NokiMo
あいまり
あいまり

fanbox


新たな自分が宿る時【有料公開版】

「はッ、はッ、はッ」  荒くなった吐息と、履いているハイヒールがカンカンと小気味よくコンクリートの床を叩く音を聴きながら、私、関内結衣は、とあるビルの階段を一段飛ばしで駆け上がっていた。  目指す場所は、このビルの二階にある伊瀬知探偵事務所。  私は以前、この探偵事務所を経営者であり幼馴染でもある伊瀬知優希に、パラシー研究所という場所の調査を依頼した。  この研究所が、最近多発している行方不明事件に深く関与している可能性があったからだ。  そして今日、研究所を調査していた優希から、調査結果が出たというメッセージが来たのだ。  メッセージを見て居ても立っても居られなかった私は、仕事を終えてすぐに、その足でそのまま伊瀬知探偵事務所へと向かった。  着替える時間も惜しかった為に制服のままだったが、今はそんなことを気にする余裕など無い。  階段を駆け上がった私は、すぐさま事務所の扉を開けて中に飛び込んだ。 「優希ッ! あのメッセージ、本当なの!?」 「おわッ! ……結衣、そんなに慌てなくても調査結果は逃げな……」 「早くしないと行方不明者が……! 結果はどうだったの!? 研究所と事件が関与している証拠は……!」 「落ち着いてってば」  優希の返答を急かす私に、彼女は苦笑いを浮かべながら私の肩をポンポンと叩いた。  そこで、初めて息が掛かるくらいの至近距離で優希に詰め寄っていたことに気付いた。 「ご、ごめん……焦っちゃって……」 「ううん、仕方ないよ。結衣は昔から正義感強かったし……ホラ、これが調査結果」  謝る私に優希は微笑みながらそう言うと、近くに置いてあった薄い紙の束を手渡してきた。  ……研究所と事件の関与を証明する証拠が、たったこれだけの紙の量で収まるのか……?  そんな風に違和感を抱いていると、優希は私の肩を掴んで近くにあったソファへと促し、肩を握る手に力を込めて座らせてくる。 「ホラ、とりあえず座って。……今コーヒー淹れてくるから、それ読んで待ってて」  彼女はそう言うと、コーヒーポットがある方に向かって歩いていく。  そんな彼女の後ろ姿を見送りつつ、私は渡された紙の束に視線を落とし、小さく息をついた。  ……とにかく、この中に今回の行方不明者多発事件に関する重要な証拠が書かれているんだ……。  逸る鼓動を抑えながら、私はそこに書かれている今回の調査結果を読み始める。 「……」 「お待たせ~。とりあえずこれでも飲んで落ち着いて……」 「どういうことなの!?」  のんびりした口調で言いながらコーヒーの入ったマグカップを置く優希に、私は咄嗟にそう声を荒げた。  それに、彼女はビクッと肩を震わせて私の顔を見た。 「な、何……? どうかした……?」 「研究所と事件には一切の関係性は無いって……どういうことなの……!?」  私はそう怒鳴りながらテーブルに紙の束を叩きつけ、対面に座る優希の目を見つめる。  おかしい……そんなはずが無いのだ……。  彼女に研究所の調査を依頼している間、私も行方不明者の捜索の中でこの事件に関する情報を集めていた。  それらの情報から考えれば、研究所とこの行方不明者多発事件の関係性はほぼ確実と言っても過言では無かった。  確証は無かった為に警察を動かすことは出来なかったが、優希が集めている研究所の情報があれば、研究所を調査して行方不明者の居所を突き止めることが出来ると踏んでいた。  だと言うのに……研究所と事件に、関係性は無いだなんて……。 「どういうことって……そのままの意味だよ。依頼を受けてから、研究所に張り込みをして調査したけど、今回の事件との関係性は全く無かった。パラシー研究所はシロ。行方不明者の捜索は他を当たった方が良いよ」  しかし、優希は悪びれる様子も無くそう言いながら、テーブルの隅に置いていた銀の入れ物を手に取った。  彼女は中に入っていた角砂糖をピンセットで摘まみ、黒い液体の中に落としていく。  ……あれ……? どうして、コーヒーの中に……角砂糖を入れている……?  優希は……甘い物は、苦手じゃないか……。  物凄く苦手というわけでは無いが、自分から好んで食べる程好きでは無い。  人から貰ったり、食べないといけない状況になれば仕方なく食べるが、基本的には辛味や苦味等の渋めの味を好む方だった。  だからコーヒーや紅茶等の飲み物には砂糖やミルクを混ぜることは無く、いつも何も入れずに飲んでいた。  だから、自分から角砂糖をこちらが数えきれない程大量に入れるようなこと、するはずが無いのだが……。 「結衣? どうかしたの?」 「いや……なんで、角砂糖入れてるの……?」 「うん? あぁ、気分? 甘い物を飲みたい気分になって」  そう言いながらティースプーンでコーヒーを混ぜる優希に、私は自分の鼓動の音が早くなっていくのを感じた。  甘い物が苦手な優希が、甘い物を飲みたくなる?  今までそんなこと無かった。あるはずが無かった。  それに、今回の調査結果も違和感がある。  優希の調査はいつも丁寧で、こういう調査でも研究所と事件に関係があっても無くても、詳細な情報を正確に集め、下手な文庫本より厚い紙の束にして渡してくるのだ。  なのに、この紙に書いてある情報は異様に少なく、彼女らしくない。  ……彼女……らしく、無い……? 「結衣……? どうしたの? 何だか、神妙な顔して……」 「……まさか……」  不思議そうに聞き返す優希に、私は掠れた声で呟く。  まさか、今の優希は……偽物なのでは……?  ふと沸き上がった、現実離れした突飛な考えに、私は静かに言葉を飲み込む。  そんなこと、有り得るのか……?  しかし、この仮説が本当だとすれば、今彼女に抱いている違和感に説明がつく。  でも、もしそれが本当だとしたら、本物の優希はどこに……? それに、今目の前にいる優希は何なんだ……?  クローン? ドッペルゲンガー? それともアンドロイド?  分からない……けど、とにかく今は、彼女と二人きりのこの状況が一番危険だ。 「……それじゃあ、私はそろそろ帰るよ」 「えっ? もっとゆっくりしていきなよ」 「研究所と事件に関係性が無いなら、また新しく情報を集め直さないといけないし……優希も他の依頼で忙しいだろうから、今日はもう帰るね」  口早にそう答えながら、私は素早く荷物を纏めつつソファから立ち上がる。  ……もしかしたら、彼女は研究所の調査をしていたことで目を付けられ、偽物とすり替わったのかもしれない。  そうだとしたら、いよいよ研究所がクロである可能性は確実なものになっていく。  しかし、大切な幼馴染が事件に巻き込まれている可能性があるとすれば、悠長に家に帰っている場合では無い。  こうなったら、このまま警察署に戻り、上司に無理を言ってでも研究所の捜査を強行しよう。  最悪父のコネを利用すれば、強引にでも……──。 「……ッえ……?」  素早く思考を巡らせながら事務所を出ようとした時、後ろから腕を掴まれたことで、私の体はガクンッと停止する。  慌てて振り向くと、そこには……無表情で私の腕を掴む、優希の姿があった。 「……優希……? 何を……?」 「……」  掠れた声で尋ねる私に、優希は無表情のままグイッと私の腕を引っ張った。  突然力ずくで体を引き寄せられた為に、咄嗟に反応することが出来ず、私は彼女の元に歩み寄る。  すると、優希は私の腕を両手で掴むと体を捻り……──ッ!? 「がはッ……!?」  気付いた時には、私は優希の手によって投げ飛ばされていた。  背負い投げの要領で事務所の客人用のテーブルの上に投げつけられた私は、上に乗っていたマグカップや書類を巻き込みながら、床に転がり落ちる。  私の体がぶつかったことでマグカップは床に落下して粉々になり、温くなったコーヒーが私の体と床を濡らしている。  銀色の入れ物に入っていた角砂糖も床に散乱し、零れたコーヒーによってジワジワと溶けていく。  先程見せられた研究所の調査結果もコーヒーに塗れ、グシャグシャになって床に落ちていた。  制服がコーヒーで濡れたことによる不快感と、強く体を打ち付けたことによる鈍い痛みを感じながら、私は何とか体を起こす。  すると、優希が無表情のまま、ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。 「……貴方は……誰なの……?」  こちらに歩いてくる優希に、私は咄嗟にそう問いかけた。  すると、彼女は僅かに目を丸くし、コテンと首を傾げた。 「……誰……?」 「優希はッ……こんなこと、しないッ……! 優希は甘い物が苦手で……ッ! 依頼はいつも必要以上に丁寧にこなして……ッ! 優しくて、正義感が強くて、思いやりがあるッ……お前とは真逆の人間なんだッ! お前はッ……何者なのッ……!?」  私はそう聞き返しながら、近くに落ちていたマグカップの破片を手に取り、彼女の方に向ける。  すると、彼女は無表情のまましばらく間を置いた後でニヤリと口元に弧を描き、自分の胸に手を当てた。 「誰って……私は紛れもない結衣の幼馴染、伊瀬知優希だよ?」 「そんなわけッ……」 「でも、確かに今までの私とは違うかも。……だって、私はご主人様の手によって自分の存在意義に気付き、生まれ変わったのだから……!」  演技がかったようなわざとらしい口調で言いながら、彼女は両手を広げて悦に入った満面の笑みを浮かべる。  ご主人様……? それに、生まれ変わっただって……?  困惑していると、彼女は歪な笑みを浮かべたまま続けた。 「結衣、ありがとうね? 貴方が研究所の調査を依頼してくれたおかげで、私はご主人様に出会い、ご主人様の奴隷として生まれ変わることが出来たのだから」 「……は……?」 「私の脳にはね、今、Pr-10っていうご主人様が開発した生物が寄生しているの。この子が教えてくれたの。私はご主人様の命令に服従し、ご主人様の手足となり、ご主人様の幸せの為に生まれたのだと……! 結衣のおかげで、私はご主人様の奴隷として生まれ変わることが出来たんだよ? ありがとう、結衣。まるで、恋のキューピットだね」  恍惚とした表情で語る優希に、私はマグカップの破片を握った手をゆっくりと下ろしながら、言葉を失う。  ……彼女は……何を、言っているんだ……?  頭に得体の知れない生き物が寄生していて、優希はご主人様とやらの奴隷となる為に生まれてきた……?  ……研究所で、寄生生物を頭の中に埋め込まれたのか……?  ということは、彼女の言うご主人様とは、研究所の人間か……?  ソイツのせいで、優希はこんな風に……洗脳、された、のか……?  ……私が彼女に、研究所を調査するよう依頼したから……?  私のせいで……優希は、こんな風に……?  グルグルと思考が巡る中、気付けば目の前に、優希が立っていた。  彼女の顔を見上げた瞬間、手から力が入らなくなり、マグカップの破片が床に転がる。  しかし、彼女がそれを気にすることは無く、私の肩を掴んで床に押し倒した。 「ぁッ……」 「結衣……私は、貴方に感謝しているんだよ? だから、お礼に……結衣にも、ご主人様の素晴らしさを教えてあげる……♡」  頬を僅かに紅潮させ、法悦に濁った両目で私の目を見つめながら、優希はそう囁く。  彼女は私の頬を両手で挟むように掴むと、ゆっくりと顔を横に向けさせた。 「優希……ダメ……お願い、目を覚まして……こんなこと……ダメだよ……」 「……分かるよ。私も、ご主人様の素晴らしさを知るまでは、この瞬間が不安で仕方が無かった。自分が自分でなくなってしまうかもしれないって、凄く不安だよね。……でも、怖いのは一瞬だから……安心してね。結衣♡」  うわ言のように抵抗の言葉を紡ぐ私に、優希はうっとりとしたような声色でそう囁きながら、私の耳元に口を近付けた。  ダメ……逃げなくちゃ……。  そう思っているのに、馬乗りになった優希に完全に組み敷かれ、もがくことすら出来ない。  何とか逃げる術を探している間に、優希の口から出てきた何やらぬめっとした柔らかい物体が、私の耳の穴の縁に触れる。  そして……──。 「ッひぃッ!?」  耳の中に何か芋虫のような生き物が入って来た感覚に、私は奇怪な声を漏らしてしまう。  しかし、そんな私の反応に耳の中にいる生き物が止まる様子は無く、這うように奥へと進んでいく。  その感覚が耳の内側から直に伝わってくるし、耳の穴を這っている音が直接聴こえてくる為、不快感が酷い寒気となって私の背中を走る。 「嫌ッ……嫌だ嫌だやだやだぁッ! 気持ち悪いッ! 私の中に入ってこないでッ! お願いだからッ! 出て行ってッ!」 「大丈夫。最初は怖いかもしれないけど、すぐに恐怖も何も分からなくなるから……もうしばらくの我慢だよ」  耳の中にいる虫を振り払うように頭をブンブンと激しく振る私に、馬乗りになったままの優希は宥めるようにそう囁きながら、私の頭を撫でてくる。  もしもこの生き物に寄生されたら、今の優希みたいになるのか……!?  諸悪の根源であるご主人様とやらを素晴らしい存在として崇め奉り、しかもその悪事をさらに広げる手助けをさせられるのか……?  でも、優希は……私が依頼したせいで、寄生された……?  優希がこんな風になったのは……私の、せいで……?  ──グヂュリ──  ──グヂュッ、グヂュリ、グヂュグヂュ──  一瞬出来た心の隙に付け込むように……汚らしい水音が、頭の中に響き渡る。  あぁ、もう……何も分からない……。  思考は散り散りに搔き消され、考えを纏めることが出来なくなる。  でも……これで良かったのかもしれない。  大切な幼馴染が、自分のせいで滅茶苦茶にされた罪悪感に苛まれるくらいなら……いっそ、何も分からなくなった方が……楽に……──  ──グヂュッ、グチュッ、グヂュグチュッ──  ──グヂュリ、グヂュッ、グチュッ、グヂュグヂュッ──  ──グチュグヂュッ、グチュリ、グチュッ、グヂュッ── 「……もう終わったかな……?」  私の上に馬乗りになっていた優希は、確認するようにそう呟きながら、私の上から立ち上がる。  彼女の言葉に、私は頷きながら体を起こし、その場で直立する。 「えぇ。今、全てが分かったわ。私は……ううん、私達は、ご主人様の為に生まれ、ご主人様の命令に絶対服従の奴隷となる為に生まれてきたのね」 「やっと分かったみたいだね。……それじゃあ、ご主人様が待っているから、早く行こう」 「そうだね。ご主人様を待たせる訳には行かないもの。すぐに行こう」  互いに抑揚のない声でそんなやり取りをしつつ、私達は事務所を出て、夜闇に包まれた町の中を歩き始めるのだった。  目指す場所は勿論、ご主人様が待つ研究所だった。 【Pr-10の生態まとめ】  人間の脳味噌に寄生し、宿主である人間の人格を支配して思うがままに操作する。  産みの親である佐原伊都を主として、彼女の命令には絶対服従する。  命令の遂行に必要であれば、脳からの神経の伝達によって宿主の肉体を一時的に強化することも出来る。  寄生した脳から糖分を栄養素として吸収する為、寄生された人間は糖分を過剰摂取するようになる。  また、佐原伊都の命令に従う為に寄生を広げる必要があれば宿主の体内で繁殖し、対象に宿主の口を通して寄生させる。


Related Creators