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あいまり
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【先行公開】二度目の神童が堕ちる時

 ある時、異世界での原因不明の魔力爆発がきっかけで異世界と地球を隔てる境界に歪みが生じ、魔力という概念が地球に流れ込んだ。  人類は魔法を使えるようになり、人々は魔力を用いて自分達の生活を豊かなものにしていった。  しかし、数年ほど経った時、異変は起きる。  何年もの間魔力を使っていると、人によっては、徐々に魔力がその肉体に変異をもたらすようになったのだ。  その変化は人それぞれで、肌の変質や四肢の増減等ある程度人としての姿を保ったまま変異した者もいれば、原型を留めぬ完全な異形と化した者もいた。  中には変異が見た目だけに留まらず人としての理性を失い、ほぼ獣と化した者もいた。  変異による魔力不適合者は年月を経るごとに増え続け、政府は奴等を区別するべく『魔人』と名付けた。  魔人は人としての生活を失う代わりに、強大な魔力と高い身体能力や知能を得た。  奴等は人としての生活を奪われた恨みをぶつけるように、破壊活動を行うようになった。  町の建物を破壊したり、魔力に適合した平常な人間を殺したりと、魔人の反社会活動は大規模なものになっていった。  強大な力を持つ魔人に対抗すべく、政府は魔力を軍事利用する方法を探求し、人の体に魔力を纏わせて魔人と同等の力を発揮させる技術を開発した。  この技術を扱うには感受性や感情表現が豊かであることが必須の条件となり、身体的な成熟も必要とされ、結果的に思春期の中高生程の少女が最も適合するということになった。  このことから、この技術は『魔法少女テクノロジー』と呼ばれるようになり、この技術を用いて魔人と戦う少女のことを『魔法少女』と呼ぶようになった。  そして、魔法少女達を育成する『魔法少女アカデミア』と呼ばれる施設が設立され、魔法少女の適正のある少女達が集められた。  ……この物語の主人公である、努野ワカバもその一人だった。  彼女は幼い頃に事故で両親を亡くし、小さい頃から祖母に育てられた。  両親の死によって一度閉ざしそうになったワカバの心は、祖母の支えによって健やかに育ち、感受性豊かな正義感の強い性格となった。  自分に魔法少女の適正があることを知った時、彼女は魔人から大切な祖母を守りたいという気持ちから、自分から魔法少女となることを望んだ。  しかし、感受性はあっても魔力を使って戦う才能は些か乏しく、あっという間に劣等生のレッテルを貼られてしまう。  当初は同期の才野レイが励まして支えてくれていたが、レイには魔法少女としての優れた才能があり、次第にワカバとの力の差が開いていく。  ついにはレイまでもがワカバを見下し、突き放すようになる。  ワカバはそれでも折れずに人一倍努力し、少しずつ魔法少女としての力を伸ばし、周りから認められていくようになる。  その間、レイは才能に驕って努力を怠り、気付いた時にはワカバに越されていた。  周りからは堕ちた天才と馬鹿にされ、レイは次第に強い劣等感に襲われるようになる。  ワカバはそんなレイに手を差し伸べるが、彼女は才能故に高くなったプライドからその手を振り払い、キツイ言葉を浴びせた。  その一件から、レイは魔法少女アカデミアの中でも孤立するようになり……ある時、理性を失った魔人の大群が襲撃してきた際に、魔法少女アカデミアから姿を消す。  レイが消えた理由は自分だと、ワカバは自責の念に襲われながらも、仲間に支えられながら魔人との戦いを続ける。  魔人と戦っていく中で、彼女は地球と異世界の壁に歪みを生じさせた諸悪の根源がいることを知り、そいつを倒せば地球に流れ込んできた魔力が全て異世界へと還って世界が元の状態に戻ることを知る。  彼女等は魔人達と協力して諸悪の根源の正体が『ノア』と呼ばれる邪神であることを突き止め、仲間に助けられながら、ワカバは単身でノアのいる時空の狭間へと攻め込む。  そこで、彼女は……ノアの魔力によって操られ、俗に言う悪堕ちしたレイと再会する。  元々あった才能が闇の魔力によって引き出され、強大な力を使って圧倒するレイに、ワカバは必死に説得を試みた。  ワカバの心からの叫びによってレイは僅かに正気を取り戻すが、それも本当に一時的なもので、ワカバを殺そうとする自身の肉体を止めて意識を保つのがやっとだった。  それでも何とか意識を取り戻したレイは、これはワカバを馬鹿にして努力を怠った自分への罰として受け入れ、ワカバに自分を殺すように頼む。  自分のような半端者では邪神の魔力には勝てない。このままではワカバを傷付けて全ての人類に迷惑を掛けてしまうだけ。だから、せめてワカバの手で殺して欲しいと願う。  彼女の言葉に、ワカバはそんなこと出来ないと拒絶するが、レイの揺るがぬ決意に押されて魔力で生成した剣でレイの体を切り裂く。  レイの死を乗り越えたワカバは、レイの魔力を借り、二人分の魔力で邪神に打ち勝つ。  最後は時空の狭間に邪神を封印して異世界と地球の境界に生じていた歪みを修復し、世界は元あるべき姿に戻り、平穏を取り戻した。 ~~~  ……それが、私が才野レイとして転生した漫画、『マギア・エフォート』の大まかな流れだ。  この漫画は有名な週刊誌で連載されており、日本では社会現象を巻き起こした程の人気を博した。  アニメ化はもちろん、映画化や舞台化までして、そのどれもが歴史に残る大ヒットを博した。  可愛らしいフリフリした魔法少女の服を身に纏った少女達の織り成す複雑な人間ドラマや、シリアスな展開の多いストーリーによるギャップが受け、連載当初から凄まじい人気を誇っていた。  最初は天真爛漫で正に魔法少女モノでは王道の主人公といった雰囲気だったワカバが、挫折を乗り越えて必死に努力して成長していく物語は、多くの読者の心を掴んだ。  また、レイのどこか憎めない人間臭さも物語に深みを与えており、ワカバ対レイ戦は連載当時かなりの反響があった。  私がこの漫画にハマったのは、すでに大分話題になっていて気になり、なんとなく本屋に置いてあった試し読みの冊子を読んだのがきっかけだった。  一話を読んだだけで私はすっかりこの作品に引き込まれ、当時出ていた単行本を衝動買いして、家に持って帰って一気読みした程だった。  それからあっという間にのめり込むようにハマり、アニメや映画等も全てチェックした。  しかし、確かに大ファンではあったが、別にファンの中でも特に熱狂的だったというわけでは無い。  あくまで出た作品を見る程度で、グッズを買ったりイベントに参加したりなどはしなかった。  ましてや、話題になりだしてから読み出した為、マイナーだった頃から読んでいた古参ファンというわけでも無い。  正直、なぜ私がこの漫画に転生したのか、サッパリ分からない。  ただ……才野レイというキャラに転生した理由は、なんとなく、分からなくもなかった。  この漫画を最後まで読み終えた時、私はこの才野レイというキャラの生涯に、自分の人生を重ねた。  私も、前世では元々、神童と呼ばれる程の天才ピアニストだった。  小さい頃からピアノ教室に通っており、コンクールに出る度に金賞を勝ち取っていた。  周りの大人達は私のことを現代のモーツァルトなどと囃し立て、両親は私を一家の誇りだと褒め称えた。  物心ついた時からそうやって称賛の言葉ばかりを浴びて生きてきた私は、小学生に上がった頃から少しずつ、自分の才能に驕るようになっていった。  同級生を見ても、自分は彼女達とは住む世界の違う天才なのだと考えて見下した。  私は選ばれた人間なのだと、練習などしなくてもピアノの天才でいられると勘違いし……努力を怠るようになった。  最初はそれでも、天才でいられた。  しかし、努力を怠った私と同い年のピアニスト達の差は徐々に縮まり、追い越された。  それでもまだ、私は自分が天才なのだと信じて疑わなかった。  今回は本調子じゃなかっただけだと、次はいけると自分に言い聞かせ……少しずつ開いていく周りとの差から目を逸らした。  小学校高学年になって、ようやく自分は努力しなければただの凡才でしか無いのだと気づいた時にはすでに遅く、同い年のピアニスト達とはどれだけ努力しても縮められないような差が出来ていた。  周りの大人達は、陰で私を堕ちた神童と嘲笑した。  両親も表向きには口にしないものの、私に対して一種の落胆の感情を持っているのが伝わってきた。  自分に向けられる失望の目に耐えられず、私は逃げるようにピアノから離れた。  ピアノを辞めても、それから勉強を頑張っていれば、また違った結果があったのかもしれない。  学校の同級生に頼れる友人が居れば、少しは救われたのかもしれない。  しかし、自分の唯一の才能だと思っていたピアノを失った私は無気力状態になり、中学生になっても何も手に付かなくなっていた。  同級生は自分よりも劣る存在だと見下して距離を取っていた為、今更歩み寄る方法など見つからず、友人など作れなかった。  ただ無意味に時が過ぎていくことが耐え切れず、現実逃避のように、私はアニメや漫画の世界にのめり込んでいった。  勉強などほとんどせずに過ごしていた為に当然成績は悪く、中学卒業後、私は名前を書けば受かるような底辺高校に入学した。  そのような高校に入学するのは、大抵は勉強もせずに遊んで生きてきたような、俗にいう“パリピ”と呼ばれるような派手な人種ばかり。  私のような、ただ成績が悪いだけの地味な者はごく一部だった。  そして、そう言った少数派は多数派である派手な輩に目を付けられ、大抵がそのままイジメを受けるようになった。  私も例に漏れず、クラス内で女王様のような立場にいた派手な女子に目をつけられてしまい、女子から陰湿なイジメを受けるようになった。  ピアノを辞めて両親を落胆させてしまった手前、不登校になるという選択肢をとるのも憚られ、毎日嫌々学校に向かった。  そんな日々の中で、私は『マギア・エフォート』という漫画の才野レイというキャラに出会った。  彼女を見た瞬間、正直驚いた。  だって、彼女の辿った生涯は、正に私の人生そのものだったから。  自分の才能に驕って努力を怠った結果、自分が見下していた相手に越され……悲惨な末路を遂げる。  正に今の私では無いかと自嘲しながらも、私は彼女に自己投影し、漫画の世界にのめり込んでいった。  実際、私の人生は最後まで、才野レイと変わらなかった。  高校三年生になったある日のことだった。  三年生になって進路のことなどもあり、いじめっ子達のストレスでも溜まっていたのだろう。  私はエスカレートしたイジメによって飛び降りを強要され……学校の屋上からその身を投げ、命を落とした。  そして、気付けば才野レイとして、この世界に転生していた。  無論、最初は驚いた。  漫画の世界に転生するなどフィクションの世界では無いかと、現実を受け止められなかった。  しかし、人間というものはいつまでもそう嘆いているものでも無く、しばらくすると徐々に状況を受け入れるようになっていた。  ……これはチャンスだ。  どういう原理で起こった事象なのかは定かでは無いが、とにかく、私が才野レイとして転生したことには変わりない。  私が才野レイとしての人生をやり直せるということは、つまり……私自身の人生をやり直せると言っても過言では無い。  才能に驕り、努力を怠って痛い目を見た私とレイの、リベンジの機会なのだ。  私はもう、その優れた才能に驕らない。  一生懸命努力して、周りの人間を見下さず、共に切磋琢磨していくんだ。  そして、レイの辿った最悪の結末を変えて見せる。  そう受け入れた私は、魔法少女アカデミアに入ってから必死に努力し、魔法少女としての力をメキメキと伸ばしていった。  しかし驕り高ぶるようなことはせず、私はワカバや他の魔法少女達と力を合わせ、魔人との戦いを続けた。  本来ワカバを裏切って突き放すはずだったレイが、ワカバを支えて共に魔人と戦う一番の戦友となった。  元々の才能もあり、実力で言えば確実にワカバより私の方が上だった。  ワカバに越され、劣等感から悪堕ちするという本来の流れは確実に変わった。  ……確実に変わった……はずだった……。 --- 「……うっ……ッ……?」  呻くように声を上げながら、私は重たい瞼を開いた。  ……一体……何が、あったんだっけ……。  確か、理性を失った魔人の大群が魔法少女アカデミアに襲撃してきて……私はワカバや他の生徒達と共に、その対処に追われていたはずだ。  原作では、元々孤立していたレイは戦いに参加せずに傍観しており、戦いが終わった後にはいなくなっていた。  作中ではハッキリとした説明はされていなかったが、まず間違いなく、ここがレイと邪神ノアの邂逅の時だった。  確実に原作とは異なる世界線を歩んでいたとは言え、何が起こるか分からないと、私は今まで以上に気を引き締めて戦いに挑んでいた。  一人になっては危険だと判断した私は、共闘という形でワカバの近くにいた。  私がワカバと一緒にいることを選んだのは、主人公と一緒にいるのが一番安全だと考えたのも勿論あるが、今のワカバを一人で戦わせるのが少し不安だったというのもある。  原作でワカバが強くなれた理由は、劣等生として馬鹿にされた悔しさと信じていたレイに裏切られた悲しみが合わさり、バネになったということがある。  一応魔法少女アカデミアに入ってから、私はワカバの友として懸命に支え、原作並の強さを持てるように特訓だってしてきた。  今のワカバも、決して弱い訳では無いのだが、原作中盤からの圧倒的な強さと比べると見劣りする部分がある。  今の彼女の力量については、主に私に非がある。  だからこそ、彼女が私のエゴのせいで傷付くような結果にはなって欲しくなくて、必死で自分の戦いとワカバのフォローを両立した。  油断する暇も無ければ、ワカバの傍から離れる余裕も無かった。  しかし、魔人の数が三分の一程まで減った時だった。  突然現れたやけに強い漆黒の魔人の体を何とか魔法の剣で切り裂いた時、突如目の前が暗黒に包まれた。  何が起こっているのか理解することも出来なければ、抵抗することなどできるはずも無く、あっという間に私の意識は闇に落ちた。  そして目が覚めて、今に至る……というわけだ。  戦いの最中だった為に魔法少女に変身していたと言うのに、今ではその変身も解除されている。 「……一体、何が起こって……?」 「あら、目が覚めた?」  未だに状況を理解出来ずにいた時、突然、どこからかそんな声がした。  その声を聴いた瞬間、心臓を直接撫でられたかのような寒気が背筋を走る。  私はそれに体を硬直させそうになるが、すぐにガバッと顔を上げた。  そして、言葉を失った。 「あ……なた……は……」 「ごめんなさい。少し手荒な真似をしてしまったわね。……でも、こうでもしないと、貴方はこの場所に来てくれないと思ったんだもの。仕方がないでしょう?」  そう言いながら、奴は黒い長髪をエルフのように長い耳に掛けた。  所々に蛇の鱗のようなものが局在する、雪のように白い肌。  こちらを見つめる目は鋭く、桃色と紫色のオッドアイをしており、瞳孔の細い蛇のような瞳をしていた。  長い黒髪には、片目のものよりも暗い紫のメッシュが入っている。  彼女は白魚のような手をソッと上げ、自分の胸に当てると、私を見て冷たい微笑を浮かべた。 「初めまして、才野レイ。私は……名乗る程の名前は無いし、名前が無いと貴方も色々と不便でしょうから、そうね……ノア、とでも、呼んで頂戴?」  ……邪神、『ノア』。  この世界の原作である『マギア・エフォート』のラスボス的存在であり、全ての諸悪の根源である邪神。  その姿そのものは、漫画やアニメの時とほとんど変わらない。  しかし、その口から発せられる声は、アニメでは伝わらなかった何とも言えない不気味さを持っていた。  彼女に囁かれれば、まるで氷水を浴びせられたかのような寒気が全身を襲い、今すぐにでも殺されるのではないかと言わんばかりの殺気が心臓を貫く。  ……怖い。  それが、最初に沸き上がった感情だった。  黒く禍々しいオーラを纏った鎖によって固定された私の両手が、カタカタと勝手に震え出す。  そこで、今の私は黒い鎖によって空中に大の字で磔にされるような形で拘束されていることを、ようやく知った。 「あら、そんなに怖がらなくても良いじゃない。別に、貴方に危害を与えるつもりは無いんだから……」  すると、ノアはそう言いながらゆっくりとこちらに手を伸ばし、鎖で固定された私の右手に自分の手を重ねた。  まるで氷のように冷たい手が、私の掌の中に潜り込んでくる。  細くて長い綺麗な指が私の指の隙間にゆっくりと割り込み……ギュッ、と……優しく握られる。  手つきは優しいのに、その手に握られた瞬間、右手が凍り付いたような感覚がした。 「……まぁ、でも……しょうがないかしら」  何も言えずに固まっていると、ノアがそんな風に呟きながら、まるで私の緊張を解すかのように握った私の手を握ったり力を緩めたりする。  しかし、彼女の思惑が分からない私にとっては、そんな動作ですら私の恐怖を煽る一つの材料にしかならなかった。  そんな私を見て彼女はクスリと笑い、手を握る力を強くして私の顔を覗き込み、そして……── 「だって、私のせいで貴方が死ぬかもしれないんでしょう? ──ちゃん?」  ──言った。 「ッ……!?」  突然の言葉に、まるでトンカチで頭をぶん殴られたような衝撃が私を襲った。  なぜなら、彼女が最後に囁いたのは、前世での私の名前だったからだ。  しかも、彼女のその言い方は明らかに確信を持っているようで、誤魔化す余裕すら無かった。  加えて、その前に紡がれた言葉も、未来を予想して言ったようなものでは無かった。  まるで、私がその未来を知っていることを前提として、あくまで確認作業の為に聞いてきたような……そんな感覚だった。  彼女は……私が転生者であることを知っている……!?  しかし、それならどうして、それを知っている……!?  必死に思考を巡らせていた時、握られていた右手が離されたのが分かった。  それに釣られて咄嗟に顔を上げると、そこには冷たい微笑を浮かべたノアが立っていた。 「元々、面白い子だなぁと思っていたのよ。──ちゃん。貴方の選んだ行動は、毎回その場において最善の選択で、まるで未来が分かっているかのように事もなげに障害を乗り越えていく。だからこうして攫って、貴方が気を失っている間に少し記憶を覗いてみたの。そうしたら……フフッ、まさかこの世界が創作物で、貴方は別世界から転生してきた人間だったなんてね?」  淡々と語られる彼女の言葉に、私は絶句した。  まさか……こんな形で、私が転生者であることを知られるなんて思わなかった……。  記憶を覗いたということは、原作で私が迎えた末路も、その先に辿る自分の末路も知ったということになる。  否、それだけではない。私の記憶から、下手すれば彼女はこの世界の全てを知ったと言っても過言では無い。  動揺し固まる私に、彼女はクスリと笑い、続けた。 「正直、私だってあんな末路は嫌よ。だって、貴方が死んだら、あの……ワカバちゃん? が強くなって、私のことを封印するんでしょう? 私だって、あんな末路は嫌だもの」  ノアはそう言いながら、懐から何かを取り出した。  彼女の手に握られたそれを見た瞬間、私は目を見開き、息を呑んだ。 「それはッ……」 「でも、丁度良かった。貴方がこの世界の流れを変えてくれたおかげで、今の貴方はワカバちゃんよりも強いみたいだし」  そう言って微笑む彼女が握っていたのは……私が魔法少女に変身する為の道具である掌サイズのコンパクトだった。  白色を基調とした可愛らしいデザインのソレを持って呪文を唱えることで、私達は魔法少女に変身することが出来る。  コンパクトとその持ち主は見えない魔力の糸のようなもので繋がっており、体の一部と言っても過言では無い。二つ目の心臓と言っても良いだろう。  漫画でも重要なアイテムとして描写された話が幾つかあったが、実際に自分が魔法少女になってみると、余計にそれを痛感する。  だからこそ、敵であるノアの手にコンパクトが握られている状況に、私は一気に動揺した。  この状況は、言ってみれば敵に心臓を握られているようなものなのだから。  マズいッ……このままではッ……! 「だったら、後は簡単なこと。貴方が戦いの最中で目を覚まさないように……より強い洗脳を施してあげれば良いだけの話、よね?」  彼女はそう言うと、手に持ったコンパクトを強く握りしめ、手に黒い光を灯らせた。  刹那、ドクンッ! と心臓が強く鳴り響き、一気に体の中に何かが入って来るような感覚がした。  心臓の鼓動が早くなり、体の中に入って来た何かが一気に全身に駆け巡るような感覚がする。  何だこれは? 何だこの感覚は……!? 「ッ……!」  私は咄嗟に舌を軽く噛むことで生じた痛みにより、何とか正気を保つ。  少しでも気を抜けば、一瞬でこの激流に飲み込まれてしまうと考えたからだ。  だって、この感覚は決して……不快なものではないのだ。  体の中に何かが入って来るような感覚。  しかし、それは決して嫌なものでは無く、むしろ私の体を何か温かいものが満たしていくような充足感があった。  温もりは体の芯を包み込み、そこから徐々に力が込み上げてくるような、漲ってくるような感覚がする。  どんなことでも出来そうな万能感が、私の胸中を占める。  このままこの有り余る力に身を委ねてしまったら、きっと物凄く心地良いことだろう。  今この力を与えてくれている目の前の女性に従ったら、永遠にこの幸せに浸れるのだろう。  そんな根拠の無い欲望が、私の頭の中を支配していた。  何とかこの欲望に抗えたのは、彼女の使った洗脳の手段が漫画と同じだったからだ。  漫画でも同じようにコンパクトに闇の力を流し、レイを洗脳していた。  原作での劣等感の塊だったレイでも、流石に邪神ノアに協力するという選択をすることは無く、最初はノアとの共闘を拒んでいた。  だが、こうしてコンパクトに闇の魔力を流し込まれることで彼女の劣等感に満ちた心は安らぎ、そのまま力に飲み込まれて洗脳されたというわけだ。  本来の展開を知り、尚且つ力をつけて心に余裕を持った私ですらギリギリだったのだ。  原作のレイに、この洗脳に打ち勝つこと術など最初から無かったのだろう。 「ふぅん、この洗脳に耐えるんだ。……まぁ、これくらいは想像していたけど」  すると、ノアが感心した様子でそう呟いたのが聴こえた。  それに、私は視線を彼女に向ける。  今の私には、彼女の言葉に応える余裕すら無かった。  少しでも気を緩んだら、そこから一気に私という存在を塗り潰されてしまいそうな危うさがあったから。  そんな私を、彼女は自分の顎に空いている方の手を当てながら、どこか観察するように眺めた。  少しして、彼女は「そうだ」と言って小さく笑みを浮かべ、その手を私の頬にあてがう。  突然のことに私は驚き、ビクリと僅かに肩を震わせた。 「ねぇ……私の目を見て?」  彼女はそう言いながら、私の頬に添えた手をグイッと強引に上げさせた。  今の私には彼女に抗う力など無く、簡単に顔を上げさせられてしまう。  顔を上げた先には……オッドアイの双眼に、それぞれの目と同色の光を宿してこちらを見つめるノアがいた。 「えっ……なッ……」  目が合った瞬間、私は言葉を失った。  彼女の目を見ると、その目の光に吸い込まれそうな感覚がする。  何とか目を逸らそうとするも、精神的に疲労していたのもあって抗う力など残っておらず、成すがままにその目を見つめ返す。  目が離せない。私の顔はその目を見つめ返したまま固まってしまい、動かすことすらできなかった。  吸い込まれる。意識が、吸い込まれて……薄れて……頭が……ボーッと、していく……。  思考が徐々に朧気になっていき、意識がハッキリしなくなっていく。  すると、体の中に温かい何かが入って来る感覚が強くなっていくのを感じる。  このままではダメだと頭では理解しているのだが、如何せん、体が言うことを聞かない。  抗う術も無いまま、私は目の前の光に意識が吸い込まれるような感覚に身を委ねる。  意識は目の前の光に吸い込まれ、やがて……── --- 「ッ……はッ……!?」  意識が一気に浮上するような感覚と共に、私は目を覚ます。  気付くとそこは、何もない真っ白な空間だった。  天井も床も壁も何も無い、上下左右という概念があるのかも不明瞭な場所。  一応私はその場に立っているつもりだが、本当は壁に足の底が貼り付いているような横向きに立った状態なのかもしれないし、もしかしたら天井からぶら下がったような逆さま状態なのかもしれない。  視線を下ろすと、そこには一糸纏わぬ見慣れた体があった。  小ぶりな胸に女性らしくくびれた腰回り、筋肉質でも無ければ太ったり痩せたりしているわけでも無い中肉中背な体つき。  そして、私の鎖骨や肩甲骨辺りまでかかる黒い長髪……──と、そこまで観察していた時、私はハッとした。  違う。この体は、私のものではない。  否、ある意味では私のモノであるとも言えるのかもしれない。  なぜなら、この体は……前世での私の体だからだ。  才野レイの見た目は、銀色の髪をショートヘアにしており、ツリ目がちな青い目をしている。  魔法少女になる為の訓練としてずっと鍛えてきた体は筋肉質で、細く引き締まっている。  黒い長髪にこの中肉中背で凡庸な体つきは、前世での私の体と酷似している。  一体どうしてこんなことに……? 大体、ここはどこなんだ……?  状況を知る為に辺りを散策しようとしたが、そこで、体が動かせないことに気付いた。  正確には、動かせないのは腰から下だ。  目や口を動かすことは出来るし、首を前後左右に傾げたりすることも可能。  腕や手指も不自由なく動かせるし、腰を軽く回して広範囲を見渡すことも出来る。  しかし、それより下の下半身は一切言うことを聞かず、その場から離れることが出来なかった。  これは一体……? 「フフッ。驚いているみたいね、レイちゃん。……いや、今は──ちゃんだったかしら?」 「ッ……!?」  どこからか声を掛けられ、私は咄嗟に視線を向ける。  するとそこには、緩く笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくるノアの姿があった。 「ノア……!? まさか、これはアンタが……!?」 「あら。アンタ、なんて汚い口の利き方しちゃダメじゃない。折角可愛い顔してるんだし、もっと上品な言葉遣いじゃなくちゃ……」 「私に何をしたの!? どうして私は前世の姿になっているの!?」  ノアの言葉を遮るように、私はそう責め立てた。  すると、彼女はやれやれと言った様子で肩を竦め、口を開いた。 「全く……少しくらい静かにしなさいよね」 「何を言っ……ッ! ッ……!?」  ノアに反論しようとした時、突然喉が締め付けられるような感覚と共に、声が出なくなる。  私は咄嗟に自分の喉に手を当て、声を発そうと必死に喉を振り絞る。  しかし、どれだけ頑張っても口からは掠れた吐息が漏れるのみで、声にすらならなかった。 「無駄よ。確かに、貴方の心はまだ堕ちきってはいないものの、今の貴方の体は私の闇の力で満たされているの。貴方が気付いていないだけで、すでに肉体の方は染まりきっているのよ。私の声に逆らえるはずが無いでしょう?」  冷たい微笑を浮かべながら言うノアに、私は先程の彼女の洗脳を思い出す。  ……確かに、意識がハッキリしていた内は何とかギリギリのところで堪えてはいたが、それでも大分危うい方だった。  魔法少女に変身する為のコンパクトを介して注ぎ込まれる闇の魔力が心地よくて、少しでも気を抜けば、そのまま快楽に溺れてしまいそうだった。  そこでノアの目を見て、意識がハッキリしなくなって……それこそ、闇の魔力に沈んでいくように、意識を失ったのだ。 「このまま肉体に引きずられる形で意識も一緒に染まってくれるのを待っても良いんだけど……その方法じゃすぐに正気を取り戻してしまうということは、貴方の記憶を覗いて知ってしまったからね。対策を練ることにしたの」  彼女はそう言いながらゆっくりとこちらまで歩き、私のすぐ目の前まで来て止まった。  対策……? と聞き返そうとしたが、相変わらず声を発することが出来ず、口から掠れた吐息を漏らすことしか出来ない。  そんな私の様子に彼女はクスリと小さく笑い、続けた。 「ここは、貴方の精神世界。今の貴方は、言ってみれば貴方自身の心の具現化のようなもの。……まぁ、魂みたいなもの、かしら?」  突拍子の無い言葉に、私はしばらく呆然とした。  ここが……精神世界……?  一体どうやって……いや、相手は邪神とは言え、一応は神。それくらいは余裕ということか……?  それに、精神世界だと言うのなら、今の私が前世の姿をしているのも納得はいくか……。  だが、どうしてこんな所に……?  ……まさか……! 「そう。肉体や表層心理だけじゃなくて、深層心理……ううん、もっと奥深く。貴方の性格、心、人格……魂とも呼べる、貴方の存在そのものを塗り換えてしまおうと思ったの」  私の思考に答えるように言ったノアの言葉に、一気に血の気が引くような感覚がした。  そんなこと出来るはずないと思いたいが、こうして精神世界に侵入された上にすでに抵抗すら出来ていない現状に、本能に近い何かが警告信号を鳴らしているのが分かった。  このままではマズい、と頭の中では理解しているが、今の私にはどうしようも無かった。  彼女はそんな私を見て小さく笑みを浮かべると、両手で私の肩を掴み── 「さぁ、私のモノになりなさい?」 「ッ……!」  ──抱擁した。  否、ただの抱擁では無い。  彼女は自身の豊満な胸の谷間に私の顔を埋めるような形で、強く抱きしめたのだ。  突然の出来事に私は言葉を失うが、すぐに我に返り、彼女の抱擁から抜け出すべく彼女の腕の中でもがいた。  しかし、彼女の腕の中ではせいぜいその場で身悶えるような仕草を取ることが精一杯で、脱出など夢のまた夢のように思えた。  オマケに、胸の谷間に顔を埋めるような形になっている為に、呼吸もままならない。  ヤバい……落ち……──。 「あぁ、少し苦しかった?」  意識が落ちるかと思われたその時、ノアはそう言って私の体を少し離した。  すると、彼女の胸の谷間との間に僅かに空間ができ、息をすることが出来た。  酸欠で頭がボーッとして思考もままならず、私は脳に酸素を送るように大きく息を吸った。  直後、甘ったるい匂いが私の脳天を貫いた。 「んんんッ……!?」 「ホラ、もっとちゃんと深呼吸して? はい、吸って~、吐いて~」  咄嗟に彼女から離れようと腕を突き出すが、肩を強く掴まれてしまい、それも叶わない。  そのまま頭上から降ってくる声に従い、私は深呼吸を繰り返してしまう。  すでに肉体は彼女のモノに堕ちている私にとって、彼女の言葉は私を動かす操り糸のようだった。  言われるがままに、私は何度も深呼吸を繰り返す。  繰り返す度に体内に取り込まれる甘い匂いが、私の体の中に──無防備になった、私の心に──染み渡っていくような感覚がした。  心が彼女の色に染め上げられ、人格が彼女の色で塗り潰され、私という存在そのものが汚されていくような錯覚がする。  しかも恐ろしいことに、先程まで抱いていた危機感が徐々に薄れ、代わりに一種の心地良さを感じ始めていた。  気付けば体を突き返そうとしていた両腕はダランと垂れ下がり、指先一つ動かせなかった。 「ちゃんと深呼吸出来て偉いわねぇ♪ 良い子良い子♪」  あやすような口調で言いながら、彼女は私の頭を乳房で挟み込み、もみくちゃにするかのように揉みしだき始めた。  褒められた……嬉しい……♡  一瞬沸いた喜びに疑問を抱く間も無く、私の存在を塗り替える甘い匂いごと、私の頭はもみくちゃにされる。  身も心も理性も知性も品性も思考も欲望も本能も品格も人格も……──存在も。  文字通り、私の全てを掻き混ぜるように、彼女は私の頭ごと乳房を揉みしだき始める。  掻き混ぜられる私の頭に釣られて体の方も動き、重力に従って垂れ下がっていた両腕がその動きに合わせてフラフラ揺れる。 「ぷはぁっ……」  気付けば両腕だけでなく体にも力が入らなくなっており、私は崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。  その際にノアの胸から顔が解放されるが、先程まで嗅いでいた甘い匂いは薄れることなく、私の気管の中に色濃く残っているような気がした。  胸の谷間から解放されたことにより、私はその場に座り込んだまま何度か荒い呼吸を繰り返すが、その度に甘い匂いが気管を出入りしているような感覚がする。  頭の中がグチャグチャで、ボーッとして……もう、何も考えられない。  思考も纏まらず、ただ、体の中に残る甘い匂いに酔いしれることしか出来なかった。 「あら、腰抜かしちゃったの?」  すると、ノアがそんな風に言いながら私の前でしゃがみ込み、顔を覗き込んでくる。  それに咄嗟に顔を上げると、彼女は私の顔を見てクスリと笑った。 「フフッ、すっかり蕩けちゃって……良い顔してる♪」  切れ長の目を細めながら言われたその言葉に、ゾクリ、と背筋に何かが走るのを感じた。  それが何なのかを考えるよりも前に、彼女は私の両頬に手を添えて顔を上げさせ、目を合わせさせた。 「それじゃあ、最後の仕上げ。……さぁ、私の目を見て?」 「ぁ……ぁぁ……♡」  怪しい光を放つノアの双眼に、私は小さく声を漏らしながらその光を見つめる。  それに抵抗するという選択肢は、思考を失った今の私には微塵も沸かなかった。  彼女の目を見ていると、グチャグチャになった頭の中が空っぽになっていくような感覚がして、それはそれで心地よかった。 「私はノア様の僕」  彼女の綺麗な唇から紡がれたその言葉は、空っぽになった私の頭の中に直接響くような感覚がした。  その言葉が私の中で反響する内に、徐々に私の言葉となって染み込んでいく。  すると、空洞になった私の中が満たされていくような感覚がした。  あぁ……♡ 気持ちいい……♡ 私はノア様の僕……♡ 私はノア様の僕……♡ 「フフッ、恍惚としちゃって可愛い♡ でも、きちんと復唱して、もっと奥深くまで私の言葉を刻み込ませてね?」 「ぁ……はい。わかり、ました……♡」 「それじゃあもう一度……私はノア様の僕」 「わたしは……のあさまの、しもべ……♡」  言われた通りに復唱すると、先程よりもノア様の言葉が深く、私の中に刻み込まれるのが分かった。  きちんと復唱する私を見て、彼女は小さく笑みを浮かべて続けた。 「私はノア様の奴隷」 「わた、しは……のあさま、の……どれい……♡」 「私はノア様の傀儡」 「わたし、は……のあさま、の……かい、らい……♡」 「私はノア様の操り人形」 「わた、しは……のあ、さまの……あやつり、にんぎょう……♡」  ノア様に囁かれた言葉を白い布に染み込む絵の具だとすれば、復唱は布に傷を付けるナイフであり、復唱した言葉はナイフによって刻み込まれた傷のようなものだった。  一度ついた傷は、修繕して誤魔化すことは出来ても、完全に無かったことにするのは不可能。  自分で復唱した言葉が、消えない暗示となって私の心に刻み込まれていくのを感じる。 「ノア様は私のご主人様」 「のあ、さまは……わた、しの……ごしゅじん、さま……♡」 「ご主人様の言うことには絶対服従」 「ごしゅじん、さまの……いうことは、、ふくじゅう……♡」 「私にとって、ご主人様が世界の全て」 「わたしに、とって……ごしゅじん、さまが……せかいの、すべ、て……♡」 「ご主人様の命令に従うことが私の幸せ」 「ごしゅじんさまの、めいれいに……したがう、ことが……わたしの……しあわせ……♡」 「ご主人様の幸せは私の幸せ」 「ごしゅじんさまの、しあわ、せは……わたしの、しあ、わせ……♡」  復唱する度に、私の心に消えない傷が刻み込まれる。  何度も何度も傷を刻まれた心は、いつしか原型を失い……粉々に、砕け散る。 「私はご主人様のモノだから、ご主人様がくれる幸せ以外何もいらない。だから、それ以外の感情も、それに必要のない記憶も全て捨てます。ご主人様がいればそれで良い」  そして、ご主人様の言葉が、僅かに残った心の欠片に手を伸ばす。  頭の奥で、せめてこれだけは守らなければと、誰かが叫んでいる。  しかし……── 「わた、しは……ごしゅじん、さまの……ものだから……ごしゅじん、さまが……くれる……しあわせ、いがい……なにも、いらない……だから、それいが、いの……かん、じょうも……それに、ひつようのない、きお、くも……すべ、て……すて、ます……ごしゅじんさまが、いれば……それで、いい……!♡」  ──私は自分の手で、僅かに残った自分の欠片を全て、握り潰す。  直後、今まで生きてきた記憶だとか、前世の記憶だとか、そういうものが全て彼方へと消えていくような感覚がした。  けど、今の私には関係無い。  私がご主人様のモノで、記憶も何もいらないのだから。  すると、ご主人様が両目の光を消し、パンッと胸の前で手を叩いた。 「はい、よく言えました! それじゃあ、最後の仕上げをするわね♪」  彼女はそう言うと私の頭に手を伸ばし、ソッと優しく撫でつけた。  突然のご主人様からの愛撫に、私は体を硬直させた。  ご主人様に撫でられてる……嬉しい……♡  心の底から込み上げてくる幸福感に、私は顔を綻ばせてそれを受け入れる。  すると、ご主人様は私の前髪を掻き分け、額を露わにさせた。 「フフッ……最後に、ここの口付けをしてあげる。……貴方が私のモノになったという証明となる印を、ここに刻んであげる」  ご主人様からの口付け……しかも、私がご主人様のモノであるという証明……。  二重にも三重にもなる悦びに、呼吸を荒くしながらご主人様の目を見つめ返した。  すると、彼女は小さく微笑んだ。 「それじゃあ、目を瞑りなさい?」  言われるがままに、私は静かに目を瞑った。  すると、彼女は私の肩を掴んで……──「んッ♡」──……額に口付けを落とす。  額に柔らかい何かが触れたのを感じ、私はゆっくりと瞼を開いた。  目の前には、息が掛かるのではないかと言わんばかりの至近距離でこちらを見つめるご主人様がいた。 「ぁ……♡ ご主人様……♡」  咄嗟にそう呟いた時、ご主人様の瞳の中に映る私の姿が目に入った。  そこには、恍惚とした様子で惚けた顔をして、虚ろな目をした少女が一人いた。  彼女の額には、ハートの形を模したような紋様が刻まれている。 「フフッ、可愛い顔。完全に堕ちたみたいね♪」  ご主人様はそう言うと、嬉しそうに笑んだ。  彼女は優しく私の頭を撫でると、それで満足したのか、すぐにこの精神世界から姿を消した。  一人になった私は、火照った思考を吐き出すように熱を持った溜息を洩らし、顔を上げた。  そこで、白かったはずの精神世界が、気付けば漆黒に包まれていることに気付いた。 --- 「ふぅ……」  小さく息をつき、ノアはゆっくりと瞼を開く。  目の前には、両手足を漆黒の鎖で繋がれ、完全に脱力した様子で空中に固定された一人の少女……才野レイがいた。  明かりなど無いこの場所でも光を反射しているような錯覚をする程に綺麗な白みの強い銀色の短い髪には、前髪の一部だけがメッシュでも入れたかのように黒く染まっている。  彼女の瞼は固く閉じており、開きそうな雰囲気は全く無かった。  ノアはそれを見て静かに舌なめずりをすると、レイの頭に手を掲げた。  すると、レイの両手足を拘束していた鎖がバチンッ! と小気味よい音を立てて外れ、彼女の体を解放する。 「っと……」  ノアは小さく声を漏らしつつ、前のめりに倒れてくるレイの体を咄嗟に受け止めた。  彼女はすぐに両手でレイの体を支え、立たせるように両足を地面につけさせる。 「……起きて? レイ」  ノアがそう囁くと、レイはゆっくりと瞼を開いた。  海のように綺麗で澄んだ青い目は自我の光を失い、見る影もない程に暗く淀んでいた。  彼女はダランと両手を垂らし、その虚ろな目でぼんやりと虚空を見つめていた。  しかし、しばらくすると彼女の目に、ぽわぁん……とハートを模したような紋様が浮かんだ。  それは、先程精神世界でノアにキスされた際に額についたものと全く同じだった。  彼女はぼんやりした表情で顔を上げ、ハートの紋様が浮かんだその目で、目の前にいるノアを見つめた。  目の前にいる“ご主人様”の姿を認識した途端、彼女はすぐさまその場で姿勢を正し、気をつけの姿勢で口を開いた。 「おはようございます、ご主人様」 「えぇ、おはよう。……調子はどう?」 「はい。まだ少し頭がぼんやりする部分はありますが、特に問題はありません。むしろ、私がご主人様の所有物であるということを教えて頂き、感謝したいくらいです。本当にありがとうございます」  淡々とした口調で言いながら深々と頭を下げるレイの姿に、ノアはクスクスと、どこか楽しそうな笑みを浮かべた。  今のレイには、前世の──としての記憶も、この世界に生まれてからの才野レイとしての記憶も、ほとんど残っていない。  目の前にいるのは、ノアに服従し、ノアの為だけに生きる空っぽの操り人形。レイなのだ。  その事実を再確認したノアは、その笑みを絶やさぬまま、手に持っていたコンパクトをレイの前に差し出した。 「はい。それじゃあ、このコンパクトに私の魔力をたっぷり注ぎ込んでおいたから……大切に使ってね?」 「わ、わざわざ私の為に、ですか……!?」  驚いた口調で言いながら、レイはうやうやしい態度でコンパクトを受け取った。  正に魔法少女の純潔の心を示すような純白色をしていた可愛らしいコンパクトは、今では純潔など見る影もない程に禍々しい漆黒の闇に包まれていた。  しかし、レイはそんなコンパクトをどこか愛おしそうに見つめつつも、顔を上げてノアの顔を見た。  ノアはそれに笑みを返し、返答へと変える。  それを見たレイはその虚ろな双眼に涙を滲ませ、大切そうにコンパクトを胸に抱いた。 「ありがとうございます……このコンパクト、大切に使わせて頂きます……!」 「フフッ、喜んでもらえたなら良かったわ。……ねぇ、早速それを使って変身して見せて?」  ハッキリと意識がある状態での、初めての主からの命令。  それに、レイは恍惚とした表情を浮かべながらも、すぐに「はい……!」と嬉しそうに答えた。  彼女は漆黒のコンパクトをしっかりと構え、口を開いた。 「マギア・エフォート・ドレスアップ!」  そう声を上げた瞬間、コンパクトが漆黒の光を放ち、レイの体を包み込む。  光によって彼女の着ていた服は消え、代わりに彼女の体を、黒を基調としたドレスが包み込んだ。  純白の髪は闇を彷彿とさせるような黒に染まり、ドレスと同じく黒を基調としたステッキを片手に握る。  元々は、髪もドレスもステッキも、白を基調としたものだった。  純白の魔法少女の体を闇が包み込み、闇の魔法少女へと反転させているようだった。  しかし、レイはノアの魔力によって染め上げられた自分の姿に陶然としており、嫌がる素振りなどは全く無かった。 「あぁ……♡ ご主人様の魔力に全身が包み込まれているのを感じます……♡ まるで、ご主人様に体を抱かれているような……♡ 撫でられているような……♡」 「フフッ……喜んでもらえたみたいで何より」  身を震わせながら言うレイに、ノアはどこか満足そうな笑みを浮かべながら言った。  それから、自分に抱かれているようだと恍惚とするレイの体を引き寄せ、優しく抱き締めた。  突然の抱擁に、レイは目を白黒させる。 「ご、ご主人様……!?♡」 「そんなに言うなら、本当に抱き締めてあげようと思って」  声を上げるレイに、ノアはそう言いながら彼女の体を撫でる。  まるで愛でるように撫でる主の手の感触に、レイは「んんッ……♡」と小さく声を漏らしながらも、従順に身を委ねる。  そんなレイの姿に、ノアはクスリと小さく笑みを浮かべて彼女の耳元に口を近づけた。 「それじゃあ、これから色々とよろしくね? レイ?」 「はいっ♡ お任せ下さい♡ ご主人様♡」  レイはうっとりした表情で言うと、ノアの胸に顔を埋めた。


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