日の暮れた林道を、エルフは不貞腐れながら歩いていた。なにせあの騒動のせいで、フォークロアの開く市場が閉鎖されてしまったのだ。起こった事件を思えば仕方のないことだと頭では理解しているものの、その心境は微妙だ。
「商品の一部が盗まれたらしい」
ジェフはそう説明していた。無許可で市場に紛れ込んでいた行商人の誰かが、あろうことか盗みを働いたのだという。何が盗まれたのかまではジェフをはじめ守衛には伝えられていなかったようだが、あのクーシーの慌てぶりやハイエルフの他者排斥ぶりを見るに、余程のものが盗まれたのだろう。賢明なエルフの娘はそう考えていた。
それに、彼が綴っていたルーン。男の速記は相当ではあったが、娘の目ざとさも最初の数文字を捉えられるほどには相当であった。
“Ygg”。その先は娘の立っていた位置からではよく見えなかったが、男は確かにそう綴っていた。この羅列から始まる単語を、リリーはひとつしか知らない。
「世界樹……」
思わず声に出る。“Yggdrasill”という響きを、片時たりとも忘れたことはなかった。ユグドラシル。世界樹を司る言葉。幾度となく目にし、幾度となく焦がれてきたもの。
やはりフォークロアは、世界樹の情報を掴んでいる。加えて、世界をあちこち回っているはずの異端ギルドが、なぜか再びこの地に現れたのだ。その事実が示すのは、恐らく。
彼女の期待は確信に変わりつつあった。思わぬ収穫に、本来であれば満悦するべきなのだろうが、娘の表情は変わらず浮かない。それが分かったところで、事態はほぼ進展していないのだ。母の容態がいつ悪化するかも分からない状況で、リリーは得られた情報を手放しには喜べなかったのである。
いっそフォークロアに忍び込んでやろうか。娘がそんな野蛮な発想を抱きかけた矢先だった。足取り重く歩いていた彼女の身体に、大きな影が落ちる。太陽が不意に隠れたのだろうか。訝しそうに娘は沈んでいた顔を上げる。
「よお、エルフの嬢ちゃん」
「……えっ?」
エルフの困惑した反応に、巨大なドワーフは満足げに下卑た笑みを湛えた。ドワーフは一般に小人であると周知されているはずなのだが、リリーの眼前に立ちはだかるそれは、明らかに通常のドワーフ種の数倍の大きさはある。そんな馬鹿な、本当にドワーフなのか。リリーはそれを思案するよりも早く、酒場で誰かが話していたことを思い出す。
「最近この辺りにドワーフの野盗が出るって」
しまった、私、知ってた……!
夕月夜の薄暗い林道は、奴らにとって絶好の狩場。そんな場所へ、小袋を抱えた娘が一人のこのこ立ち入ったのであれば、何が起こるかなど想像に難くない。即座に踵を返し、道を引き返して逃げようとするが、時既に遅く周囲を子分らしきドワーフに囲まれた後だった。
「やれやれ……年若い娘をいたぶるのは少々趣味が悪いがなぁ」
「……少々どころか、めちゃくちゃ最悪の趣味じゃないそれ」
「言うじゃねえかエルフ。相変わらずいけ好かねえ耳しやがって」
「ふん、あんたらみたいに、膨れ上がったコブみたいな耳よりマシよ」
エルフとドワーフは種族柄、激しく馬が合わない。エルフが小奇麗なものを好むのに対し、ドワーフは小汚いものを好む。エルフが水浴びをする頃ドワーフは泥を泳ぎ、エルフが草木と戯れる頃ドワーフは土くれを弄り回す。エルフが右と言えばドワーフは左と言い、ドワーフが黒を選べばエルフは白を選ぶ。そのぐらい両者は仲が悪いのだ。民俗学者の中には、それをテーマに研究を進めている者もいるが、未だに“なぜエルフとドワーフは互いをいがみ合うのか”を究明出来てはいない。
リリーは頬を凍り付かせ、巨漢のドワーフと対峙した。鼻が曲がりそうな臭いだ。これだからドワーフは汚らしい。苛立ちを目尻に込めて睨みつけるも、巨漢はもろともせず笑む。
「威勢がいいのは結構だが、状況は弁えたほうがいいぜ。嬢ちゃんよ」
「……来ないで」
「そりゃ出来ねえ相談だな。なぁ、お前ら」
巨漢の放つ低い声が、付近に鈍く轟く。同時に、あちらこちらから子分の薄ら寒い笑い声が聞こえてきた。絶体絶命。リリーは小袋をぎゅっと握り締めながら、辺りの様子をちらちらと窺う。前後には野盗、左は木々の深い崖、右は雑木林の茂る急斜面……と、なれば。
「相談なんて、こっちから願い下げだわ」
言い捨てて、リリーは思い切り左手へと跳んだ。身体が宙に投げ出される。ドワーフの「バカな」という表情にほくそ笑むと、リリーの身体はいよいよ落下し始める。
空を切る音がする。地上が近づいてくる気配がする。迫る、迫る。リリーは身体を強張らせ、来たるべき痛みへの恐怖から目を瞑った。
ガサリ。繁茂した藪へ、娘の身体が消えていったのを目下に確認するなり、巨漢のドワーフはしまったと頭を抱える。すぐさま子分のドワーフを下まで向かわせたものの、これでは取り逃してしまうかもしれない。あの野郎に頼まれた内容は、エルフの娘を無事に引き渡すことだってのに。
「全く……」
冷淡な声とともに、巨漢の裏手に数多の魔方陣が広がっていく。やがてそれらは空間に円状の裂け目を形成し、そこからハイエルフの男を吐き出した。向けられた冷酷な双眸に、ドワーフの背筋が凍る。
「表立って動けないからこそドワーフごときに頼んだというのに、娘一人捕らえることすら満足にできないとは。所詮ごときはごとき、ということですか」
「チッ……」
「これでは蛮族を雇っている意味がないというものです。適材適所、汚れが好きなどという物好きな種族だからこそ、汚れ仕事を与えているのですがね」
「クソエルフが、調子に乗りやがって……」
「喚く暇があるのなら早く娘を追いなさい。生体反応はまだ動いていません。恐らく傷でも負って動けないのでしょう。ならば……」
そこまで言って、ハイエルフは「おや」と僅かに眉を顰める。そして怪訝そうに崖下を覗いて、おもむろに口を開いた。
「反応が……消えた?」
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試し読みはここまでとなります。
続きはいつか、準備が出来次第どこかのサイトにアップ致しますので、
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サムネ画像は前回に引き続き、「きまぐれアフター」様よりフリーのものをお借りしました。
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