財布が壊れた ①
Added 2023-09-16 02:00:00 +0000 UTC財布が壊れた。 というか、前々から壊れていた。 何年前に買った財布かもう覚えていないが、ファスナーが開かないというか、空きもしなければ閉まりもしない。表面も中身もボロボロで、財布が財布としての役割をまるで果たしていないのだ。 「ダメでしょ、さすがにこれは。買い替え時だって」 恋人の咲も苦言を呈する。誠に遺憾ながら、俺も同感だった。 「……そうだな」 モノには寿命がある。生きていようが死んでいようが、それは変わらない。 ただでさえ財布は消耗品。一年で変えるべきという人だっているくらいなのだ。 「仕方がない。新しいのにするか……」 せっかくの機会だ、新品の財布を手に入れようと決意したところで…… 「ん?」 「……どうしたの?」 立ち上がった俺は、机の引き出しを開ける。相変わらず整理されていない空間をまさぐって、一本の小瓶を取り出した。 「えっと? ほんとにどうしたの? 財布買いに行くなら私も行くけど」 きょとんとした様子の咲に、 「……ああ、そうだな」 そして、その日俺たちは適当な雑貨屋さんに行き、ちょうどいい感じの財布を購入して帰路につき…… 「7千円でそれなりにいい財布が買えたね」 「そうだな。はい、お疲れ様」 コーヒーのマグカップを差し出した俺に、咲は何の疑いもなく受け取って。 「ありがと、じゃあ私、これ飲んだら帰るね」 「ん、わかった」 そして、宣言通りコーヒーを飲み終えた先は、いつものように玄関から家に帰っていって…… 「……やっぱり新しいものを買ったなら、それなりのエピソードが欲しいよなあ」 一人残った俺は、少しだけ悪い顔を浮かべた。 憑依薬とは、読んで字のごとく、憑依をさせる薬である。 憑依というと、幽霊がモノにとりつくとか、そう言ったイメージを持たれることだろう。その認識はあながち間違っていない。 これを飲んだ人間は魂が抜け出して、ほかの人間やモノに憑依することができるのだ。 誰かになりたい、誰かの体を乗っ取りたいときに関して言えばこれ以上の品物はないし、実は俺もそれなりにいい思いをしてきた。 「でも、咲は実際見た目も性格もコンプレックスとかないしなあ。実際憑依薬も使ったことないだろうし、興味もないんだろうなあ」 だが、やったことないといわれればやらせてみたくなるのが人の性。 取り出した財布を手でもてあそびながら、俺はボンヤリと考える。 「魂の憑依先を財布に指定して、コーヒーに薬を混ぜて……一応手順通りにやってみたけど、大丈夫かなこれ……」 憑依薬は特段危険な代物ではない。少々高いが、ドラッグストアなんかでも当たり前のように販売されている代物だ。コーヒーに混ぜても問題ないことは確認済み。だが、人を財布に憑依させたことなど俺も初体験だ。 「説明書でもネットの情報でも問題ないらしいし、実際ブームになってるらしいからやってみたが……面白いのか? これ」 今回の趣旨をいまさらながらに疑いだしたが、そんな俺の退屈は、すぐに終わりを告げる。 「……おっ」 買ったばかりの黒い財布。机の上に置いたそれが、ぴくぴくと、まるで生き物のように震えはじめた。無機物であるはずのそれに、魂が入りだしたような、そんな光景。 そして、びくびくと小刻みな振動が不意に、ビクンっ、と、一度のけぞるように震え、今度は打って変わってゆったりとした振動に変わり始め― (ん……んんッ……ん……?) 「おーい。俺の声聞こえるかー?」 (卓也……?) びくり、と、目の前の財布が動く。だが、あいにく俺に物の心なんぞは読めない。 ただ、十分だ。 「その反応からして、無事に財布に憑依できたみたいだな」 確信をもって告げると、財布のほうも今度はぶるぶると震えはじめる。どうやら俺の言葉を理解しているらしい。 (ちょっと! 卓也⁈ これどういうこと? 私今どういう状況なの⁈) そして、なおも反抗的なその財布に真実を伝えるために、俺は財布を丁寧にとって、ゆっくりと鏡の前に持って行って。 「はい、これが今のお前。憑依薬を使って新品の財布に憑依させてみました。面白いかなって思って」 (⁈) 札入れの口が開いていたので、文字通り、開いた口がふさがらなかったのかもしれない。