アツアツのフライパン 前編
Added 2023-07-08 06:00:00 +0000 UTC(颯斗おっ、お願いっ、体、熱いのおおっ……) 「……」 颯斗は非常に心苦しい面持ちで、目の前の恋人の醜態を見る。 本来ならば、身体の疼きを訴える恋人など、秒で抱きしめるのが恋人の務めではある。 だが、 「い、いや。さすがの俺でも、これは無理だ」 (ううっ、はやとっ、どうしてそんなひどいこと言うの……っ、体、火照っててっ、私っ、もうもうっ……だからああっ、お願いっ) 甘い声が直接頭に響けど、颯斗はその場から微動だにすることもなく。 ただただ申し訳なさそうに、頭を下げるだけだった。 そして、 「……いや、いくら俺でも、アツアツに熱したフライパンを抱きしめるのは無理だって。どう考えてもやけどするし、普通に病院送りだから」 (……そんなあっ) とまあ、それなりの常識人である颯斗は、甘く切ない恋人の懇願に、きっぱりとノーを突き付けた。 事の発端は、この恋人。美優が持ってきたロープだった。 「ねえねえ颯斗っ、私と入れ替わってエッチしようっ! このロープを二人がつかむと、身体が入れ替わるんだってっ! 土産屋のおじさんが言ってたっ」 「そうか。どこかの秘密道具にでも出てきそうなやつだな」 相も変わらず趣味のおかしい恋人に、颯斗はにっこりと笑って、 「レシートもらってるなら、返品しておいで」 「なんでよ!」 ありえないとばかりに憤慨する彼女。 だが、颯斗から言わせれば、こちらのほうが理解に苦しむのだ。 「なんでそんな怪しいもの買ってくるんだよ。そして万一入れ替わったとして、そのままエッチするのか? お前が俺になって俺を抱くってことだろ? 自分に抱かれるなんて普通に嫌だろ」 「で、でもっ」 「それから万一入れ替われたとして。安全に戻れるのか? こういうアイテムって、戻れなくなったりするのがお約束だろ。いまさらそんな使い古された手を食らってたまるか」 そして、万が一にでも美優が強引な手を取らぬように、すぐさま距離を取る。 ここまでやるのが、颯斗という男だった。 実際彼の危機回避能力は完ぺきで、この時点でこの二人が入れ替わるというパターンは、完全に掻き消えた。 ただ…… 「なによ! せっかく私が面白いもの買ってきたんだから、一緒に遊ぼうようっ!」 「うわっ、こっちくるなっ!」 ロープの端をぶんぶんと振り回しながら追いかけてくる美優と、命からがら逃げ続ける颯斗。 そして、テーブルの周りから台所に逃げたところで、 「やばっ、追い込まれた……!」 「ふふっ、さあ、おとなしく犠牲になりなさい……!」 「犠牲って言ったな! 彼氏を何だと思ってるんだ!」 「え? ええっと……おもちゃ?」 「最悪の彼女をもって俺は絶望だよ!」 しかし、最早体制の問題上、逃げることはかなわず。 悪魔のような彼女が、鞭のごとく、ロープを振りかぶろうとして…… 「……あ」 「え……? きゃああああっ!」 運悪く、台所のフライパンにぶち当たったところで、まばゆい光が周囲のすべてを包み込んだ。 「まあ、要するにあれだよな」 (……なによ) 「……いや、俺も言いたくはないけどさ。これを言うのは心が苦しいんだけどさ……うん。完全にお前の自業自得だよな」 (言わないでえっ!) 心外だとばかりにいろいろな声が聞こえるが、質の悪いことに、目の前にあるはずの彼女の体はあれから微動だにしない。 代わりにプルプルと痙攣を見せるのは、何の変哲もない最近買ったフライパンだった。 「どれどれ……ほんとにお前がフライパンと入れ替わったのかな……」 試しにコンコンとたたいてみると、 (んにゃあああっ! ど、どこ触ってるのっ、へんなところこんこんしないでっ、颯斗のエッチっ!) 「ふーん。デリケートゾーンなのか?」 (い、言うわけないでしょ。馬鹿……) 「ふーん……」 珍しく歯切れの悪い美優。 普段の偉そうな態度とは打って変わってしおらしく(フライパンなので雰囲気はわからないが)、いつもの悪女らしさはみじんも見えない。 だから、 「まあ、普段から散々好き勝手やってることだし。これはまあ、ちょうどいい仕返しのチャンスってことだな」 (っ、あ、こらっ、どこさわってっ、あ、あんっ、やめ、やめなさいっ、んっ、っ! んあああっ!) 少しだけ気分がよさそうにフライパンの取っ手をつかんで、甘い声を聴くことにした。