■それはなんと特別な
「今年も来やがるな、例の日が」
「来るって、何の話っすか」
ゼミ終わり。研究室に戻るなり、坂東先輩が楽しげに話しかけてくる。何の話だか知らないけど、なんで毎度俺の席に居座って煎餅をバリバリ食べてるんだこの人。
「何って赤木お前、もう二月になるんだぜ。購買でも広告貼ってたろ」
「でも俺、最近購買行ってないっすから……」
「だーから、あれだよあれ」
食べかけの煎餅を突き出して、卓上カレンダーを指し示す。二月十四日。俺の誕生日の次の日。ということは、つまり。
「バレンタインだよ、バレンタイン」
「はぁ」
「なんだ、釣れねえなぁ。お前みたいなのって、すげーモテそうなのに」
「そんなことは」
確かに、バレンタインデーとか言ってチョコをもらったこと自体は何度もあるけれど。どっちかと言うと、くれる人くれる人皆、「餌付けしてやる」みたいな顔してたような。
「嘘つけ。お前んとこの可愛い猫ちゃんとかからよ、絶対もらってんだろおい」
「善ちゃんからは、まぁ、それは……」
そりゃもちろん、もらったことなんか幾度となくある。でも善ちゃんがくれるのは、決まって前日の二月十三日だ。単純に考えればあれは誕プレだろうし。
「……てか、そういう先輩はどうなんすか」
「そいつぁ野暮ってもんだぜ赤木。毎年ホワイトデーの返礼が大変ったらねーんだから」
「はぁ」
「おいおい。興味ねーみてぇな顔してねーで、お前も参加してみたらどうだ」
「参加……?」
「別に、恋人同士贈り合うだけがバレンタインじゃねーんだぞ」
「…………」
「日頃の感謝とかさ、そういうのを照れ隠しがてら贈れる日でもあんだぜ?」
最後の煎餅を食べ終わると、教授に呼ばれてるとかで先輩は研究室を出ていった。参加、かぁ。言われてみればバレンタインは貰ってばっかりで、誰かに贈ったりなんてことはしたことがなかった気がする。
日頃の感謝。そういうのでもいいのか。人々にとっての告白イベントのひとつ、みたいにしか思ってなかったから、少し目から鱗だ。
俺が真っ先に感謝を告げたい相手なんて、考えるまでもない。財布の中と睨めっこしながらどうしようか思案していると、端末が着信を告げる。ちょうどいいじゃん、せっかくだから頼りにさせてもらおう。
◆
「お、ここだここだ」
一時間後、俺は上機嫌な豹に連れられて、駅に併設されたビルに来ていた。衣服店やアクセサリーショップ、雑貨屋など様々な店舗が立ち並ぶ中に、バレンタイン用のチョコを売るスペースがあって。
あちこちに貼られた張り紙を見るに、どうやら特設されたものらしい。聞き覚えのある有名店のやら老舗高級店のやら、オーソドックスで安価なものやらがショーケースに陳列されているのを眺めつつ、泰利が不意に呟く。
「にしても、大智がバレンタインとはなー」
「え、なんだよ」
「いやだって、そういうの興味なさそうだなとか思ってたから、ぶっちゃけ意外で」
なんで皆してそう言ってくるのか。なんとなく自分には縁がないと思ってただけで。それに俺にとっては、誕生日ついでにチョコが貰えちゃう程度の認識しかなかったし。
「で、何買うんだよ。どうせ善人に渡すんだろ」
「お、おう……うん」
改めて言葉にされると、妙に気恥ずかしくなってくる。今までこういうことをした覚えがないせいか、少しばかり緊張もあった。特に今回は、先日のパンツの件で不機嫌にさせちゃったきらいがあるから、その詫びも兼ねてのことだし。
販売員のベンガルのお姉さんの視線にちらちら気を取られながら、ショーケースを見据える。どちらかと言うと女性客の多い中で、俺みたいなデカいのが甘味を眺めてるのは正直目立っていた。謎の緊張感と場違い感で、額に変な汗が滲みそうだ。
「俺はこれにすっかな」
悩みの坩堝に嵌まる俺の横で、泰利はささっと買うものを決めたようだった。ここに来る道中言っていたが、やはり悟にあげるらしい。楽しそうにラッピングを頼む横顔が、なんだか羨ましく思える。
善ちゃんと想いを伝え合った今も、俺は今一つどう振る舞っていいのか分かってなかった。身を寄せ合うとか一緒の時間を過ごすとか、別にそんなの、これまでもやってきたことだし。特別なことなんて、何も。
代金を払う豹の隣、相変わらず悩み通しの俺は、首筋を掻きつつふらふら目線を泳がせ始める。そうしてるうちにふと、あちこちに所狭しと垂れ下げられた、バレンタインの広告が目に入って。
「…………」
……そうだ。これって実は、絶好の機会じゃんか。
商品を受け取った泰利の後で、俺も販売員に呼び掛ける。そうして、なんとなく良さげと思ったものを一つ示せば、同時に同じものを指差すもう一つの指があって。
「えっ」
「えっ」
間の抜けた声が同時に上がる。驚いて顔を上げれば、ほとんど同時に目が合った。よく見慣れた不機嫌な目元が、丸くなって俺を見据える。
「善ちゃん」
「お、お前、なんで」
浮かれた豹の「ぷ」と笑う声が聞こえる。続けざまに、同じく微笑んだ様子の販売員が、少し跳ねた声色で「お包みしますか」と尋ねてきて。
「俺は……えっと」
言い澱む善ちゃん。正直俺もビビったが、むしろ好都合な気がした。思い立ったが吉時、ラッピング無しの旨を伝えると、受け取ったチョコの箱をそのまま傍らの猫に突き出す。
「え、あ、え?」
「……へへ」
こういうとき、なんて言えばいいのやら。俺の口はホント気が利かなくて困る。尻尾を丸めて迷った挙句、首筋を擦りながらとりあえず笑った。
「……お前これ、まさか」
「は、はっぴー、ばれんたいん……的な」
言いながら、ちょっとニヤケが強くなってしまう。なるほど、確かにこれは照れ臭い。背後では泰利がひゅーひゅーなんて茶化してやがるし。
「お前……渡すにしたって場所ぐらい選べよな」
「それはその……はは」
「しかもバレンタインデー、もっと先じゃねえか。なんで今なんだよ」
「そりゃだって、今渡したかったし……」
「…………」
呆れがちに口を開けた善ちゃんは、パンツのとき以上の顰め面を浮かべ、差し出したチョコをぶん取る。またやらかしちゃったかな、と思った矢先、善ちゃんも買い上げたチョコを俺に投げつけてきた。不意のことだったけど、どうにかキャッチする。
「善ちゃん、これは……」
「言わせんじゃねえっての。毎年やってんだろ」
「え、でも俺、まだ誕生日じゃないじゃん」
「…………」
無言で表情を歪めた善ちゃんは、大きな溜め息を残し去っていった。後には首を傾げる俺と、ケラケラと笑う泰利が残されて。
まぁ、なんでもいいか。俺は渡されたチョコを、いつも通り十四日になってから食べようと思ったのだった。
戒厳(水)
2020-02-14 04:18:05 +0000 UTC