「なぁ」
大学の廊下に設置された無機質なソファ。往来の目も厭わず、そこに寝そべって隣に座る兎に話しかける。
「あん?」
相変わらず端末の画面から目を離さず、ぶっきらぼうに返事をされた。いっそ分かりやすく不機嫌だ。また上手くいってないのか。こう何度も微妙な空気を見せつけられると、殊更恋愛への不信感が募っていく。
「据え膳、食うタイプ?」
「はぁ、なんやそら。そらまた、藪から棒やな」
苛立ち気味に端末を膝に叩きつけ、今度は別の手に持ったウォークマンの操作を始める。こちらを一瞥する気すらない。表情を悟られる心配がないってのは好都合ではあるが。
「いいから答えてみろって」
「…………」
返ってくる無言。だが鼻がぴくぴくと動いている。一応興味は示しているらしい。この辺が水地の可愛げではあるものの、肝心の白虎には恐らく伝わっていない。センパイ鈍いからな、今でもこいつが気高くドライな兎だと信じてるんだろう。
「……そら、食うのが普通やろな」
「だよなぁ。用意されたもんには手ぇ付けるのが礼儀ってもんだし」
「ま、“梓馬くん”的にはそうなんやろうけど」
聴きたい曲が決まったらしくヘッドフォンをつけた兎は、立ち上がるなり廊下の往来に紛れていく。結局こっちを一度も見なかったな。欠伸を浮かべつつ目を閉じ、先日入学式で見つけた二人組に思いを馳せる。
無邪気そうな犬と、不機嫌な猫。とりわけ猫のほうは何やら挙動が不審だった。原因は恐らく、隣で窮屈そうにスーツに着られていた、アホ面の黒犬。てっきり不格好な友人を恥じてるのかと思ったが、あの様子は……十中八九。
思わず口角が上がる。ただでさえ閉塞感で窒息しそうなあの家から離れるために受験したような大学、四年間楽しめるかどうかも微妙なラインだったが……どうやら退屈せずに済みそうな――。
◆
――いつだったか、そんなやり取りを交わした覚えがある。あの頃は夢に思うわけもなかった。あの覚束ない猫と深い仲となって、挙句。
振り返り、ベッドで寝息を立てる猫を見る。よもやこれほどとは、さしものエスパーも予見できるはずがない。なんせこんな、奇特な状況。
乱れた毛並を指先でつつけば、小さく声を出しながら寝返りを打つ。一頻り泣き腫らした跡を目元につけて、しばしの安寧に微睡む。尻尾と耳とを微動させ、時折寝息を止めて、思いの外低く唸ってタオルケットを腕に抱え込む。
据え膳。そんな言葉が頭を過ぎる。貸した服に包まり、あまりにも無防備に寝そべる猫を見ていれば、どうしたって。
とはいえ、俺はあのとき水地とした会話を、自分から皮肉ってやるしかなかった。恋愛感情なんて無様なものに期待なんかしてなかったってのに。くだらなすぎて今すぐ過ちの一つや二つ、起こしてしまいそうだ。
「……なぁ?」
カーテンの隙間から細く差した月明かり。その艶に当てられながら、ひっそりと呟く。俺みたいなならず者からすれば、この状況は紛れもなく暗黙のOKのサインに他ならなくて。
シャツとハーパンの合間に覗く腰元を、指先でひと撫でしてやる。そうすれば忽ち――意外にもしっかりとした――体躯は仄かに震え、身を捩ってこちら側へ再び寝返りを打つ。
これを我慢しろって言うんだから、ポリシーとやらは残酷極まりない。身体を撫で回したりパンツの中を覗いたりしたって、罰は当たらなそうなもんだが。どうして自分のために据えられた膳じゃないのか。全く忸怩たる思いだ。
とはいえ、か。俺や水地が知るこちら側の不文律なんて、この純真な猫には何の関係もない。だからこそ俺は、こうして自ら――というよりは、“梓馬くん”が、か――掲げた方針と些細な良心に従って手を出さずにいるのだ。
……まぁ、理由はそれだけではないが。
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