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あいまり
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【無料公開分】二度目の神童が堕ちる時Ⅱ 後編

 ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……。  ……心臓の音がする……。  私……何してたんだっけ……?  確か、邪神を倒す為に時空の狭間に向かって、そこで……邪神に洗脳されたレイちゃんに出会って……そうだ。  確か、私……レイちゃんにこれ以上誰かを傷付けさせない為に、魔法少女のコンパクトに魔力を逆流させて……レイちゃん諸共、自爆したんだった。  ということは、私はもう……死んだのか……?  そう考えた時、真っ先に脳裏に過ぎったのは、おばあちゃんの顔だった。  おばあちゃん……言いつけを守れなくて、ごめんなさい。  絶対に命を落とすようなことはしない、って……万が一の時は自分の命を優先する、って……約束、したのに……守れなくて、ごめんなさい。  でもね……絶対に後悔はしないって約束だけは、守れたよ。  確かに、私は死んじゃったけど……大切な優しい友達に、これ以上誰かを傷付けさせないことは、出来たから……。  私はそれだけで、満足……──。 「あら、勝手に満足しないで? 貴方はまだ死んでないんだから」 「……ッ!?」  どこからか聴こえた声に、消えかけていた私の意識は一気に覚醒する。  瞼を開くと、そこには白一色の世界が広がっていた。  水の中で漂っているかのように、私はその世界の中でフワフワと浮かんでいる。  知らない内に私は何も着ておらず一糸纏わぬ裸体を曝け出す状態になっていた。  しかし、不思議とそのことは気にならなかった。  右も左も、上も下も、何も分からない世界。  ただ、水の中のようだと言ったが呼吸は普通に出来るので、少なくとも水中ではないことは分かる。 「もしも~し? 私の声が聴こえる?」 「っ……」  声を掛けられ、私はすぐに声がした方に視線を向けた。  するとそこには、純白の世界の中に不釣り合いな、暗く冷たい微笑を浮かべてこちらを見つめるノアの姿があった。  彼女の漆黒の姿はこの純白の世界とはあまりにも不釣り合いで、まるであと1ピースで完成するジグソーパズルに全く違うパズルのピースを当てはめてしまったかのような、そもそもこの世界に存在するはずの無かった異物が放り込まれてしまったかのような、言葉にし難い違和感が充満していた。 「……ノア……ッ!」 「あぁ、良かった。ちゃんと聴こえてるみたいね。てっきり、まだ精神の回復も済んでないのかと思っ……」 「ここはどこ!? 私に一体何をしたのッ!?」  淡々と語るノアに、私は声を荒げてそう言った。  すると、彼女は目を丸くして私を見つめたが、すぐに呆れた様子で溜息をついた。 「本当に、貴方は人の話を聞かないわね。……まぁ、良いわ。ここは貴方の精神世界……心の中、とでも言えば良いのかしら?」  心の……中……?  にわかには信じがたい話に、私は絶句した。  咄嗟に何も返せずにいると、ノアはクスリと小さく笑った。 「フフッ……レイちゃんと同じ反応をするのね」  その言葉に、私は大きく目を見開いた。 「まさか、レイちゃんの精神世界にも入ったの!? それで、あんな風に操って……ッ!」 「あら、馬鹿な子だと思っていたけど、意外と勘が良いのね?」 「……ッ……!」  冷たい笑みを浮かべながら言うノアの言葉に、私の視界が真っ赤に染まる。 「お前のせいで……ッ!」  怒鳴りながら、私はノアに掴みかかろうとした。  しかし、無重力の中で漂っているような状態になっていた私の体は、上手い具合に動かなかった。  まるで水中で藻掻いているかのように、全身に抵抗を感じる。  恐らくかなり滑稽な動きをしているであろう私を前に、ノアはわざとらしく大きな溜息をつき、口を開いた。 「私の話を最後まで聞きなさいよね。全く……」 「ッ……」  ノアの言葉に、私はグッと口を噤んだ。  悔しいが、今の私にはそれ以外の選択肢を取ることは難しそうだったから。  そんな私の反応に、彼女は小さく笑みを浮かべて口を開いた。 「確かに、私はレイちゃんの精神世界に進入し、彼女の身も心も闇に染めた。……そして、今から貴方にも同じことをしようと思ってる」 「なッ……!?」 「これを見なさい?」  驚く私に、ノアはそう言ってパチンッと指を鳴らす。  すると、彼女の頭上にモニターのようなものが現れた。  咄嗟に視線を向けると、そこには……── 「……私……?」  ──全身を漆黒の靄のようなものに包まれ、固く瞼を瞑った私の姿があった。  よく見ると私の体はボロボロで、全身が傷だらけだった。  しかし、傷が出来た所に黒い靄が掛かる度に、傷が癒えて消えていく。 「なッ……何をッ……」 「貴方は一度、コンパクトに魔力を逆流させて暴発させ、自爆した。……だから、私の魔力で蘇生させてあげてるのよ」  信じられない言葉を放つノアに、私は「どうしてッ!?」と咄嗟に声を上げてしまった。  邪神ノアが、敵である私を蘇生している!? どうしてそんなことをッ!?  驚く私を見て、彼女はクスリと笑って続けた。 「だって、貴方はこの世界の“主人公”だもの。貴方が死んだらこの世界がどうなるか分からないし……レイの記憶曰く、主人公には主人公補正、なんてものもあるんでしょう? 殺すメリットも無ければ、生かすデメリットも無い。だから、蘇生してるの」 「そんなの……生き返ったら、すぐにでもお前を倒してッ……」 「勿論、このままただで蘇生するわけじゃない。傷口から私の魔力をたくさん流し込んで、貴方の体に私の魔力をたっぷりと染み込ませて……私の為に動いてくれる、可愛い奴隷として蘇生してあげる」  笑みを絶やさぬまま言うノアに、私は言葉を失った。  私を……奴隷にする、だって……?  つまり……レイちゃんみたいに、洗脳するということか……?  そんなこと出来るはずが無いと断言したかったが、先程戦ったレイちゃんを思い出すと、彼女の言葉を真っ向から否定することは出来なかった。  しかし……と、私は静かに拳を強く握りしめ、目の前にいるノアを見つめた。 「でも……私は絶対に負けない。例え肉体はお前の魔力に染められても、心までは、奪わせやしないッ!」 「ふぅん……?」 「諦めなければ、絶対に勝機はあるッ! 例えこの体を闇に染められて、お前の奴隷になっても……ッ! 私は、お前を倒して、レイちゃんを……大切な友達を救うまでは、絶対に希望を捨てたりしないッ! 絶対に諦めないッ!」  ノアの不気味なオッドアイを真っ直ぐ見つめたまま、私はハッキリと、そう断言した。  すると、彼女は瞳孔の細い蛇のようなその目を細め、「へぇ……?」と小さく呟いた。 「なるほど。そこまでして、貴方はレイを救いたいのね?」 「うん。そうだよッ!」 「そんなに……レイのことが好きなのね」  冷たい微笑を浮かべながら紡がれたその問いに、私の思考は一瞬だけ、停止した。  本当に……ほんの、一瞬だけ。  一瞬だけ停止して、その後すぐに……動き出す。  動き出した思考は先程のノアの発言を瞬時に処理し、一気に私の感情を加速させる。  カァッと顔が熱くなるのを感じ、私はすぐさま口元に手を当てた。  動揺のあまりに心臓が激しく高鳴り、思考がグルグルと激しく明滅する。 「でも……レイは、そうじゃないみたいよ」  動揺を隠すように押し黙っていた時、ノアがそう続けた声が聴こえた。  彼女の言葉を聴いた瞬間、先程まで動揺のあまりに凄まじい速さで巡っていた感情が瞬時に速度を落とし、一気に感情が冷めていくような感覚がした。  私は口元に当てていた手をゆっくりと下ろし、視線をノアの顔に向けた。 「それ……どういう意味……?」 「……私が説明するよりも、実際に本人に聞いた方が早いわよ」  ノアはそう言うと、パチンッと指を鳴らした。  すると、一瞬で周りの景色が変化する。  白一色だった世界から一転し、辺り一面が全て漆黒に染まった世界へと変わった。 「こ、ここは一体……!?」  私はそう呟きながらも、すぐに辺りを見渡した。  どこを見ても黒一色の世界に焦燥感が募ったが、とある一点を見た所で、私の視線は固まった。  漆黒の世界の中で、へたり込んだ体勢の人影を見つけたのだ。 「ッ……! 大丈夫ですかッ!?」  咄嗟に声を掛けながら、私は遠くに見えたその人影に向かって駆け出した。  そこで、先程の私の精神世界と違って、この世界では地に足が着いた感触がすることに気付いた。  しかし、今はそんなことは些細な問題だと考え直し、私は必死に地面を蹴った。  近付くと、へたり込んでいるのは一人の少女であることに気付いた。  肩より下の方まである黒い長髪に、同色の目。  彼女は何も着ておらず、一糸纏わぬ裸体を曝け出していた。  しかし彼女が気にする素振りは無く、どこか虚ろな両目で呆然と虚空を見つめている。 「大丈夫!? ねぇ! 私の声聴こえてる!?」  私はそんな風に声を掛けながら彼女の元に駆け寄り、彼女の肩を掴んで揺らした。  しかし、彼女が私の言葉に応えることは無く、ぼんやりと虚空を見つめたまま成すがままに揺すられている。 「無駄よ。その子には、貴方の声なんて聴こえていないわ」  すると、背後からそんな言葉が投げ掛けられた。  振り向くと、そこではノアが腕を組み、冷たい微笑を浮かべながらこちらを見下ろしていた。 「どッ……どういう意味……!?」 「その子の額をごらんなさい?」  彼女の言葉に、私は黒髪の少女の額を見つめた。  しかし前髪で隠れていてよく見えなかった為、私は指を使って彼女の前髪を掻き分けた。  するとそこには、ハートを模した紋様のようなものが刻み込まれていた。 「……これは……ッ!」  その紋様を見た瞬間、私は目を大きく見開きながら呟いた。  なぜならそれは、レイちゃんの目に浮かんでいた模様と、明らかに酷似していたからだ。 「それは私が刻んだものよ。まぁ……この子が私のモノであるという、証みたいなものね」  背後から聴こえたノアの声に、私はすぐに振り向いた。  すると、彼女は顎に手を当てて続けた。 「彼女には私への忠誠心以外に余計な感情なんて残っていないもの。……貴方の声になんて応えないわ」 「そんなッ……レイちゃんだけじゃなくて、この子まで……!?」 「……? もしかして貴方……気付いてないの?」  驚く私に、彼女はキョトンとしたような表情で聞き返してくる。  彼女の反応に、私は「え……?」と掠れた声を漏らした。  すると、彼女は首を傾げながら続けた。 「だって、その子とレイは同一人物よ?」  ……は……?  この黒髪の女の子と、レイちゃんが……同一人物……?  違う。そんなわけが無い。だって、見た目が全然違うじゃないか。  この子は髪も目も黒いが、レイちゃんの髪は雪のような白銀色で、目は海のように澄んだ青色だ。  それに、レイちゃんは魔法少女として戦う為に訓練をしていたから、細く引き締まった体をしている。  しかし、この少女の体には鍛えた痕跡は無く、中肉中背と言ったごく普通の体つきだ。  大体、顔つきや体格や身長……性別以外、似通った部分なんて全く無い。 「あぁ、言い方が悪かったわね。それは、レイの前世の姿。……ここは、レイの精神世界なの」  ノアの口から続けられた言葉に、私はハッとして黒髪の少女に視線を戻した。  ここが……レイちゃんの、精神世界……?  ということは、目の前にいる少女が……レイちゃん、ってこと……?  ……あぁ、そっか。レイちゃんは元々別の世界の別の人間で、記憶を持ったまま転生してきたんだっけ……。  だから、肉体と精神の姿が違うのか。  この子の額とレイちゃんの目に同じ紋様があるのは、レイちゃんがノアの手によって洗脳されたから、彼女の心である目の前の少女にも同じ紋様が刻まれているんだ。 「……どうして私を、レイちゃんの精神世界に……?」  私はそう聞き返しながら、ノアの方に顔を向けた。  ここがレイちゃんの精神世界で、目の前にいる少女がレイちゃんの前世の姿であり彼女の心のようなものであることは分かった。  分からないのは、どうしてここに私を連れてきたのかということだ。  一番考えられるのは……レイちゃんの前世の姿を見せて、彼女との今までの関係が、全て打算によるものだったということを知らしめたかった……とか……?  しかし、私はすでにそのことは受け入れている。  受け入れた上で、それでも私は、彼女を信じようと決心したんだ。  例え私に優しくしてくれていたのが打算だったとしても、私が彼女の優しさに救われたのは事実だから。  自分が死にたくなかったから打算が働いただけのことで、彼女自身は優しい人なのだと、もう一度だけ信じてみたいと思ったんだ。 「貴方がよっぽどレイに心酔しているみたいだから……レイの本心を、教えてあげようと思ったのよ」  彼女の言葉に、私は自分の口角がピクリと引きつるのを感じた。  ……レイちゃんの……本心……?  元々は別の世界の人間で、私に優しくしていたのは打算で……他にまだ、何か隠していることがあるというのか……?  固まる私に気付いているのか、ノアは私を一瞥した後、レイちゃんに視線を向けた。 「レイ。私の声が聴こえる?」  そんな風に言葉を投げ掛けられると、レイちゃんの肩がピクリと微かに震えた。  少しして、彼女は虚空を見つめながら「……はい……」と、抑揚のない声で返事をした。 「よく聞いて? 目の前に、努野ワカバがいるのが分かるかしら?」 「……」  ノアの言葉に、レイちゃんはまるで今気付いたと言わんばかりに、私に視線を向けた。  ……焦点が合っていないような、暗く濁った両目で、私を見つめた。 「はい……分かります……」  目が合うと、彼女はまた抑揚のない声で呟いた。  すると、ノアはクスリと小さく微笑み、口を開いた。 「それじゃあ……貴方がその子に対して思っていることを、噓偽りなく言いなさい?」  紡がれたその言葉を聴いた瞬間、背筋が凍るような感覚がした。  レイちゃんが私に思っていることを、嘘偽りなく……? 「……レイちゃん、待って……」 「はい。……努野ワカバは、この『マギア・エフォート』という世界の主人公です。……私は原作のように死にたくなかったので、彼女に優しくしていました」  停止する私を無視して、レイちゃんは虚ろな目でこちらを見つめたまま、淡々と語り始めた。  ……これはノアから一度聞いた話だし、これくらいなら何てことない。なんて思っていたが……彼女の言葉は、まるで氷で出来たナイフのように、冷たく、鋭く……私の心に突き刺さる。  同じ話でも、他人の口から聞かされるのと、レイちゃん本人から聞かされるのでは全然違った。  いずれは彼女の口から直接聞かなければならない時が来るとは思っていたが……まさか、こんなに早くその時が来るなんて……ッ! 「レイちゃん、待ってッ……私ッ……!」 「正直……彼女を友達だと思ったことは、一度もありません」  平坦な声で続けられたその言葉に、私は息を呑んだ。  ……彼女は、今……何て言った……? 「この世界の主人公だから優しくしていましたが、魔法少女としての力は弱いし、そのくせちょっと優しくしただけで懐いてきて……正直、かなり迷惑していました」  淡々と語るレイちゃんに、私は小さく首を横に振った。  ……違う……こんなの、嘘だ……。  優しいレイちゃんが……そんなこと、思っていたわけ……無いよね……?  きっと、ノアが私を動揺させる為に言わせてるんだ……そうだ、そうに違いない。  あれ、でも……ノアはレイちゃんに、私をどう思っているか“嘘偽りなく”話せって……?  今のレイちゃんが、ノアの命令に従順に従うのだとしたら……彼女の言葉は……──。 「……嘘……だよね……? レイちゃん……?」 「前世の記憶が無ければ……ワカバがこの世界の主人公じゃなければ、正直、関わりたくも無かったです」  私の言葉など一切耳を貸さず、レイちゃんは淡々とした口調で続ける。  違う、こんなの……そんなわけ……違う……。 「じゃあ……例えばワカバが貴方に対して、友達以上の好感を抱いていると言ったら……どうする?」  すると、ノアがレイちゃんに対してそう問いかけた。  ……やめて……。  これ以上聞かされたら、私はもう……耐えられない……。  お願いだから……奴隷にでも何でも、なってやるから……これ以上は……──ッ! 「……考えただけで、吐き気がします」 「……ッ!」  レイちゃんの言葉に、ピシッ……と、何かにヒビが入った音が聴こえた気がした。  言葉を失う私に、彼女は抑揚のない声で続ける。 「ただでさえ関わりたくないのに、好意なんて抱かれたら、気分悪いです」 「レイちゃん……やめて……もう……やめて……」 「もしも本当にそんな好意なんて持たれてるんだとしたら……この世界の主人公だからって、関わらなければ良かっ──」 「もうやめてよッ!」  これ以上聞きたくなくて、私はそう叫びながら両耳を塞ぎ、蹲った。  違う。違う、違う、違うッ! あんなの嘘だッ! 優しいレイちゃんが、あんなこと言うわけがないッ!  でも、この世界はレイちゃんの精神世界で……ノアはレイちゃんに、嘘偽りなく話せと命令して……?  ということは……さっきのレイちゃんの言葉は……本物……? 「違う……違う、違う、違う……嘘だ……嘘だ……嘘だ……」 「本当だよ」  必死に否定する私の言葉を、誰かがそう否定した。  両耳を塞いでいるというのに、その声は耳を塞ぐ両手も鼓膜も貫通し、私の脳味噌に直接響いてくるような感覚がした。 「……え……?」  私は掠れた声で呟きながら両耳を離し、顔を上げた。  目の前には一枚の鏡があり、座り込んだ状態の私が映り込んでいた。  これは一体……? というか、声は左側から聴こえてきたような……。  そんな風に考えながら左側に視線を向けてみると、そこにも鏡の壁が立っていた。  しかし、鏡の中に映っていたのは私では無く、白髪に青い目の……見慣れたレイちゃんの姿だった。 「……これは……」  気付けば私の四方は鏡の壁に囲まれ、狭い部屋の中で縮こまるような状態になっていた。  後ずさりをしようにもスペースがほとんど無く、後頭部を背後の鏡にぶつけるだけだった。  せめてレイちゃんの方に体を向けたかったが、狭い空間の中ではそれすら出来ない。 「全部……本当なんだよ。ワカバ」  すると、鏡の中にいるレイちゃんがしゃがみ込んで私と視線の高さを合わせ、笑顔でそう言った。  それは、これまで何度も見てきた、優しくて……世界で一番大好きだった笑顔だ。  満面の笑みを絶やさぬまま、彼女は続ける。 「私が元々は別世界の人間なのも、前世の記憶を持ってこの世界に転生してきたのも、自分が生きる為に打算でワカバに優しくしたのも……全部本当」 「……やめて、レイちゃん……」 「本当はワカバのことを嫌っているのも、ワカバを友達だと思ったことすら無いのも、ワカバが主人公じゃなければ関わりたくなかったのも、ワカバに好意を向けられることすら迷惑なのも……ぜぇんぶ、本当だよ……?」 「もうやめてよぉッ!」  叫びながら、私は両耳を塞いで俯いた。  これ以上聞きたくなかった。  これ以上は……。 「……大体、お前なんかと打算以外で仲良くするわけが無いだろ……?」  しかし、彼女の言葉は、頭の中に直接響いてくる。  まるで耳元で囁かれたような彼女の言葉に、私は目を見開き、息を呑んだ。  言葉を失い硬直する私に、彼女は続けた。 「小さい頃に両親を亡くして、ずっと育ててくれた唯一の家族の反対を押し切ってまで魔法少女になったのに……才能が無くて、アカデミア内で一番の劣等生だったお前なんかと、誰が仲良くする……?」 「なんで……レイちゃんが……それを……」 「誰がお前のことなんて好きになる? 小さい頃からずっとおばあちゃんに迷惑かけて、そんなおばあちゃんの反対を押し切ってまで魔法少女になったくせに才能が無くて他の魔法少女に迷惑かけて、打算とは言え優しくしてあげたのに全然上達しなくて私に迷惑かけて……生きていても、誰かに迷惑を掛けることしか出来ないお前なんか、誰が好きになると思うッ!?」 「違うッ! 私はおばあちゃんに迷惑なんて……ッ!」 「いいや。すごく迷惑だったよ」  右側の壁から聴こえた声に、背筋が凍るような感覚がした。  私は両耳から手を離し、恐る恐る顔を上げて、右側の壁に視線を向けた。  そこには……おばあちゃんが立っていた。 「おばあ……ちゃん……?」 「息子夫婦が亡くなって、お前を引き取ることになってただでさえ迷惑だったと言うのに、魔法少女になるなんて言い出して……挙句の果てには、アカデミア内でも劣等生で、他の魔法少女にまで迷惑掛けて……お前の祖母として恥ずかしいよ」 「おばあちゃん、何言って……おばあちゃんは私のこと、応援してくれるって……ッ!」 「そんなものはおべんちゃらさ。全く……事故か何かでさっさと死んでくれれば、楽だったんだがねぇ……」  ため息交じりに呟くおばあちゃんに、私は首を横に振りながら両耳を塞いだ。  違う……こんなの嘘だ……幻だ……夢だ……。  そうだ。悪い、夢なんだ……ッ!  目が覚めればきっと、大好きなレイちゃんとおばあちゃんがいるはず……ッ!  だから、目を覚ますんだ……目を覚まして、それから、それから、それからッ……──。 「夢じゃないよ」  目の前の鏡から声がした。  その声を聴いた瞬間、私は目を大きく見開いた。  耳を塞いだままゆっくりと顔を上げると、そこに立っていたのは……── 「──……わた……し……?」 「勿論、嘘でも、幻でもない。全部……本当のことなんだよ?」  冷たい微笑を浮かべながら、鏡に映る“私”は言う。  “私”はゆっくりしゃがみ込んで私と視線を合わせ、続けた。 「レイちゃんも、おばあちゃんも……皆、私のことが嫌いなんだって」 「……」 「私のことを好きな人なんて、誰もいないんだよ。……私って、生きる意味も無いんだって」 「……」  目の前に立つ“私”の言葉に、否定する気も起きなかった。  ……“私”の言う通り、今まで起こったことは全て、嘘でも夢でも幻でも無く……本当のことなんだろう。  レイちゃんも、おばあちゃんも、私のことを嫌っていた。  私のことを好きな人なんて、誰もいなかった。  皆、私のことが嫌いなんだ。  生きる意味も無い……死んだ方が良い、劣等生なんだ。 「そう。私は誰にも好かれない劣等生。誰にも必要とされない、落ちこぼれなんだって」 「私は……劣等生……落ちこぼれ……誰にも、必要とされてない……」  “私”の言葉を、無意識の内に繰り返す。  ……ううん。私が言うのだから、これは私自身の言葉だ。  私の言葉であり、感情であり……事実だ。 「私は劣等生……落ちこぼれで、役立たずなんだって」 「私は……劣等生……落ちこぼれ……役立たず……」 「誰も私のことなんて好きじゃない。誰も私のことを必要としていない。皆私のことを嫌っている。いない方が良い存在だと思ってる」 「皆……私のこと、好きじゃない……必要じゃない……嫌ってる……私は、いない方が良い……」  “私”の言う言葉を繰り返す度に、それは鎖となって私の心を締め付ける。  ……そっか……私なんて、いない方が良いんだ……。  それなら、いっそのこと……私なんか、死んだ方が良いのかな……?  私なんて……この世界に、いらな──。 「そんなことないわよ」  背後からそんな優しい声がしたかと思えば、ふわりと、背中から抱き締められる。  包み込まれるような温もりに、私は言葉を失った。 「そんなことない。貴方は不必要な存在なんかじゃない。劣等生でも、落ちこぼれでも無い」  背後から抱き締めてきた人は、優しい口調で、私の耳元でそう囁く。  彼女の声が私の鼓膜を優しく震わせ、脳髄に直接響き渡る。  その感覚はとても心地よく、壊れかけていた私の心が、優しい温もりで癒されていくのを感じる。  気付けば私の周りを囲んでいた四方の鏡は消えており、体を動かすことが出来た。  私は、抱き締めてくれている両腕の中で身を捩り、声の主の顔を確認した。 「……ノア……」  そこにいたのは、邪神ノアだった。  私の声に、彼女は腕の中にいる私に視線を落とし、優しく微笑んだ。 「どうしたの? 私の名前なんて呼んで」 「……だって、貴方は……私達の、敵で……」 「それを言ったのは……貴方のことを嫌っている奴等でしょう?」  ノアの言葉に、私はハッとした。  そうか。皆が私のことを嫌っているのだから、ノアが邪神だと言ったのも、私を嫌っている連中だ。  ずっと偽りの笑顔で私のことを騙して、陰で劣等生だと馬鹿にしていた……私の、敵だ……ッ! 「貴方を嫌っていて、陰で劣等生だとか落ちこぼれだとか言って嘲笑っている連中の言葉なんて、信じる必要無いわ。貴方のことを必要としない大勢の言葉と、貴方を必要とする私の言葉。……どっちを信じるの?」  そう言われた瞬間、私の頭の中に天秤が浮かんだ。  私を嫌う皆の言葉と、私を必要としてくれるノアの言葉。  二つの存在が天秤に乗り、ギシギシと鈍い音を立てながら左右に振れる。  この二つのどっちを信じるか……だって……?  そんなの……── 「私は……貴方を、信じます……ッ!」  ──……私を必要としてくれる人を信じるに決まっているじゃないか……ッ!  だって、私を必要としてくれる人が、私に害を与えようとするはずが無いのだから……ッ!  考える間でも無かった。  一瞬にしてその天秤は勢いよくノアに傾き、音を立てて砕け散る。  ノアを信じると宣言した瞬間、今まで大好きだった家族も友達も、今まで関わってきた人間全てが……私の中で、敵へと変わる。  同時に、目の前にいる女だけが私の味方なのだと確信し、彼女を中心に視界が桃色に染まっていくような感覚がした。 「フフッ……そうよ。それで良いの」  私の返答に、ノアはどこか嬉しそうに微笑みながら言い、私の肩に手を添えてそのまま抱き寄せた。  すると、私は彼女の大きな胸に顔を埋める形になる。  視界が一気に暗くなり、顔が柔らかいものに包み込まれる感触がした。  しかしそれは決して不快なものでは無く、優しい温もりに包まれるような感覚は、むしろ凄く心地良いものだった。  その中で呼吸をすると、甘い香りが私の鼻から吸い込まれ、優しく脳味噌を溶かしていくような感覚がした。  あぁ……気持ちいい……もっと……もっと欲しい……。 「そう、良い子ね。もっと吸って……吐いて……吸って……吐いて……」  頭上から降ってくる優しい声に従い、私は静かに深呼吸を繰り返す。  息を吸う度に甘い香りが私の体に取り込まれ、脳を中心に、全身に行き渡っていく。  気持ちいい……ずっと、こうしていたい……気持ちいい……。 「フフッ……とっても気持ちよさそうね?」 「んぅ……はい……きもちいい、です……」  甘い香りと柔らかな感触に包まれて、どこか意識が朦朧とする中、頭上から降って来た声に私はほぼ反射的に答えていた。  そんな私の言葉に、ノアは私の頭を優しく撫でて「良い子、良い子♡」と優しく声を掛ける。 「もっと甘えて良いのよ。その気持ちよさに身を委ねて、もっと堕落していって良いの。……この世界に、貴方の味方は私だけなんだから」 「……このせかいに、わたしのみかたは……のあ、だけ……」 「ノア、じゃなくて……ノア様って呼んで?」 「……はい……ノア様……」  ノア様に言われた言葉を、私は無意識の内に繰り返す。  思考がぼやけ、靄が掛かったような感覚がする。  上手く頭が働かない。でも……別に、良いか……。  今、私の傍にはノア様がいて、甘えて良いと言ってくれるのだから……考える必要なんて、無いか……。 「そう。貴方の味方は私だけ……私だけは、絶対に貴方を裏切らない……だから、安心して私に身を委ねれば良いの……」  その言葉に、私は完全に思考を放棄した。  ノア様の腕に抱かれながら、頭を包み込む柔らかな感触と甘い香りに意識を委ねる。  フワフワと空中を漂っているかのような心地良い感触が、私の意識を溶かしていく。 「……ねぇ、ワカバ? 顔を上げて?」 「……?」  ノア様に言われるがままに、私は顔を上げた。  顔を包み込んでいた柔らかい感覚と優しい温もりが消え、視界が晴れた先には……こちらを覗き込むノア様の顔があった。  見ると、彼女のオッドアイの両目はそれぞれの目と同じ光を放っていた。 「ぁ……♡」  胸に顔を埋めたままの私は、その光を間近で見つめることになる。  目が合った瞬間、私の視線はその光によって固定され、目を離すことが出来なくなる。  何だろう……意識が、吸い込まれるような……薄れていく、ような……不思議な感覚がする。  でも……関係無いか。  ノア様だけが私の味方で、彼女が私を裏切ることなどありえないのだから、彼女が私の害になるようなことをするはずが無い。  だから、私はノア様の体に身を委ねながら、彼女の光る両目を見つめた。  彼女の目を見つめていると、靄が掛かったような状態になっていた思考が徐々に薄れ、頭の中が空っぽになっていくような感覚がした。 「すっかり従順になっちゃって……♪ 言うことを聞いてくれる素直な良い子、私は好きよ♪」  ノア様は両目の光を絶やさぬまま言うと、私の顔を包む乳房を両手で挟み、私の頭ごと掻き混ぜるように揉み込み始めた。  彼女の手によって圧迫された豊満な胸が、彼女の目を見つめる私の顔を押し潰してくる。  柔らかな感触と甘ったるい匂いに、頭の中も外ももみくちゃにされながらも、私は言われた通りにノア様の目を見つめ続けた。  言うことを聞く良い子が好きだと、彼女が言ったから。 「グチャグチャになりながらも必死に私の目を見つめちゃって……か~わいいっ♪」  楽しそうな笑みを浮かべながら、ノア様は空っぽになった私の頭をもみくちゃにしていく。  ノア様が喜んでくれてる……! 嬉しい……!  心の底から込み上げてくる悦びが、ノア様の乳房によって、すぐにもみくちゃにされる。  思考が、感情が、記憶が、人格が……──甘い香りに絡め取られ、掻き混ぜられる。  何だか良くないことのような気がしたけど、私はノア様の手に身を委ねた。  だって、ノア様が、私に危害を与えるはずが無いのだから。  ノア様だけが私の味方であり、唯一私を必要としてくれる人なのだから。 「はぁ……♡ はぁ……♡ はぁ……♡」  どれくらい経った頃だろう。  ノア様が目の光を消して私の頭を掻き混ぜる手をようやく止めた頃には、顔は火照り、意識は熱に浮かされたかのようにぼやけていた。  ずっと胸に顔を埋める形でもみくちゃにされていた為か、酸素が足りず、頭がボーッとする。  彼女の豊満な胸に顔を埋めた体勢で、足りない酸素を必死に取り込むように、私は何度も荒い呼吸を繰り返す。  深く息を吸い込む度に甘い香りが体内に取り込まれ、熱を持った甘い吐息となって口から出ていく。  呼吸がままならない中でも、私はノア様の目を見つめ続けた。  光は止んでいたが……ノア様に目を見つめろと言われてから、もう見なくて良いと言われてないから。 「フフッ、こんなに蕩けた顔しちゃって……本当に可愛いわね♪」  そんな私を見て、ノア様は楽しそうな口調で言いながら優しく頭を撫でてくれる。  ノア様が喜んでる……♡ 嬉しい……♡ 嬉しい……♡  ぼやけた意識の中でもノア様に褒められた悦びが胸の奥から込み上げ、キュンキュンと胸が高鳴る。 「もっと貴方で遊んでいたいけど……何の拍子に意識を取り戻すか分からないし、先に仕上げをしちゃいましょうか♪」  彼女はまたもや両目に光を灯しながら、優しい口調でそう言った。  その言葉に、私は「ぁ……♡」と小さく声を漏らしながら、その目を見つめる。  綺麗な光……♡ ずっと見ていたい……♡  もみくちゃにされてグチャグチャになって空っぽになった頭では、それ以上のことは考えられなかった。  そして、そもそも……考える必要も無かった。  だから私は、蕩けるような幸福感に身を任せることにした。 「それじゃあ、私の目を見つめたまま、今から私が言うことを復唱しなさい?」 「はい……♡ わかりました……♡」  ノア様の命令に、ほぼ反射的にそう答えた。  すると、彼女はクスリと小さく微笑み、私の頭を優しく撫でた。 「……ノア様以外の人間は、全て私の敵です」  ノア様の言葉を聴いた瞬間、私の脳裏に一瞬、誰かの姿が過ぎった。  白髪のショートヘアに青い目をした少女と、黒い長髪に同色の目をした少女と、老いた高齢の女性。  どの人も、私にとって大切な人だったような……不思議な感覚がする。  しかし、今はそんなことを気にする必要は無いので、私はすぐに口を開いた。 「のあさまいがいの、にんげんは……すべて、わたしの、てきです……♡」  そう復唱した瞬間、脳裏に過ぎった三人の人物が全員、私に危害を与えてくる敵へと変わる。  三人への憎しみが、沸々と私の胸中に込み上げる。  ノア様以外の人間は敵……ノア様以外の人間は、皆、敵……ッ! 「ノア様だけが私の味方。ノア様が、私の世界の全てです」  すると、ノア様が優しい口調で言いながら、私の頭を優しく撫でた。  彼女の言葉を聴いた瞬間、胸の奥に込み上げてきていた憎しみが、溶けていくように消えていくのを感じた。  あぁ、そうだ……私には、ノア様がいるんだ……♡ 「のあさま、だけが……わたしの、みかた……♡ のあさまが、わたしの……せかいのすべて、です……♡」  そう復唱して見せると、ノア様は嬉しそうに微笑み、私の頭を撫でてくれる。  嬉しい……♡ もっと撫でて欲しい……♡ もっと褒めて欲しい……♡  ノア様に褒めて貰えるなら、いくらでも復唱する。  復唱する度に私の中で何かが作り替えられていくのを感じるが、関係無い。  そんなことよりも、早くノア様に褒めて欲しい……♡  早く……♡ もっと、早く……♡ 「だから……私は、ノア様の言うことには、何でも従います」 「だから、わたしは、のあさまのいうことには、なんでも、したがいます……♡」  考える時間も惜しく、ノア様の言葉に、私はすぐに続けた。  すると、ノア様はまた、私の頭を優しく撫でてくれる。  嬉しい……!♡ もっと♡ もっと!♡ 「例えどんな命令でも、絶対服従します」 「たとえ、どんなめいれいでも……ぜったいふくじゅう、します……♡」 「ノア様の命令に従うことが、私の幸せであり、生きる意味です」 「のあさまのめいれいに、したがう、ことが……♡ わたしのしあわせで、いきる、いみです……♡」 「ノア様の幸せが、私にとっての幸せです。……だって、私はノア様の所有物だから」 「のあさまの、しあわせが……♡ わたしにとっての、しあわせ、です……♡ だって……わたしは、のあさまの……しょゆうぶつ、だから……♡」  繰り返す。  ノア様の言葉を即座に繰り返し、復唱する。  中には何だか良くないことを言ったような気もしたが、ノア様に頭を撫でて貰うと、そんなことどうでもよくなるくらい嬉しくなった。  もっと復唱したい……♡ 早く、次を……♡ 「ノア様は私のご主人様です」 「のあさまは、わたしのごしゅじんさま、です……♡」 「私は意思を持たず、ご主人様の為だけに生きる傀儡です」 「わたしは、いしを、もたず……♡ ごしゅじんさまの、ためだけに、いきる……♡ かいらい、です……♡」  そう言い切ると、ご主人様は目を細め、私の頭を撫でて「良い子♪」と言った。  ご主人様に褒められた……♡ 嬉しい……♡ 「それじゃあ、これが本当に最後の仕上げよ」  すると、ご主人様はそう言って、私の頭に手を伸ばした。  また撫でてくれるのかと思い、私は期待感に胸を膨らませた。  しかし、ご主人様は私の頭を撫でることは無く、代わりに私の前髪を掻き分けた。 「今からここに、口付けをしてあげる。……貴方が私のモノになったという証明になる印を、刻んであげる」  その言葉を聞いた瞬間、私は目を見開いた。  ご主人様からの口付け……!? しかも、私がご主人様のモノになったという証明の印……!  一瞬だけ萎みかけた期待感は一気に倍増し、私の胸を高鳴らせる。  嬉しい……!♡ 嬉しい、嬉しい♡ 嬉しい!♡  キュンキュンと胸が高鳴り、私の頭の中は桃色一色に染まっていく。 「それじゃあ、目を瞑りなさい?」  ご主人様に言われ、私はすぐに目を瞑った。  すると、ご主人様は私の肩を掴んで体を引き寄せ……──「んッ……♡」──……額に、口付けを落とした。  落として……──堕とした。  額に柔らかい何かが一瞬だけ触れて離れていく感触に、私はゆっくりと瞼を開いた。  すると、目の前には……微笑を浮かべながら間近でこちらを見つめる、ご主人様がいた。 「……ご主人様……♡」  ほぼ無意識の内に、私はそう呟いた。  すると、ご主人様はクスリと小さく笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でた。  あは……♡ ご主人様に撫でられた……♡ 嬉しい……♡  心の底から込み上げる幸福感に、私は無意識の内に表情を蕩けさせてしまう。  すると、目の前にいるご主人様の瞳の中に、誰かが映り込んでいることに気付いた。  虚ろに濁った両目を蕩けさせて、だらしないが幸せそうな笑みを浮かべた少女が一人。  彼女の額には、ハートの形を模したような、どこかで見覚えがある紋様が刻まれていた。  ご主人様の綺麗なオッドアイに映り込むその少女が自分であることに気付くのに、数秒程の時間を要した。  そして、それが自分の姿であることに気付いた瞬間……自分が完全にご主人様のモノになったということに気付き、今までにない程の幸福感に包まれた。 「可愛い顔……♪ 完全に堕ちたわね♪」  ご主人様は楽しそうな口調でそう言うと、私の頭をもう一度優しく撫で、目の前から姿を消した。  一人になった私は、胸の中に溜まった幸福感を吐き出すように大きく息をつきながら、ふと顔を上げた。  そこには、漆黒に染まった世界が広がっていた。 --- 「ふぅ……」  現実世界に戻って来たノアは、小さく息をつきながら瞼を開いた。  目の前には、黒い靄のようなもので体を磔にされた状態で、固く瞼を瞑った努野ワカバの姿があった。  彼女は魔法少女に変身する為のコンパクトに魔力を流し、自爆した。  その為肉体の損傷が激しく、長い間彼女の精神世界に潜っていたにも関わらず、今だに体の修復は完了していなかった。  ──とはいえ……精神の掌握は完了した。  心の中でそう呟き、ノアは静かにほくそ笑む。  ワカバの心は、完全にノアの手中に堕ちた。  肉体の方にも修復の為に闇の魔力を流しており、完全な蘇生が完了すれば、身も心も闇に染まった新たな奴隷が誕生することだろう。  この世界の主人公であり、魔法少女アカデミア内でもレイの次に優れた魔法少女だったワカバは、今後優秀な手駒となることだろう。  新たに手に入った戦力の可能性に、ノアは口元に静かに微笑を浮かべつつ、視線を別の方に向けた。  そこでは、レイが同じように黒い靄によって磔にされ、闇の魔力によって蘇生を受けていた。  ワカバの自爆を至近距離で受けたレイも当然重傷を負っており、蘇生とまでは行かないが、闇の魔力による治療を施すことになった。  こちらはすでに洗脳済みである為、肉体の修繕と、多少の洗脳の調整を施すだけで良かった。 「それにしても……馬鹿よねぇ」  ノアは小さく呟きながら、艶やかな黒髪を耳に掛け、ワカバに視線を向けた。  結論のみを述べるなら……ワカバは、レイの精神世界に行ってなどいなかったのだ。  ワカバがレイの精神世界だと思っていたものも、レイだと思っていたものも、自分の祖母だと思っていたものも全て……ノアが見せた偽物だった。  魔力の暴発による自爆により、ワカバは一度死んだ。  肉体は勿論、魂とも言うべき精神も一度、死んだのだ。  闇の魔力による蘇生を施したところで、精神というものも、すぐに修復できるわけではない。  加えて、ワカバは自爆の寸前にレイの真実を知り、激しい動揺を受けた直後だった。  ノアがワカバの精神世界に入った時も、まだ彼女の精神の修復が不十分だったことと先刻受けた動揺により、彼女の精神はかなり不安定な状態だった。  だから、ノアはその隙に付け込んだ。  ただでさえ不安定な精神に潜り込み、いきなり精神世界などという場所に連れてこられたワカバが状況を整理できぬ内に偽りのレイの精神世界を再現し、レイの本心という名目で偽物のレイにワカバを罵らせた。  実際のところ、レイの本心などノアは知らない。  それに、本当にレイの精神世界に連れて行ったところで、それを知る術は無い。  今のレイには過去の記憶は一切残っていない為、ワカバのことなど一切覚えていないのだから。  万が一覚えていたとしても、今のレイはノアに与えられる幸福以外の感情を知らないのだから、ワカバに対して好感も嫌悪感も持っていないのだ。  普通に考えれば分かることかもしれないが、不安定な精神状態と立て続けに起こる非常事態による動揺から、彼女はそれに気付けなかった。  無論、その後にワカバが見たレイや祖母の姿も、全てノアが作り出した偽物だ。  レイの精神世界同様、ワカバの心を完全に打ち砕くべく作り出した虚像だった。  友達以上の好意を抱いていたレイから向けられた嫌悪によって絶望に打ちひしがれていたワカバは、当然その虚像に気付くことも無く、ノアの計画通りに完全に堕ちた。 「さて……これから、どうしようかしら」  小さく呟きながら、ノアは顎に手を当てた。  人間達に諸悪の根源が自分であることを知られているのであれば、レイとワカバを処分したところで、またこれから別の魔法少女が自分を殺しに来るだろう。  異世界からの魔力によって右往左往する人間達の姿は面白かったが、流石にそろそろ潮時かもしれない。  ──とはいえ……私の手であの世界を滅ぼしても、面白くないわよねぇ。  心の中で呟きながら、ノアはレイとワカバに視線を向けた。  この二人に自分達の世界を滅ぼさせるのも、中々面白いかもしれない。  しかし、この二人が優れた手駒とは言え、流石に世界を相手にするのは無理がある。  ──ここは、二人を魔力で強化するか……もっと他にも、戦力を増やすか……。  そう考えた時、ノアの脳裏に魔法少女アカデミアの存在が過ぎった。 「あぁ……丁度いいじゃない」  その瞬間、ノアは冷たい微笑を浮かべて呟いた。  レイとワカバほどでは無いにしても、魔法少女アカデミアにはまだ大勢の魔法少女が所属している。  ──魔法少女アカデミアの面々はこの二人が私のモノになったことは知らないのだし……二人を送り返して、私の手駒を増やすのも面白いかもね……。  その為には二人の洗脳を色々と調整しなければならないが、二人を自分の傀儡に堕とす作業に比べれば、大した労力では無い。  むしろ、その労力によって他にも手駒が増えることを考えれば、得になる程だ。  これから起こるであろう未来を予想し、ノアはクスクスと一人楽しそうに笑った。


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