
「あ、そうだ。一緒に入るか、宗谷」
風呂場の前まで移動した先輩が、誰かに負けず劣らずのニヤケ面で誘ってくる。仕方なしとばかりに、同じように口角を上げ首を横に振った。魅力的な誘いではあるが、真面目な話の後では致す気にもなれない。
「そうか、連れねえなぁ」
「っつってもねえ、もう一戦って空気でもないでしょ」
「そりゃまぁ、そうだが」
お道化てるのか、先輩は縞模様の尻尾をくるりと巻いてみせる。愛嬌があるのは結構なものの、生憎梓馬くんに効果は薄い。
「つーかお前、結局誰ともくっつかなかったな」
「そりゃー、梓馬くんは皆のもんだから」
「なに誤魔化してんだ、本命の奴はどうしたんだよ」
本命。果たしてそんなものがあったのかどうか、こと今に至っては俺ですら分かりそうもない。手に入らない存在に焦がれるなんて酔狂にも程がある……と、いっそ笑い飛ばせるぐらいの器量ならばよかったが。
「さてねぇ。今頃、どっかの野郎の膝の上にでもいるんじゃないっすか」
「……ほーん。つーことはよ、珍しくガチになってフラれたわけか」
興味津々とばかりに笑んだ縞模様は、愉快そうに太い尾を振る。
「宗谷レベルでフラれんなら、オレごときくよくよしてらんねーな」
「そうそう。しょんぼりしてたらイイ男が台無しっすよ、センパイ」
「はは、そりゃそうだ。褒め言葉として聞いといてやるよ」
高笑いの勢いそのまま風呂場へ踏み出しかけて、白虎はふと立ち止まる。ある種の自嘲を湛えた、妙に気を張った背中が、やけに目に遠い。
「結局オレら、まだまだ幸せは遠そうだな」
「……くはっ。シャレになってねーんすけど」
噴き出した俺に満足したらしく、白虎の姿は風呂場のほうへ消えていった。残された狼は、どこか他人事なシャワーの響きを聞きながらベッドの真ん中に胡坐を掻く。
幸せ。まるで天から降って湧いてきたような、そのぐらい馴染みのないフレーズ。不明瞭で不誠実なものに縋るなんて、流石に馬鹿馬鹿しい。そう斜に構えて、ひたすらに判然と生きてきてはみたものの。
“俺”にとっての幸福を、“梓馬くん”は理解しているだろうか。そんな風に考えてしまうのは……恐らく。
外からの光は、時計の針の音に連れ強さを増していく。惹かれるように首を傾けて、思わぬ眩しさに目を細めた。