「今からお前のこと、犯すから」
「は……?」
「……なーんつって」
飄々とお道化る狼が、夕焼けには不釣り合いなほどだった。意味分からん、という顔でそいつを見れば、傍らから俺がここに来たときに着ていた服を取り出し、持ち前のニヤケ面を返してくる。
「とりあえず着替えとけ。汗だくじゃ嫌だろ」
「ああ……って、はぐらかすなよ。なんだ、さっきの」
「別に。ただそういう設定にしようかなってだけ」
「設定……」
訝る俺の目の前に、梓馬はすっと端末を差し出してきた。送信済みのメッセージ欄には、『やっちまってもいいよな?』の文言。宛て先はどうやら、悟と泰利のようで。
「……んだよこれ」
「まあまあ、後のお楽しみっつーアレ」
楽しげに語る梓馬は、端末をひらひらとさせながら笑う。
「こんだけ煽りゃ、流石のアホ面も慌てんだろ」
「ホントに上手くいくのかよ、それ」
「おいおい、忘れてくれちゃ困るぜ」
あくまで疑念を抱く俺に、狼は自信たっぷりな面相で放った。
「梓馬くん、エスパーなんで」
◆
目が覚めると、朝だった。半開きの瞼のまま、鈍い上体を持ち上げようとするも、上手いこと起き上がれない。淡い光の中、ぼやけた意識をなんとか揺り戻す。
身体は動かなかったが、首は回せるらしかった。見慣れた天井、見飽きた部屋。だけど、久しぶりの光景。そのうち段々と頭が冴えてきて、ようやく腹をまさぐる手に気付く。
寝息と、少し汗ばんだ匂い。時折、耳元を嗅ぐようにマズルが微動してきて、こそばゆさで頬が疼いた。喜びと、安穏。長らく味わっていなかった感覚のせいか、現実味がない。
柔らかな日差しが眩しくて。俺を抱きかかえる腕が優しくて。なんかまだ、夢の透き間でも漂ってるみたいで。高揚感と、心地よさとで、胸がいっぱいになって。
「…………」
ホントに、夢なんじゃなかろうか。温もりの先にあるものは、実は全部幻かなんかで。あの日から続く空白の延長線上で、都合のいい空想に浸ってるだけなんじゃ。
背後では変わらず、深い寝息が続いている。寒気が鼻のてっぺんを撫でる度、抱き寄せてくる腕の力。後頭部をくすぐる呼吸。何度も夢に見た体温、匂い、感触。それらが一度に、しかもこんなにも傍にあることが、とにかく胡散臭くて。夢の端っこにいるみたいで。
「…………」
意を決して振り返る。頬に当たる朝日。伸びかけの毛並。涙でゴワついた目元。口を半分開けたままの、寝顔。
布団からどうにか腕を取り出して、頬をつつく。その度に頬が歪んで、射した光が色んな形状に移ろっていく。たまにむにゃむにゃと口角も動くせいで、余計にぼやけた光になって。
それを見てふと、笑みが零れた。アホな面だなぁ、ホント。昨日の晩のこととか、もしかして忘れてるんじゃねえかってぐらいの、そういう間の抜けた表情。久々に見るせいか、なおさら新鮮に思える。
……でもだからこそ、現実だった。夢でも幻でもない朝。最も近くにあって、最も遠くにあった存在が、間違いなく隣にいる。
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先行公開はここまでとなります。
全編については後日の投稿をお待ちください。
※全編では先行公開と描写の差異がある可能性があります。
あらかじめご了承ください。
※今回のヘッダー画像はアモウさんに
以前描いていただいたものを使用しております。