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クールスパイの甘い鳴き声 ①

「それで、私に何をしろというのでしょうか」 俺の目の前に現れた直属の部下、フィンは、その相も変わらない鉄仮面でそう切り出した。 「いや、あのさ。別に今はそこまでかしこまらなくてもいいんだぞ? 仕事中はスパイだからしょうがないとしても、今お前がいるのはうちの会社なんだから、そんなに肩ひじ張らなくても……」 「勤務時間には変わりありません」 いや、そりゃそうなんだけど…… 「それに、こうして呼び出されたということは、仕事の話でしょう、ボス」 「う、うん。まったく持ってその通り、その通りなんだけど……嫌なら断ってもいいんだからな? 仕事を選ぶ自由くらいは保証されてるわけだし」 この心配も嘘じゃない。 スパイってのはどこの会社でも嫌われるものだし、犯罪になることがほとんどだ。だから当然、会社がスパイをたくさん持っていることはまずない。 しかし、例外はある。 「うちはスパイ派遣会社なんだから、無理な仕事なら無理って言ってくれればほかのやつにまかせるし、なんなら……」 「社長」 「……」 短い言葉で俺のセリフを遮るフィン。こうなってしまうと俺にはどうすることもできない。 社長なのに……トップなのに…… 「社長、死ぬはずだった私を助けていただいたこと、私は本当に感謝しております」 「……だったらもう少しうれしそうな顔をしてほしいなあ」 「ゆえに、私は仕事を果たさなければいけません。スパイとして死に損ねたなら、スパイとして生きるほかないのです」 「会話がかみ合ってないなあ。いや、もっといい生き方もあるだろうよ、ほら、花屋さんやるとか、もしくはいい人見つけて幸せになるとかさあ……」 「分かりました。では」 そういうと、資料をもってそそくさとフィンは退出していった。まるで俺の話を聞いてはくれない。 大丈夫かなあ、と、若社長の俺としては、若干の心配があった。 「あのさ、フィンに任せた仕事ってあったろ、危険性はないって聞いてはいたけど、よく考えたら俺、あの内容詳しく見てないんだよね。ちょっと持ってきてくれる?」 日付が変わってもなんだかすっきりしなかった俺は、ちょっと側近に尋ねてみた。 「かしこまりました。ええと、こちらですね」 「ああ、ありがとう。ええと、なになに……」 資料に書かれていたのは、水族館の写真だ。なるほど、そっち系ね。 「水族館の職員になって、極秘情報を入手……よしよし。これなら確かに危険はないし、あいつにとってもいい息抜きになるはずだ」 どうせ極秘情報と言っても、政治的なうんぬんかんぬんに比べれば大したことないだろうし、動物の世話は大変かもだが、あいつの優秀さは俺も認めている。顔には出さないが動物好きだと前に聞いたこともあるから、うちの管理職はいい割り振りをしたと言えるだろう。 「しっかしまあ、我ながらいい会社を作り上げたものだ」 正確に言えば、いい会社といい技術だ。 スパイにとって最も大切なのは、情報を奪うこと。そのために必要なのは、潜入だ。 「潜入ってのはつまるところ、成り代わりだろ。そいつの姿にばっちり変身できればいいわけだ。遺伝子レベルで別人になるなんて技術、ほんとにできるとは思わなかったよ」 科学者には大金をはたいたが、全然お釣りが出るレベルだ。 「まあ、元一流のスパイ、いまはちょっと評判が下がって準一流ってとこだろうが、大丈夫だろ、ええと、この写真の人に化けるんだろ?」 「ええ、そう書いてありますね」 「そか、じゃあ、明日にでも様子を見に行ってやるか」 「でしたらたまっていた仕事を片付けていただいて……あ、少々お待ちください、電話に出てきます……あ、はいもしもし、どうかしましたか? ええ、はい……」 側近が電話に向かってしまったが、いつものことだ。 俺の出る幕もないほど、会社の流れは順調で、当然フィンの仕事だって、成功するようにできている。万一失敗が起きたところで所詮相手は水族館。その辺の企業に比べればどうにでもやりようはあるのだ。 「……はい、わかりました……それじゃあ」 側近が電話を切って、俺の紅茶におかわりをくわえる。 「それにしても平和だなあ。スパイってのはもっと殺伐としてるもんだが、なあ?」 紅茶を注いでいる人間に振る言葉ではなかったが、さすがに創設時から付き合いのある側近。 そいつは今日もにっこりと笑って、 「社長、緊急事態です。フィンさんへの依頼内容に、重大な不備が発覚しました」 「……は?」 一分後 「どーいうことだ! うちの管理職は優秀なんじゃなかったのか!」 「目を通さなかったあなたにも問題があるかと。目をかけていたのなら最後まで徹底なさってください」  そりゃそうだけど……だけど! 「これはまずいぞ! どれくらいまずいかって、うちの会社始まって以来初めてのピンチだ!」 さて、うちの会社の理屈を振り返ってみよう。 業務内容、スパイ。 方法、独自に開発した技術で他者に化け、情報を得る。 これがすべてで、何一つ間違っていない。 が、一つ付け加えると、これ、化ける対象は人間にも限らないのだ。 そう、つまり今回の大ミス。フィンが化ける対象だが…… 「あんまりにもあんまりだぞこれ……! 飼育員じゃなくてメスのアシカになるって知ってたら、さすがのフィンも受けなかったって絶対! でもってフィンは今なんだって⁉」 「定時報告はありませんでした。怒って仕事を投げ出したか、素直にアシカになった挙句人間の手と声が使えなかったか……」 「……」 前者ならまだいい。いいんだ。こっちの会社のミスだから、うちの手違いだから怒る気はない。頭を下げるのはこっちの方だ。 「後者ならどんな顔して合えばいいんだよぉぉぉっ!」 側近とともに高級外車に乗り込み、今日の予定を全部取りやめ、水族館へ向かった。


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