リリー・アシュレイの酒場。巨大なギルド都市・アクロポースの郊外に位置する同所は、美人で気概のいい彼女の人柄と提供される料理の質の高さとで、連日大盛況であった。様々な種族が玉石混交ありとあらゆる情報を交わし合い、時に結託しまた魔物の巣食う外界へと旅立っていく。 「最近この辺りにドワーフの野盗が出るって」 「あの違法ギルド、とうとう取っ捕まったらしいな」 「西の洞窟に行ったっきり帰ってこない奴らがいるんだが……」 「すみませーん、こっちに酒追加でー」 「はーい、ただいま」 この日もリリーは、店の女主人として闊達に振る舞いながら、小柄な体躯で懸命に酒場の雰囲気を盛り上げていた。そして、エルフ特有のすらりと伸びた耳を注意深く傾けて、飛び交う情報の雨を一滴も逃さぬよう脳裏に刻み付けていく。情報は世界を制する。母が幼い頃から彼女に言い聞かせていた言葉だった。 「おい聞いたか。南の水門を巡ってよぉ、近くの村同士が対立してるって話だぜ」 「ああ、あの物騒な地域か。よくならず者のリザードマンが出歩いてるっつー」 「あん? おい、リザードマンが物騒だってのかよ」 「そうは言ってねえだろうが」 奥のほうが俄かに騒がしくなってくる。どうやらリザード族の男とワーウルフ族の男が言い争ってるらしい。リリーはやれやれと呼吸を整え、彼らのほうへ寄った。 「ちょっとちょっと」 ここには実に多くの連中が集まる。歴戦の猛者から一介のごろつきまで、まさに多種多様。となると当然、折り合いの悪い種族同士が出くわすということも十分起こり得る。そしてその大半が血気盛んな奴らとなれば、諍いや小競り合いなどもはや日常茶飯事だった。 「もー、ケンカならよそでやってよねー」 「あ、いやいや。別に争ってねえって、リリーちゃん」 「そうそう……へへ」 殺気立ってた野郎二人も、可愛らしい女主人には形無しである。動きやすく結ばれた綺麗な髪。エルフらしく整った目鼻立ち。凛々しく毅然としつつも、豊かに変わる表情。外に散らばる艱難に疲弊した者たちにとって、麗しい彼女の存在が癒しであることは間違いない。だからこそ、この酒場の運営は成り立っているのだ。 「……ったく、お前が喧嘩っ早いから」 「ああん?」 「やめなさいってば」 立ち上がった二人を席に無理くり押し戻し、リリーは溜め息をつく。自分の店で起きたことは、おしなべて自分の責任。それを信条にしてる以上、こうした争いを止めるのも彼女の役目であった。男二人は睨み合いつつも、再び酒の席へと戻っていく。どうにか収まった。そう思い、彼女が場を離れようとしたときだった。 「……ったく、これだから気性の荒い種族は困るんだ」 「こンの、テメェ……!」 「お、やんのか?」 「ちょ、ちょっと!」 荒くれ二人は同時に立ち上がり、同時に互いへ掴みかかる。取っ組み合い寸前とも言える状況だった。周りの酒場客たちもこぞって騒動を囃し立て始め、いよいよ収拾がつかない。こうなるともう、リリー一人で場を鎮めるのは不可能に近かった。 「あーもう……!」 「おい」 困り果てるリリーの傍らに、巨大な影が歩み寄る。荒くれどもは始めこそ威勢よくその影へ野次を飛ばしていたが、その正体を知るなり一斉に黙り込んでしまった。リザードの男とワーウルフの男も、縮み上がって愛想笑いを浮かべながら各々の席に座って小さくなる始末。この巨大な影にごろつき連中が抱く畏怖というのは、それほど凄まじいものであるのだ。リリーは首を持ち上げ、自分より何回りも大きな影に話しかける。 「ありがとう、ジェフ。助かったわ」 「いいんだ。このぐらい」 精悍なオークはエルフの女主人へ不器用に微笑んだ。ジェフリー・バーガンディ。東の山に棲むオーク族の一人で、その類い稀な武力と精神力を買われ、ギルド都市の守衛長を務めるまでに至った好漢である。俗にオーク族は獰猛であるとされていたが、彼の勇壮さにその偏見を払拭された都市民も多い。有象無象を震え上がらせる厳つい面相の裏には、温厚なる精神が宿っており、リリーもまたその温厚さに救われている一人であった。 「こればっかりは、私じゃどうにもならなくてさー……」 「君はよくやってると思うぞ。気に病む必要はない」 「だといいんだけどね。大変は大変」 店には従業員が何人かいるものの、実質的な経営は彼女が一人で担っていた。頼れないのではない、頼りたくないのだ。少しでも多くの情報を得るためには、極力自分で動かなければ。彼女の信念を緩めることは、いよいよ誰にも出来なかったのである。 そんな健気な女主人を見ながら、ジェフは内心複雑であった。店の雰囲気と味に惚れてからかれこれ十年近く、ここには欠かさず通ってきた。彼女の頑張りに励まされることは多いものの、ここ最近は僅かに沈んだような表情を時折見せることがあり、正直心配のほうが大きい。店の経営だけが理由でないことは、重々承知しているのだが。 「あ、そうだ」 思いついたように言うと、リリーはジェフの手を引っ張ってカウンターへと向かう。そして大釜から料理を一杯掬い取り皿に盛って、窮屈そうに小さな椅子へ座ったジェフの目の前へ差し出した。 「これは……?」 「さっきのお礼。あなたの好きな、七種の薬草を煎じてリゾットにしたやつ」 「構わんというのに。律儀な娘だ」 「こういうのはちゃんとしないと。母さんがそうだったから、私もそうしなきゃって思うし」 エルフの娘はどこか遠い目になって、賑わう酒場を見渡した。オークも同じような眼差しを娘に向けながら、重苦しい口元を開く。 「……どうなんだ具合は」 「……良くない、ずっと」 酒場の看板には本来、リリーではなく、アイリスの名が冠してある。リリーの母の名だ。つまるところ元々、この酒場はリリーの母親が切り盛りしていた。ところが数年ほど前、その母が病に臥してしまったため、リリーは酒場を守るべく母に代わり女主人を務めることにしたのだ。元気になった母が再び笑顔でこの場所に立てる、その日が来るまで。 だがリリーの想いに反し、母の容態は悪くなる一方だった。アイリスの患った病は、エルフが罹るものの中でも一際質の悪いものだったらしい。それを知った彼女の絶望とは、いかばかりも計り知れない。 ありとあらゆる手を尽くした。古今東西あらん限りの医術に頼った。しかしいくら奔走しても、病を取り除く術は見当たらなかった。ただひとつ、一縷の可能性を除いては。 「……世界樹」 リリーは呟く。この世界のどこかにあるとされる世界樹。その樹が生み出す雫、いわゆる『世界樹のしずく』と呼ばれる液体には、森羅万象あらゆる悪性を浄化する作用があるという。 逸話は伝承化され、今や一種の幻想や伝説の類として人々の間で噂されているものの、その希少性と神秘性に魅入られる者は少なくなかった。事実、世界樹を追い求め各地を旅する行商人や探検家もいるぐらいだ。 世界樹のもたらす奇蹟。それに縋ることができたなら、母は。リリーはある種の確信を抱いていた。こうして連日酒場を盛り上げているのも、やってくる客が落とす雑多な情報の中に、世界樹に関するものがないかを聞き分けるためだった。 「やっぱり、母さんの病気を治すにはそれしか」 「しかしリリー。世界樹というのは、その……」 「分かってる、でも」 「……リリー」 リリーの母の病状回復を祈る一方で、世界樹なるものの存在にジェフは懐疑的であった。確かにリリーの言う通り、もはや伝承に縋る以外に道はないように思われた。だからこそジェフ自身も、都市のライブラリに記録された資料から民の噂に至るまで徹頭徹尾拾い上げ、世界樹についての情報を少しでも得ようと尽力した。 だが、結果は芳しくはなかった。手に入れた情報のどれもこれもが不確定で、噂話以上の効力を持ち得ないものばかり。有力な手掛かりなどひとつもない。この有様で、世界樹の存在を信じろというほうが難しかった。当のアイリスでさえ、「世界樹なんてただの伝説よ」と口癖のように言っていたというのに。 「あってもなくても、もうそれしかないの」 「それはそうだが……」 「私は見つけ出す。何としてでも」 決意に満ちたリリーの横顔に、ジェフは思わず目を伏せる。今日だって空いた時間を全て費やし端々まで調べ上げてきた後だというのに、収穫は案の定。しかしてそれをリリーに告げるには、ジェフはあまりに優しすぎた。 沈黙を誤魔化すべく、ジェフはリゾットに手を付ける。リリーの母親が作るそれと、見事なまでに同じ味だ。口全体に広がる出汁と薬味の香ばしさ。それは苦々しくも、温かい。 「美味いな、相変わらず」 「……ありがと」 リリーは振り返らず言う。普段は活発な女主人を演じているが、ジェフの前ではどうしてかその仮面を保っていられなかった。だからこそ、情けない顔など見せられない。 この店は、兼ねてからの母の夢であった。リリーが物心ついたときから、いつの日か、きっと繁盛させてみせると、母はよく語っていたのである。酒場の裏手に居を構えたあの日から、母の夢は今もここにある。 だから、酒場を守る。母が戻るまで、ここを守り続ける。その一心だった。 スプーンを一度皿に置き、ジェフは震えるリリーの背中を見据える。世界樹のしずく。例え夢物語だろうと、希望を捨てるわけにはいかない。彼女の気持ちが痛いほど分かるからこそ、ジェフは酒場に足繁く通い続ける。一滴にも満たない、世界樹の情報を手にして。 「そういえば、リリー」 少しぐらい空気を軽くしようと試みたジェフは、なるだけ楽しい話題を提供するべく口を開いた。今日はちょうど、いい話がある。気分転換にでもなればいいのだが。 「都市のほうに明日、行商ギルドが来る」 「行商ギルド?」 「なんでも珍しい品を取り扱ってるらしい。見に行ってみたらどうだ」 「ふうん……」 「世界樹の話が聞けるかもしれんぞ」 「そうねー」 さしたる興味もなし、といった反応。見誤ったか、とジェフは首筋を掻く。リリーにしてみれば当然だった。行商ギルドと言っても、本格的な古物商や工芸品売りもいれば、消耗品を安価で大量売りする痴れ者、果ては大して珍しくもないものを珍品などと宣って売りつける詐欺師紛いの不逞までいるのだ。 行商人はその職業柄、情報戦には滅法強い。中にはジェフの言う通り、世界樹についての情報を持っている者もいるのだろう。だが、酒場で行商ギルドの話題が出る度にあちこちへ覗きに行ってはいるものの、大半は土くれに値札をつけて意味深に並べているような奴らばかり。そんな、行商人として底辺の輩が、有益な情報など持っているはずもない。リリーが辟易してしまうのも無理はなかった。 とはいえ、不器用なオークの気遣いを無下にすることもないだろう。リリーは数十種類に及ぶ調味料の残量をひとつひとつ確認しながら、話題を続けようと声を上げる。 「あー、えっと、なんていうギルドか分かる?」 「そうだな、確かフォーク……なんだかと言ったか」 「えっ、ウソ! あのフォークロア?」 カウンターに前のめりになってまで、話に食いつくリリー。唐突な態度の変貌に驚くジェフだったが、思いの外興味津々なエルフの顔を見て内心嬉しくなる。 「ホント、ホントに? 間違いない?」 「あ、ああ。滞在申請書が出てたから間違いないと思うが」 「やった!」 娘は無邪気に飛び跳ねる。その嬉々とした表情、さっきまでの憂鬱そうな様相など微塵もなかった。ジェフはしまったとばかりに苦笑する。 「リリー、あまり騒がないでくれ。一応内部情報なんだ」 「あっ、そっか」 ごめんねジェフ、と言うリリーの口元は見事に上向きだった。喜色を隠し切れないリリーの元へ、従業員の一人が忙しげにやってくる。 「リリーさん、あっちの席で酒はまだかって」 「あっ、はいはーい」 女主人はご機嫌そうに樽ジョッキを抱え店内を走っていく。ジェフは彼女の上機嫌の理由に皆目見当がつかなかったが、多かれ少なかれ気が紛れたのなら問題はない。明快に酒場を駆け回る娘の背に微笑みながら、オークはまた一掬いリゾットを口に運んだ。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 今回はここまでとなります。 続:https://www.pixiv.net/fanbox/creator/2501462/post/953976 サムネ画像は「きまぐれアフター」様よりフリーのものをお借りしました。 リンク: https://k-after.at.webry.info/