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あいつとシェアハウス 短編13

■七夕カレー(改訂版)


「もう七月かー」


 ソファに寝そべり端末を眺める大智の声を聞いて、思わず調理の手を止め、カレンダーのほうへ目をやった。そういやこの前、何の気なしに六月と表記された紙を破いた気がする。今年ももう半分が過ぎ去ってしまったというのに、まるで実感がないらしい。


「なんで急にそんな話してんだよ」


「いやだってなんか、『今日は七夕』みたいな通知が出てきて」


「ほー、七夕ねえ」


 鍋に入れたカレーの材料をレードルでぐるぐる掻き回しつつ、鼻を鳴らす。正直なところ、言われるまで今日が七月七日だってことすら知らなかった。やっぱ大人になるに連れて、こういう季節事に疎くなっていく気がする。


「俺あれ好きだったな、短冊に願い事書くやつ」


「そういやお前、毎年書いてたよな」


「なー。なんかほら、町内会で設置してたデカい笹にぶら提げてさ」


 子供の頃はそれこそ、行事の雰囲気に舞い上がったり、風に靡く七夕飾りに思いを馳せたりなんかしたもんだが。流石に二十歳過ぎの七夕ともなると特別感も薄れる。


「いつも何書いてたっけ、俺ら」


「さあな」


「つーか善ちゃん、いつも見せてくんなかったよなー」


「…………」


 大智はうつ伏せから仰向けに体勢を変え、尻尾をうねらせながらこちらに抗議の眼差しを向けてくる。そんな眼で見られても、ぶっちゃけ覚えちゃいない。ただひとつ言えるのは、当時まだ純粋だった俺は間違いなく余計なことを書いてるであろうこと。


「そういう大智だって、見せてくれた覚えねえんだけど」


「だっけか」


「正確にはお前、笹の上のほうに付けるせいで俺の身長じゃよく見えなかったんだよな」


「あれ、マジか」


 ふらふらさせた尻尾を止め、黒犬は惚けた顔になる。途端に、こっちまで響くような音量で腹の虫が聞こえてきた。やれやれ、さっさと飯にするか。そう思った矢先、いつの間にか起き上がっていた大智が、おもむろに傍らまでやってくる。


「善ちゃん善ちゃん」


「んだよ」


「カレーの人参とかさ、星型に切ってたり……」


「してるわけねえだろ、アホ」


 既に適当なサイズに切り終えた野菜類を見せたのち、デカい図体を台所から蹴り出す。いやまぁ、昔はそういう手心を加えたこともあったが。今となっちゃ面倒なだけだ。


「ちぇー」


 すごすごとソファへ戻る、大きな背中。ホントこいつ、一体自分をいくつだと思ってんだか。俺たちもう、星入りカレーなんて歳でもないだろうに。


 肉が焼ける匂いに唾を飲みつつ、炊き立ての釜の飯を軽く混ぜ返す。カレー作りのほう、もっと早めに取り掛かれればよかったんだが。生憎大学のほうが忙しかったせいで、帰ってこれたのが夕方になっちまって。


 ざっと見た限りだが、米のほうは上手く炊けているようだった。それを担当した黒犬は、なぜかカーテンの向こうに顔を突っ込んで、尻尾を右往左往させている。大方、七夕だからって星でも眺めてるんだろう。単純な奴。


「あっ」


 それから数分後。鍋に野菜を投入しかけたところで、大智が声を上げた。かと思えば、どたどたとこちらへ駆け寄ってくる。経験則による胸騒ぎがしたので、一応火を止めてからそちらを向いた。


「善ちゃん善ちゃん」


「んだよ」


「外見て、外」


「外?」


「いいからほら、はよはよ」


 肩を押され、半ば強引に連れ出されたその先。あいつはカーテンを捲り、窓際にその図体を寄せた。そして俺の身体もそこへ引き込むと、カーテンを下ろしリビングからの光を遮断する。


「…………」


 暗がりの視界に現れたのは、いくつか埃のついた窓と、その奥で輝く満天の星。今日は雲がないらしく、まさしく『七夕』に相応しい夜空だった。大智にしては粋なことをしやがる、と感心していると、当の本人は横で間の抜けた顔をする。


「あれ」


「……どうした」


「いやさっき、流れ星が……あ、あ、ほらあれ、あれ」


 突然騒ぎ出し、あろうことか俺の肩を抱き寄せてくる大智。おい待て、こいつマジか。頻りに騒ぎ立てる大智をよそに、俺は星どころではない。あまりに不意を突いた仕打ち。意識の外からの行為は流石に卑怯が過ぎる。


「善ちゃん見た、見た?」


「…………」


「めっちゃ綺麗だったよな、な。天の川んとこ、斜めにこう……横切ってって」


 興奮に息巻く態度が実に憎たらしい。今の状況分かってんのかこいつ。七夕に、窓辺で二人、カーテンの裾に潜り込んで、肩寄せあって星を眺めてるとか。これじゃ、まるで。


「あれだあれ、恋人」


「えっ」


「えっ」


「恋び……って、何言ってんだ急に」


「あれ。恋人同士って話じゃないっけ」


「は?」


「織姫と彦星」


「……ああ、そう、そうだな、うん」


 返事をすると同時に、一気に気疲れが押し寄せてくる。どうやら一人でどぎまぎしてる間に、大智のほうでは会話が進んでいたようだ。なんつー勝手さ。というかこいつ、マジで無意識かよ、俺を抱き寄せてんの。


「なあなあ」


 状況整理の機会すらろくに与えてくれないらしく、大智は畳み掛けるように言を続ける。


「その二人、今頃会ってんのかな。天の川のどっかで」


「……そうなんじゃねえの」


「一年に一度しか会えねーんだもんなぁ」


「…………」


「でもさ、やっぱ恋人同士なら、毎日でも会いたいとか思うんだろ」


「まぁ……多分な」


「……キツいよなぁ、絶対」


 いつもと変わらぬ顔つきで、らしからぬことを言い出す黒犬。いつになく神妙な横顔がおかしくて、ついでに胸を打ってきて。照れそうになった俺は、悔しくなって目を逸らす。


「あっ」


 顔を伏せた俺の頭上で、またも跳ねる声。あいつが指差した先に目をやれば、宙から零れ落ちた光が、宵闇に溶け込んでいって。それを皮切りに、一つ二つ、三つと尾を引いた光が続いていく。


「……すっげえ」


「…………」


 思わず息を呑んだ。流星群なんて大層な名で呼べるほど、大量に降り注いでくれたわけではないけれど。カーテンで仕切られた、室内に出来た自然のプラネタリウムは、俺たちにささやかな喜びを齎してくれて。


「今のは見えたっしょ、善ちゃん」


「見えたに決まってんだろ」


「へへ、だよな」


 なぜか得意気に笑って、大智は俺の肩を擦る。ああクソ、お前は狡い奴だわマジで。俺だって少しぐらいは、お前にどぎまぎさせてやりてえのに。


「あ」


 仕返しに手でも握ってやろうかと画策していた矢先、大智の素っ頓狂な声で我に返る。あぶねえ、あぶねえ。つーか俺、こういう雰囲気にホント弱いのな。我ながらチョロすぎる。


「そういや願い事しそびれたじゃん」


「……流れ星に三回願うやつか」


「うわ、いっつも忘れるんだよなー」


 カーテンの暗幕から抜け出しながら、大智は悔しそうに首筋を掻いた。非日常めいた時間が終わり、鼻先には光と肉の匂いが舞い戻ってくる。溜め息もそこそこに台所へ戻り、調理の続きがてらソファに寝そべるアホ犬に話しかけた。


「んでお前、何願おうとしてたんだよ」


「え、ああ。短冊のときと同じやつ」


「だーから、それを訊いてんだって」


「善ちゃんと一緒にいれるように、って」


「……は?」


「俺、願い事とかのとき、そればっか書いてっけど」


 当然だろ、とでも言わんばかりに、あまりにもあっさりそれを口にする。臆面も恥じらいもない、ただただまっさらな感情で。唖然とした俺は、一瞬の思考ののち、それを馬鹿馬鹿しいと判断した。その思いのまま声を発する。


「だったら別に、願う必要ねえじゃん」


「え、なんで」


「だってお前の願い、もう叶ってる……し……」


 かちり、とコンロに点火した音が耳に飛び込んできたところで、思考回路が正常に作動していく。待て、待て待て待て。俺は今何を言った。記憶を探るより早く、“間違いなく余計なことを口走った”という感覚だけが押し寄せてくる。


「あ、えー、その」


 取り繕おうにも、時は既にかなり遅かった。はぐらかしの言葉が出るより先に、視界の端に満面の笑みのアホ面が現れる。


「……へっへー」


 すぐにあいつの上機嫌な声が脇から聞こえてきて、俺は思い切り顔を顰めた。ホントもう、どうしてこうも自爆が得意なのか。穴があったら……いや、今すぐ専用の穴を掘って入りたいぐらいにはこっぱずかしい。


 むしゃくしゃしてきた俺は、腹いせに包丁を手に取り、まな板に無造作に転げていた野菜を切りつけていく。


 ……どうしてか、星の形に。

 

あいつとシェアハウス 短編13

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