■洗濯物クライシス
「……さて、と」
一人意気込んだ俺は、腕まくりをして目の前に積まれた洗い立ての衣服の山を見据えた。今日は頼みの猫は不在。背後のテーブルに置かれたメモには『洗濯よろしく』の走り書き。朝方慌てて出て行ったのか、キッチンのシンクには汚れた食器が積まれたままだった。
要するに、善ちゃんに家事を任されたということ。いやまぁ、家事の中でも比較的簡単な部類の仕事ではあるけど。しかして、珍しく家事を頼まれたのだ。これには、身だって腰だって入れざるを得ない。
「よっしゃ、やんぞ」
心なしか独り言にも気合が入る。洗濯なら今までも手伝ってたし、一人でやったことだって何度もある。今回だって立派にやり遂げてみせんぞ。
◆
「……ふう」
空っぽになった洗濯カゴを手に、ソファに座って一息ついた。窓際の、アルミの室内物干しに掛かった二人分の洗濯物を見て、満足げに笑む。上手く干せてるかは分からないけど、見かけだけなら上出来だ。
おもむろに立ち上がって、脱衣所までカゴを戻しに向かう。無事終わったし、あとは善ちゃんが帰ってくるまで適当にしてっかな。研究室の課題も済んでっから、ソファで寝っ転がっててもいいか。
鼻歌混じりにカゴを置き、脱衣所を後にしようとしたときだった。洗濯機の陰に何かが落ちてるのが見えて、屈んで手を伸ばす。掴んだ感触は柔らかい布のようだった。なんだろ、これ。何の気なしに目の前で広げる。
「あ……」
視界に映るのは……パンツ。黒地に緑のラインの、なんの変哲もないボクサーパンツ。柄とサイズから言って善ちゃんのだろう。俺のはもっとよれてて、ちょいちょい解れてて、二枚一組で売られてるような野暮ったいやつだし。
でも、なんでこんなところに善ちゃんのが。一瞬考えて、すぐに「やべ」と頬を引き攣らせる。もしかして俺、洗濯機に入れそびれちゃったんじゃ。
おもむろに鼻を近づける。嗅いでみれば、僅かに残る汗や芳香剤の香りに混じり、色々な匂いが鼻腔を突いた。あちゃー……やっぱこれ、洗濯し忘れてるわ。カゴをひっくり返して洗濯機に入れたから、そのとき落としたんだな。
パンツを広げたまま立ち尽くす。どうしよ、流石にこれだけカゴに残すのはマズいか。かと言ってこれひとつのために洗濯機をまた回すってのも、それはそれで善ちゃんに何か言われそうだ。せっかくいい感じに任務を終えられたってのに。
いやでも、待てよ。善ちゃんにバレなきゃいいのか。夕方前には帰るって言ってたし、たったパンツ一枚だ、早めにやっちゃえば間に合うだろ。そう思い、手に持ったそれを洗濯機に投入しかけたときだった。
「ただいまー」
玄関から善ちゃんの声がする。俺が出迎えるよりも早く、脱衣所を覗き込んでくる猫の顔。瞬時に手をポケットに突っ込んで、声を上げた。
「お、おかえり」
「……何やってんのお前」
「あ、いや……へへ」
「どうでもいいけど、洗濯はやったのかよ」
「そ……そりゃーもちろん」
泳ぐ視線を悟られぬよう、笑う。善ちゃんは鼻を鳴らしつつ、リビングのほうへ目をやる。
「おーおー、ちゃんとやってんじゃん」
「あ、当たり前だろ」
「やりゃあできんじゃねえか」
手放しに褒められ、思わず頬が緩みかけた。だけど、ポケットの中にあるブツのことを考えたら、喜んでばかりもいられない。
もしこれがバレたら。洗濯もまともに出来ないのか、なんて溜め息をつかれでもしたら。善ちゃんからの褒め言葉なんて、ただでさえ奇特なのに。台無しになんかしたくなかった。
「また今度頼むわ、大智」
「お、おう」
どことなく機嫌よさげな善ちゃんは、そのまま自室へと入っていく。俺は詰まりかけていた息を吐いて、再びポケットから例のものを取り出した。そうしてそれを、また広げる。
少し弛んだゴム。掠れて色褪せた生地。そして何より、仄かに香る善ちゃんの匂い。どうするんだ、これ。善ちゃん目ざといから、今すぐ洗濯機に抛るわけにもいかないし。
「……はぁ」
仕方ない、と肩を落とした。今晩風呂に入るときにでも、俺の服と一緒に洗濯機に抛り込めば、流石にバレないだろうけど。逆に言えば、夜までは持ってなきゃならないってわけで。
確認のため、もう一度鼻を近づけた。でも何度嗅ごうと、洗いそびれた事実は変わりそうもなくて。むしろ、普段の善ちゃんのとは違う匂いが漂ってくるせいで、なんだか落ち着かない気分になってくる。
慌てて首を振って、丸めたパンツをポケットに突っ込んだ。何やってんだ俺、こんな変態じみたことして。とにかく、バレなきゃいいんだ。夜まで部屋のどこかに隠しておくしかねー……よな。