【ss 二人の逢瀬~本編39話以前より】
Added 2019-04-15 20:39:45 +0000 UTC「さ……悟」 鼻先に豹の吐息がぶつかる。その刺激にくすぐられ、激しさを増していく動悸。この部屋の暗さでは、ここまで近づかなければ相手の表情を窺いようがなかった。こんな、互いの熱で恥ずかしくなるような距離でもなければ。 「その、ま、マジでやる……感じ?」 困惑と期待。相反する両者が入り混じった瞳は、翳りの中でですら慎ましい色を放っていた。底知れぬ愛しさを覚えながら、俺は静かにそいつの尻尾を掴む。 「……っ」 「ここまで来てお預け食らわすつもりなのか」 「そ、ういうわけじゃねーけ……あっ」 下卑た笑みを浮かべ、また尻尾を摘まんでやる。悪いが返事なんかさせる気はない。それに、こうすればこいつは断り切れないことだって分かってやっている。我ながら卑怯じみてることは自覚しているが、こういう身体してるこいつが悪い。 「可愛い声出すよな、ホント」 首元に顔を埋めつつ、ぼそりと呟いてやる。これはある意味俺の歯止めでもあった。これを言われた泰利がどんな表情をしてるやら。想像に難くはないものの、実際に見てしまったら恐らく俺はいよいよ何をするか分からなかった。 「…………」 そいつは腕で顔を覆ったきり、口を噤んでしまう。それでも抱えてしまった衝動は抑えきれないらしく、時折俺の指先に合わせるように喉の奥から嬌声を漏らしていた。 ああ、良かった。こんな鳴き声を他の誰かに聞かせるなど有り得ない。だからこそ、決して多くはないバイト代を注ぎ込んでまで、こうしていかがわしいホテルの一室を借りたのだ。こいつのこの声を、独り占めするために。 男同士ということもあってか受付の人に微妙な顔をされたが、そんな些末なことも気にならないほどにこの享楽は筆舌尽くし難い。 「……っぁ」 決して罪悪感がないわけではない。確かにこうして身体を許してくれてるとはいえ、俺のこの行為は、元々こちら側にいなかった言わば“普通の人”を引きずり込む所業だ。 一般的に俺や善人、あの狼のようなタイプは、先天的なものだと聞く。そういう意味では泰利も才能はあったのかもしれないが、俺と出会わなければ普通の人生を歩めていたのかもしれないと思うと。 「ふっ……ん、ぐっ」 最もいやらしいのは、そんな感情ですら背徳感に変えてしまえている自分自身だった。俺が指を這わす度、すぐ傍らで息が弾む。心音が跳ねる。もう片方の手の中で、握られた拳が力を持ったり失ったりを繰り返している。 「悟……」 どのくらい時間が経ったのかも分からなくなった頃、唐突に豹が俺の名を口にした。嬌声の合間に発せられたそれは、明瞭な熱気を帯びて鼓膜越しに脳髄を揺るがしてくる。 ……正直なところ、了承さえ得られれば最後まで行為に及んでしまいたいぐらいだ。しかして俺の倫理観も流石に弁えているのか、こいつの一番大事な部分には未だに触れていない。妙なところで臆病なのも、まさしくご愛敬と哂えるような歪んだ関係。 「…………」 かと言って俺も、別に優しいわけではなかった。どうせなら俺に溺れてくれればいい。その昂りを貪らせてくれればいい。それであわよくば、俺だけの存在になってくれれば。 「……は、ふあっ……んぁ」 だから俺はこうして、斑の首筋に噛み付いてやる。こいつが誰のものか、誰の目にも分からせてやる。山吹の毛並が赤らんでしまうほど鮮烈に。焼け付くような証左を。 「ぐ……ぁ」 一方的だと言われれば、確かにそうかもしれない。それでも俺はこの身勝手なマーキングを止められそうになかった。例えエゴに満ちた行いだろうと。例え不健全な衝動だろうと。 「さと……俺……」 一度首元から口を離したところで、不意に目が合った。その色が懇願なのか、哀訴なのか。今の俺ではとても冷静に判断できそうもないが。そいつの下腹部に伸ばしかけた手を、無理矢理理性で押し留める。 やはり駄目……だ。勢いでやってしまうには、あまりにも不純すぎて。こいつの口からそれを聞けるまでは、これ以上のことは。 「…………」 「…………」 互いに無言になって、僅かな灯りを頼りに瞳の奥を探り合う。それはなんだか今更のようで、いっそ馬鹿馬鹿しくも思えた。だけど同時に、俺たちには必要なことのようにも思えていて。 そうしてるうち、次第に照れ臭さが増してくる。それは向こうも同じなようで、俺たちは揃って視線を泳がせた。ふと目に入ったデジタル時計が、制限時間の終わり際を告げている。衣服を整えて上体を起こした泰利が、小さな声で言った。 「……誰にも言えねーな、こんなん」 「……そうだな」