しくじった。前触れなく掛かってきた電話が半ば一方的に切られたとき、そう悟った。ツーツーという無機質な音波が部屋に反響して、俄かに気が立ってくる。籠った熱を振り払うように端末をベッドに叩きつけたところで、ようやく自分が平静でないことに気付いた。 なんだ。なんなんだ、あいつは。毛並を乱暴に掻き上げ、先ほどの電話口の震え声を幾度となく反芻する。呼吸を荒げながら、何度も。 「…………」 舌打ち。己の慢心を恥じているのもあったが、何よりも想定外の事態への焦りのほうが強かった。ベッドの淵に腰かけ、気を落ち着けるべく腕を組んで深く息を吸う。 完全に見誤っていた、あの犬っころのことを。てっきり能天気で阿呆、単なる意気地ナシだとばかり思っていた。というか、そうだったはずだ。だからこそああやって、道化になってまで煽り尽くしたのだ。そうすれば自ずと、核心に近づけるのではないかって。 今にして思えば、なんと甘い見通しだったことか。いやむしろ、自分の中にある邪な感情が、そんな生温い想定を許してしまったのかもしれないと思うと。つくづく俺は恋愛事に向いていない、などと嘲笑えてしまいそうだ。 何にせよとにかく浮かぶのは、くしゃくしゃになって笑う猫の横顔。ある意味望んだ結果にはなったが、望む過程にはならなかった。これでは皮肉にも程がある。自称エスパーが聞いて呆れるほどの体たらく。我ながら情けねえの。 ……ああ、だが。このままおめおめと言いなりになる梓馬くんではない。ハンガーに掛けたばかりのジャケットをすぐさま羽織ると、靴の踵を踏んだまま玄関から飛び出した。 ◆ 「大智ならいねえけど」 バイクで乗りつけた先、猫が欠伸混じりに告げたのはあの犬の不在だった。外の気温と汗ばんだ身体も相まって、余計に不快指数が募る。開け放しされたアパートの扉に身体を預けつつ視線を返せば、寝惚け眼がこちらを覗いた。 「……どこ行ったか知ってたりしない?」 「え、分かんね。なんか起きたらいなかったから」 目元を擦りながら、善人は振り向いて部屋の様子を窺った。蛻の殻という表現がしっくりくるほど、室内に人の気配はない。ただエアコンの風が足元を擦ってくるぐらいで。 「そもそも大智に何の用なんだよ。珍しいっちゃ珍しいが」 「ああ、用件は……」 見上げてくる眼差しに気を良くしかけたが、ゆっくりと顔を逸らす。自戒なんて柄じゃないが、状況が状況だけに直視はできそうもない。申し訳なさを隠し通せるか微妙だ。 「……んなの、善人ちゃんに会いに来たに決まってんじゃねーか」 「はぁ? 大智探してんのに俺に会いに来たって……お前、なんか変だぞ」 「へえ、そう見えちゃう?」 「いつも変だけどな、今日は特に」 「言うねえ、可愛い顔して」 「可愛いは余計だっつの」 立ち話もなんだし、と善人に部屋に上がるよう促され、そこは素直に従った。こういうときの善人ちゃんはなかなか侮れない。妙な素振りでもして、これ以上察されては困る。それこそエスパーの名折れだ。 「そういやお前、うちに初めて来たんじゃね」 「そりゃなぁ。二人の愛の巣に踏み入るなんて、梓馬くんには気が引けちまって」 「まーた戯けたことを……」 通されたリビングは思いの外冷え切っていた。寒々しい空気が全身にまとわりついて、仄かな息苦しさすら覚える。猫はいつもの不機嫌そうな目つきになってエアコンの温度設定を弄ると、ソファに腰かけこちらを仰いだ。座らないのか、という催促。 「なに、誘ってんの」 「喧しいわ」 怪訝そうな眼差しをはぐらかしつつ、部屋一帯を観察する。愛らしい猫とのランデヴータイムも悪くはないが、今はあの犬のことのほうが気掛かりだった。一刻も早く知らねばなるまい。あのアホ面の裏の真意を。 「なあ」 「ん」 「あの犬っころ、なんか言ってたか」 「いや……なんも。誰かに電話してたような気はするけど」 不安を筆でなぞったような尻尾のうねり。丸まった背中は小さく息づいて、相変わらず俺のほうを無垢な目つきで見上げてくる。肌寒い部屋に、二人きり。いつもならとうに籠絡してるであろうシチュエーション。 「……梓馬?」 「…………」 「お、おい。どうしたんだ」 不意に隣に座り、身体を近づける。肩にぶつからないようソファの背もたれに手をついて、マズルを寄せていく。こそばゆい匂いがする。距離が徐々に詰められていき、そして。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 先行公開はここまでとなります。 全編については後日の投稿をお待ちください。 ※全編では先行公開と描写の差異がある可能性があります。 あらかじめご了承ください。