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あいつとシェアハウス 短編10


■セカンドムービー


 温い紅茶。温い店内。春先の緩み切った雰囲気と、空気中に粒になって滞留する気怠さ。朝から重い肩と瞼に嫌悪感を抱きながら、首にかけたヘッドフォンを弄ったところで、仕切りの向こうに見覚えのあるような影を見つける。


 そんでわいは、不意に思い出す。猫だったか、豹だったか、虎だったか。体格は良かったが、種族すら覚束ないような。そん程度の奴のこと。出会い系アプリで知り合うた、無粋極まりひん男のことを。




     ◆




 そん日は、映画を観とった。内容は……よう覚えとらん。そんときのわいは、不愉快さに顔を顰めかけてたんを、どうにか堪えとったから。


「ねえ」


 アプリでメッセージを送り合うて、一週間もしないうちのこと。いきなりのデートの誘いに、試しにと乗ったはええけど。上映中頻りに腕を触ってきよったこいつは、エンドロールが流れ始めるなりしれっと言い放つ。


「この後、どうする?」


 正直、ないわ、と思うた。顔は確か好みやったし、身体にも惹かれはした。そいつがそうだったように、わいもそのつもりで来てはいた。性欲目的だろうが、公共空間でがっついてこようが、別に構わんかったけど。


 そんでも、感慨を共有できん奴とおるんは、寂しいことちゃうかって。


「君さえ良ければ……どうかな」


 腕を撫でていたはずやった手は、いつの間にか太腿へと移動しよった。暗がりで周りにはよう見えへんやろ、とか、お前もこういうの好きやろ、とか。相手の荒い息遣いがそう告げとるように思えて。


 太腿を擦る大きな手に、自分のちゃっちい手を重ねる。久しぶりの他人の温もりは、冷えきった心を抉るんには優しすぎて。


 こんな。こんな優しいんに。頭ん中ではずっと、あん日の声が渦巻いとって。なんか気味の悪い呪いみたいに、離れてくれへんで。



――好きってもっと、楽しいもんじゃねえのかよ。



「…………」


 ……ほんま、ムカつく猫やわ、あいつ。こんな場面でまで出張ってきて、邪魔しよる。


「ウタくん?」


 わいのハンドルネームを呼びながら、擦る力を少し強める男。その手をゆっくりと払い退け、相手の顔は見んまま、呟くように言う。


「今日は……やめとくわ」


「え、どうしてさ」


「気ぃ、乗らんから」


「……ああ、そう」


 男はどうにも読めん反応を浮かべ、溜め息がちに身を竦めた。ヤリ目で会っておきながらこれは、わいのほうが酷い奴やろうけど。身は乗っても気が乗らんのも、また確かやから。


「君ってよく分からない子だね」


 まるで捨て台詞のように吐かれた言葉は、存外耳に残って。


 ……ほんで、その後んことは、大方予想通りやった。不満そうに立ち上がった男は、エンドロールも終わらへんうちに映画館を去っていきよって。詰まりに詰まった息を吐いたところで、ようやくわいは気付いた。


 この映画の主題歌、わいが好きなアーティストや……って。




     ◆




「浮かねー顔してんな、ウタちゃん」


 そん言葉で、わいの意識は映画館通りのファミレスに戻ってきた。対面に座る狼は、いつもながらほんまいけ好かん顔で、こっちを眺めよる。言うても、こいつぐらいしかまともに話が合う友人おらんから、今日もこうやって駄弁りに興じてるわけで。


「……別に、前に会った男んこと、思い出しとっただけや」


「へえ、何。誰か似てる人でもいた感じ?」


「さあな。多分見間違いやろ」


「つっても、誰かを思い出すなんて珍しいんじゃねーの。そんないい男だったん」


「ちゃうわ。逆や、逆」


 鼻を鳴らしてそう言えば、向こうも「ああ、そういう」と同じように鼻を鳴らす。これだから、こいつといるのは楽なんやわ。


「それよか自分、留学どうこうはどうなっとんねや」


「そう急かすなって。梓馬くんも旅立ちに際して、色々と思うところあんのさ」


「思うところ、ねえ」


 冷めつつある紅茶に手を付ける。付き合いの期間もそれなりにはなっとるが、未だにこの狼の考えはよう読めん。


「さっさと行きゃええのに。なんや、心残りでもあるんか」


「まぁ……あるっちゃあるっつーか」


 若干言い澱んだ狼に向け、へ、と嘲りを入れる。心残りなんてどうせ、やけにご執心やった明石と赤木のバカップルのことやろ。そらまぁ、ああいう関係が羨ましいとか分かるけどな。何をそう構うんかね、わけわからんわ。


「なんだウタちゃん。気になってんの、梓馬くんの心残り」


「言わんでも分かるわ、くだらん」


「まぁそう言うなよ。お前だってあいつらのこと、嫌いじゃねえだろ?」


「…………」


 ほんまこいつ、意地の悪い奴やな。わいの結論を知っとる上で、こないに訊いてきよる。


「……好かんわ」


「素直じゃねーなぁ、ウタちゃん」


「ほっとけ」


 そう言い捨てて、えらいご機嫌な狼から視線を逸らした。窓の外は、むかっ腹が立つほどの春日和。長閑な雰囲気はあんま、胸に優しゅうない。


「もうすっかり春だな」


 同じように外を見た狼は、なんとも言えへん表情でエスプレッソを啜った。それに合わして、もうカップの底まで冷えた紅茶に手を付けたところで、狼の目がこっちに向く。


「最初に会ったときから随分様変わりしたんじゃねえの、俺たち」


「なんや、唐突やな」


「だってよ、そっちから誘うなんて珍しいじゃん」


 やたら満足げな顔に、こっちの顔が曲がる。そらそれは事実やけど。そんな表情させたろ思て呼び出したんとちゃうわ。


「ウタちゃんからのお誘いなんてレアもレアっしょ。梓馬くん、テンション上がっちゃって」


「涼しい眼してよう言いよるわ」


「そんで。ティータイムもそこそこに、今日は何しようっての」


「別に、ただ……」


 少し目線を落とし、ヘッドフォンの先にある端末の表示を見る。最近聴いてばっかの曲のタイトルが、じろりとこっちを覗き返しよるのがなんか、ちょいおもろくて。


「……ただ、映画観とうなって」


「へえ、どんな」


「凡百のラブストーリーやけど……わいの好きなアーティストが主題歌やっとって」


「くはっ」


 噴き出した狼をすかさず睨みつける。まぁ、こいつが意に介さないことなんざ知っとるが。


「やーっぱ変わったよな、ホント」


「うっさいわ」


「いいじゃねえか。今ならいい男の同伴付きだしよ」


「……お前の性格、すげー羨ましいわ」


 二回目の映画。そんな、気に入ったんとちゃうのに。確かに変わったんかなとか思いつつ、わいは渋みの薄れた紅茶を飲み干した。


あいつとシェアハウス 短編10

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