■その手を
「恋人……なんだよなー」
「え」
食堂の片隅。二人席に座り、購買で買ってきたパンを頬張っていると、向かいに座す豹が同じく買ってきたおにぎりを手にぼやく。あまりに唐突だったから、思わず聞き逃すところだった。
「急に何の話だよ」
「何って、話聞いてただろ、大智」
「いや聞いてたけど……」
俺の返答が不服なのか、泰利は頬杖をついてこちらをぐいと仰いだ。そんなこと言われたって、今し方の会話の話題と言えば、就活やら卒論やらの耳が痛くなるような話とか、この場にいない二人の話だとか、いわゆる他愛ない類のもので。
「恋人がどうとかって話、してたっけか」
「いや……だから、その、悟の話……してたろ」
「え、あ、そっか」
この反応に殊更不満そうな豹は、耳を外側に回し抗議する。別に忘れてたわけじゃないけれど。普段、泰利と悟は親友として捉えてるから、そういう密な関係をつい失念しがちなんだよな。
「……まぁ、俺たちもそんな、さも恋人っぽく振る舞ってるわけじゃねーけどよ」
人目もあるしな、と付け加え、泰利は食堂に会する人々を眺めた。老若男女、多種多様。世にはそれこそ色々な人がいるとはいえ、やっぱり物珍しい生き方をする人たちは、どうしたって奇異の目に曝されやすい。
そしてそれは、俺と善ちゃんの関係にとっても、きっと例外ではなくて。
「恋人っぽく、っつーと」
「……お前そういうとこあるよな」
「へ」
「だからほら、あんだろ、手繋いだり……とか、そんな感じの」
手。ふと出てきたワードに心惹かれ、思わず自分の歪な掌を見据えた。俺の行動はお構いなしに、泰利の話は続く。
「一緒に過ごしてっとさ、そうしたいんじゃねーかなって感じる瞬間が多々あるんだよな」
「そうしたい瞬間……?」
「歩いてるとき、たまに手が触れ合ったりすんじゃん。偶然かなって顔上げたら、相手もこっちの顔見てたりとかして」
「…………」
「だけどそこで、なんか変なブレーキが掛かるっつーか」
ぽつぽつと言葉を零す泰利。俺にはまだ、そういう機微みたいなのは上手く解りそうもないけれど。“ブレーキ”の意味はなんとなく、理解できる気もしていて。
「そんでお互い、フツーに振る舞って終わり、的な」
それだけ言って口を閉じた泰利は、再び食堂に広がる喧噪へ眼差しを投じた。俺もそれに合わせ、そちらをぼんやりと見回す。もし仮に、ここに集う目の大半から、「何だアレ」なんて視線を向けられたとしたら。考えただけで息が詰まる。
「んで俺たち、何に遠慮して生きてんだろ……みてーな」
「…………」
「せっかくだし、もっと恋人らしーことしてみてーじゃん。しがらみとか世間体とか、面倒くせーのナシでさ」
苦いような甘いような、複雑な表情で笑う親友を見ながら、俺は手元にあったパンの包装をくしゃりと握り潰した。脳裏に過ぎるのは、自分の口で好きだと告げた、あの不機嫌な猫。
「そういうのって……」
「ん?」
「……やっぱいいや」
「なんだ大智、思わせぶりだな」
へへ、と笑って、怪しむ豹を誤魔化す。自分より高い次元で悩んでる相手に、訊けるわけもなかった。恋人同士ってやっぱり、恋人らしいことを望むもんなの、だなんて。
◆
「んー」
それから、数時間後。帰宅して即ソファに雪崩れ込み、そのままうつ伏せになった俺は、クッションにマズルを突っ込みながら、ああでもないこうでもないと考えを巡らせていた。相変わらず機能の薄い脳みそを、無理くりフル稼働させて。
「いつまでソファ占領してんだ」
呆れた声が頭上で響く。退く気配のない俺に、聞こえるよう溜め息を零して、カーペットに直に座り込む猫。猫背がちな体躯の横で揺れる、細すぎず太すぎない両腕。
――だからほら、あんだろ、手繋いだり……とか、そんな感じの。
脳内では未だに、その言葉ばかりがループしていた。想いは伝えた。同じ気持ちを共有した。以前よりずっと、深い仲になれた。だけどそんなこと、考えもしなかった。手を繋ぐ。子供同士の無邪気なものじゃなく、もっと相応しいような行為として。
確かに俺たち、付き合ってるはずだ。だって現に、あの日、キスだってした。でもなんかそれっきり、そういうことはしなかった。別に理由なんてない。ただただ俺の思考回路に、その行為が存在していなかったってだけで。
「…………」
目の前では手入れしたての尻尾が、呑気そうに揺れている。その奥には、俺より何周りか小さい手が見え隠れしていて。
繋いだことなんて、幾度となくある。感触だって、温もりだって知ってる。なのに、これほど気になるのは。そして同じくらい、躊躇してしまうのは。
「どうした、大智」
「へ」
「ああ、まーたなんか考え事してんのか」
「えっ、えーっと……」
容易く見透かされ、起き上がった俺は首筋を掻きかけて……止めた。そうして不自然に宙へ浮いた手を、どうにかパーカーのフードを掴むことではぐらかすが、善ちゃんの目つきがなんだか鋭い気がして、いよいよ観念する。
「善ちゃん、さ」
「んだよ」
「俺と……その、手繋ぎたい、とか、思ったりする?」
「は……」
想定外の質問だったのか、猫は口を半端に開け、視線を泳がせ始める。
「そりゃお前……っつーか、なんでそんなこと訊くんだよ」
「だって俺ら、付き合ってる……から」
「…………」
「そういうこと、善ちゃんはしたいのかと思って」
「……お前は」
「え」
「お前は、どうなんだよ」
訊き返された俺は、クッションを抱え込み一瞬、押し黙る。正直なところ、“善ちゃんがしたいなら俺もしたい“だとか、さっきまで考えていたけれど。
善ちゃんは多分、俺自身の答えが知りたいがために、目を逸らしてるんだろう……って。面映ゆそうな顔つきを見て、解るから。俺は静かに手を差し出す。
「…………」
すると、反対側から伸びてくる、不器用に揺れる手。二つの手が重なるのに、それほど時間は掛からなかった気がした。ぎゅうと握れば、きゅっと握り返してくる感触がして。もう少し堪能できるかと思ったものの、すぐに善ちゃんが「も、もういい」と言い出して。
「……つーかお前、これじゃただの握手じゃねえか」
「あ……へへ」
確かに、と思ったが、それでもいいか、とも思った。溜め息がちにそっぽを向いた猫の頬が、嬉しそうに強張ってたから。
パゴダ
2020-04-13 11:52:31 +0000 UTC