恩師の毒牙に掛けられて #2
Added 2020-06-02 15:07:38 +0000 UTC<生駒愛里視点> 「ありがとうございました!」 「「「ありがとうございました~!」」」 今日もいつものように、テニスコートに向かって挨拶をして練習を終える。 顔を上げて一年生達がテニスコートにトンボ掛けを始めるのを横目に見つつ、私はすぐさまグランドの隅に置いといた水筒の元へと駆け寄り、中に入っているスポーツドリンクを口に含んだ。 口の中を甘酸っぱい液体で潤しつつ、私は遠くに見える校舎の壁に立て掛けられた時計を見た。 見ると、その時計はすでに五時半過ぎを指している。 ヤバい……! 今日は六時から家庭教師の入江先生が来る日だ……! 「あれ、愛里なんか慌ててるね?」 慌てて水筒やらタオルを片付けていると、隣にやって来ていた優美が、そんな風に声を掛けてきた。 「ごめん! 今日これから家庭教師の時間だから……! 片付け任せても良い!?」 「あぁ、そっか……おっけ。ここは私に任せて、早く帰んなよ」 「ホントごめん! ありがとう!」 指で丸を作りながら言う優美に、私は慌ててお礼を言いながらラケットバッグを肩に掛け、水筒とタオルを持ってテニスコートを後にした。 前回の授業から、ずっと何とも言えない欲求が胸中で渦巻いているのだ。 上手く言えないけど、早く次の授業を受けたいような……早く、入江先生に会いたいような……。 ただ、その原因に全く身に覚えが無いかと問われると、私は否と答えられる。 多分だけど、この気持ちは……前回の授業の後で入江先生が掛けてくれた催眠術が原因だ。 催眠術に掛けられている間の記憶はほとんどないけど、頭がスッキリして、凄く気持ちよかったことは覚えている。 もう一度掛けてほしい。そんな気持ちが、私の心の中に蔓延っていた。 迷惑じゃなければ、今回も掛けて貰おう。……掛けて、貰いたい……。 「修斗決めろ!」 すると、グランドの方からそんな声がして、私は咄嗟に足を止めた。 顔を上げた瞬間、丁度ドリブルをしていた修斗がディフェンスを躱し、ゴールに向かってシュートを放ったのが見えた。 高く弧を描くように蹴り上げられたボールはキーパーの手を避け、ゴールネットの中に柔らかく吸い込まれていった。 「わぁ……」 溜息をつくように、私は小さく声を漏らした。 しかし、そこでハッと我に返る。 いけない、こんなことをしている場合ではない。 すぐに家に帰って入江先生を出迎える準備をしなければ。 そんな気持ちから、私はラケットバッグを肩に掛け直し、部室棟に向かって駆けた。 --- <入江咲良視点> 今日も生駒家に着いた私は、インターフォンを慣らした。 すると、扉の向こうからくぐもった音が聴こえる。 かと思うと、バタバタと慌ただしい足音がした。 「先生……!」 扉が開くのとほぼ同時に、今までに見たこと無い程に嬉しそうな表情を浮かべた生駒さんが出迎えた。 今まで私を出迎えるのは生駒さんの母親ばかりで、彼女自身は自室で勉強の準備をして待機していることが多かった。 当然彼女自身が出迎えることなど初めてのことで、私は少し驚いた。 「あら、生駒さん。こんばんは」 「あっ、こんばんは……! ど、どうぞ……」 生駒さんはそう言うと、どこかぎこちない動作で私を迎え入れた。 それに、私は「ありがとう」と答えて笑いつつ、家の中に入る。 ……これは、この間の暗示が上手くいっていると考えて良さそうだ。 私でも彼女が出迎えをすることまでは予想しておらず、少し驚いた部分はあるが……それだけ私の催眠術を楽しみにしていたということだろう。 その証拠に、先程からずっと何やらソワソワした様子で、何か言いたげに口ごもっている。 彼女の様子に内心でほくそ笑みつつ、私は玄関で靴を脱ぎ、私の為に用意されていた来賓用スリッパを履いて廊下に踏み込んだ。 すると、台所から生駒さんの母親が顔を出した。 「入江先生、こんばんは。今日も愛里をよろしくお願いします」 「こんばんは。はい、お任せください」 「フフッ、愛里ってば、帰ってから入江先生が来るまでずっとソワソワしていたんですよ。よっぽど先生の授業が楽しみみたいで」 「ちょっと、お母さん! 変なこと言わなくて良いから!」 生駒さんは恥ずかしそうにそう言うと、「もう行きましょう!」と言って私の背中を押して自分の部屋へと先導する。 ……まぁ、彼女が楽しみにしていたのは、恐らく別のことでしょうしね。 内心でそんな風に考えつつ、私は促されるまま廊下を進み、彼女の部屋に到着した。 「フフッ。まさか、生駒さんがそんなに私の授業を楽しみにしてくれているなんて……それなら、その期待に応えられるように、今日は今まで以上に気合を入れないとね」 ひとまず、私は冗談めかした口調でそう言いつつ、鞄を置いて授業の準備をする。 「……あのっ、先生……!」 すると、生駒さんが何か意を決した様子で口を開いた。 ……来たか……? 私は参考書を鞄から取り出す手を止め、顔を上げて彼女に視線を向けた。 「……何? 私に、何か用?」 「あのっ、私、その……」 微かに頬を赤く染めながら、彼女は口ごもりつつ視線を逸らす。 それに、私は急かさず、続きを待った。 ……私が何か言わずとも、彼女の高い被暗示性ならば、羞恥心を上回って暗示が作動するだろう。 「……この前、先生……催眠術を掛けてくれたことが、あったじゃ、ないですか……」 「……そういえば、そんなこともあったわね」 すっとぼけも良い所だな、と内心で考えつつ、私は鞄から取り出した参考書を机に置いた。 それに、彼女はグッと胸の前で手を握り締め、重々しく続けた。 「それで……あれが、すごく気持ちが良くて……忘れられ、なくて……だから……!」 「また、催眠術を掛けて欲しい……と?」 最後の最後で、私はソッと背中を押すように、彼女の気持ちを引き出してやる。 緊張しているのか、彼女の張り詰めた感情の糸を……ぷつんっ、と……切ってやる。 別に、最後まで彼女の意志で最後まで言わせる必要は無い。 こうすることで、“入江先生が私の気持ちを後押ししてくれた”という印象を植え付けることが出来る。 大事なのは、“入江先生のおかげ”と思わせる印象操作をすることだ。 結果として、それは……彼女の私への信頼を高めることに繋がる。 「あっ、はい、そうなんです。……迷惑、だったら……大丈夫なんです、けど……」 「迷惑なんて、そんなこと無いわよ。むしろ、気に入って貰えたみたいで嬉しいわ」 私はそう言いつつ、鞄から筆記用具を取り出す。 その際に、筆箱に引っ掛かっていたのか、催眠術用のペンライトが転がり出た。 すると、生駒さんの視線が、瞬く間にそちらに集中したのが分かった。 ……口にはしないものの、私の想定以上に、催眠術への関心は上がっているみたいね。 「それに、催眠療法には心や体を癒す効果があって、中にはちょっとした中毒性を感じる人もいるの。……あぁ、中毒性と言っても、何回かやっていたら自然と慣れていくものだから……そこまで気にする必要は無いわ」 「そうなんですか……!」 パァッ、と安心した様子で顔を輝かせる生駒さんに、私は静かにほくそ笑む。 ……まぁ、ほとんど口からの出まかせだけどね。 とは言え、彼女にそういった催眠術の知識が無いことは、半年間の授業の中でリサーチ済みだ。 加えて、大学で心理学を学び、この前本当に催眠術を掛けて見せた私の言葉なら、信じざるを得ない。 「とはいえ、催眠術は授業が終わってからね。……まぁ、定期テストも終わったばかりだし、今日の授業は少し早めに終わってあげるから」 「……! はい! よろしくお願いします!」 嬉しそうに言う彼女に、私はクスリと小さくほくそ笑む。 すっかり私を信じ切っちゃって……少しずつ歪められているとも知らないで。 さて、とりあえず、まずは授業を始めようかしら。 それが終わったら……本番を始めましょう。 --- 催眠術のこともあったし、定期テストが終わったばかりということもあって、今回の授業は少し軽くしておいた。 思っていたよりも暗示が掛かっていて、授業に集中できないのではないかと危惧したが、それとこれはまた別のようだった。 もしくは、私の気休めが効いたのかもしれない。 ……どちらにせよ、本当に単純な子だ。 「……さて、それじゃあ、今日の授業はこれくらいにしておきましょうか」 時計の針が七時半を指したのを確認し、私はそう答えた。 すると、生駒さんはピクリと肩を震わせ、取り落とすようにシャーペンから手を離した。 しかし、彼女がそれを気にすることは無く、すぐに椅子を回転させてこちらに体を向けて来た。 「そ、それじゃあ、催眠術を……!」 「えぇ、そうね。『優等生の愛里ちゃん』?」 「ぁ……」 私の声を聞いた瞬間、生駒さんの目から光が失せ、その顔から感情が抜け落ちていく。 後暗示は完璧ね……。 内心でそう呟いた私は、彼女の手を取って立ち上がらせた。 「はい、それじゃあ立って……ベッドに移動しましょう」 「……はい……」 私の声に、眠たいような重たい声で答えると、彼女は緩慢な動きで立ち上がった。 ゆっくりと手を引いてやると、彼女はまるで操り人形のようなぎこちない動きで歩いて行き、私の手の動きに釣られて付いて来る。 フラフラと体を左右に揺らしながら歩く彼女の体を支えつつ、私はベッドの上に腰を下ろし、隣に彼女を座らせた。 「はい、よく出来ました。それじゃあ、今貴方はどんな状態ですか?」 「はい……わたしは、さいみんじょうたい、です……」 「そうですね。何も考えられない、何も感じない、深い、ふかぁい催眠状態ですね」 私はそう言いながら、彼女の体を抱き寄せ、頭を撫でてやる。 すると、彼女は「んッ……」と小さく呻くような声を漏らしながらも、それ以上は抵抗しなかった。 彼女の様子に私は笑みを浮かべ、続けた。 「何も考えられないから、貴方は聞かれた質問には素直に答えます。例え、どんな質問でも、正直に答えてしまいます。……だって、貴方は何も感じないのですから……例えどんな質問でも、恥ずかしいとか、そんな感情は全く沸き上がってきません」 「……はい……わたしは、どんなしつもん、でも……しょうじきに、こたえ、ます……」 虚ろな表情に抑揚の無い声で答える彼女の言葉に、私は彼女の頭からソッと手を離し、その手を腰に回してやる。 彼女の体を優しく抱き寄せながら、私は続けた。 「それじゃあ、まずは……貴方の名前は何ですか?」 「なまえ、は……いこま、あいり……です……」 「何歳ですか?」 「じゅうななさい、です……」 「部活は何をしていますか?」 「てにすぶ、です……」 まずは無難な質問から始めてみると、生駒さんは顔色一つ変えないまま、虚ろな声でどこか寝言のように答えた。 ふむ……催眠状態は維持されたままだな。 では、もう少し踏み入った質問でも……。 「それじゃあ……好きな人は、いますか?」 「……はい……います……」 私の問いに、生駒さんは呟くように答えた。 「……それは、誰?」 「はい……おなじ、がくねん、の……しゅうと……です……」 虚ろな目をしたまま言う生駒さんに、私は僅かに目を細めた。 ……彼女に好きな人がいることも、それが同じ学年のシュウトという男子であることも、知っている。 以前、授業の休憩がてら彼女の恋バナに少し付き合ったことがあり、そこで知ったのだ。 彼女の恋愛対象が男であることも知っていたし、今更不都合はない。 しかし、一度話したことがあるとは言え、こんな風に表情一つ変えずに言えるとは……。 中々の催眠の掛かり具合に、私は口元に笑みが浮かぶのを感じた。 「それじゃあ、私……入江先生のことはどう思いますか?」 「はい……いりえせんせい、は……わたしの、かていきょうし、で……せんせいの、おかげで、べんきょう、が……たのしく、なりまし、た……せんせい、は……わたしの……おんし、です……」 「ふぅん……ちなみに、恋愛感情は?」 「……ありま、せん……」 虚ろな声で呟く生駒さんに、私は「なるほど」と呟いた。 「じゃあ、女同士の恋愛についてはどう思う?」 「はい……れんあいは、じゆう、なの、で……わるいこと、では……ないと……おもい、ます……」 「そう。ちなみに、貴方自身がしようとは?」 「……いまの、ところは……とくには……」 ふむ……別に、男しか好きにならないと言うわけでは無いのか。 彼女の口調的に、女同士の恋愛への差別意識や強い拒絶等は特に見られない。 それなら……。 「生駒さん、よく聞いて」 私はそう言いながら生駒さんの両目を塞ぎ、耳元で囁く。 すると、彼女は「ぁ……」と小さく声を漏らす。 そんな彼女を無視して、私は続けた。 「貴方にとって、入江先生は恩師のような存在。それは良いわね?」 「ぁ……はい……そう、です……」 「では、これからその尊敬の念はどんどん膨らんでいきます。入江先生は貴方を救ってくれた恩師、特別な存在、貴方にとって無くてはならない存在です」 恋愛感情を書き換えることは簡単なことでは無い。 そんな、一朝一夕で出来るようなものではない。 だから、まずは私への好意的な気持ちを大きくして……そこから、少しずつ恋愛感情へと置き換えていく。 「貴方の恩師は女性。貴方を救ってくれたのは女性。だから、貴方は女性に魅力を感じるようになります。女性に対して、今まで以上に好意的な感情を抱くようになります。女性の体、声、仕草……女性のあらゆる部分に、惹かれていくようになります」 そして……女性そのものに対しての好意を、上げる。 いきなり恋愛感情に塗り替えるのは難しいので、まずは今まで以上に女性に対して魅力を感じるようにする。 元々女同士の恋愛に対しての拒否感等は無いのだし、女性への関心を深めれば、いずれは同性への恋愛感情へと塗り替えることも可能だろう。 そうなれば、今の好きな人への興味も相反的に薄れていくかもしれないし……上手くいかなかったら、その時は男性に嫌悪感を抱くような暗示を刷り込めばいい。 私の暗示が少し多かったのか、彼女は自分の両目を塞ぐ私の手に身を委ねたまま、口を半開きにして涎を垂らしていた。 掌の中で、たまに彼女の瞼がピクピクと震えているのが分かる。 時計を確認してみれば、時刻はもうすぐ八時になろうとしている。 今日はこんなところかしら……。 私は前回と同様に、催眠に掛けられている間のことは忘れること、しかし私の刷り込んだ暗示は心の中に残っていることを刷り込み、口元の涎を拭いてやって目を覚まさせた。 「ハッ……」 ハッと目を覚ました彼女は、キョロキョロと辺りを見渡した。 私がそれに小さく笑いつつ身支度を整えていると、彼女はようやく口を開いた。 「あの……私、また催眠術に掛かってたんですか……?」 「ん? ……えぇ、そうね。バッチリ」 「そうなんですか……全然覚えてないや……でも、スッキリした感覚はあるし……」 自分が催眠術に掛かっていた記憶が無いことから、彼女は驚いた様子でそう呟く。 そんな彼女の様子に私は笑い、忘れ物が無いことを確認しつつ鞄を肩に掛ける。 「生駒さん、普通と比べると被暗示性が高いから、普通以上に深く催眠に掛かっているのよ。……夢を見ないくらい深く眠っているような感覚かしら」 「なるほど……あっ、ありがとうございます。我儘聞いて貰っちゃって……」 「構わないわ。それじゃあ、時間も丁度いいし、今日はもう帰るわね」 「あっ、下まで送ります!」 帰ろうとする私に、生駒さんは慌てた様子で言って立ち上がる。 私達は二人で部屋を出ると、玄関まで共に向かった。 「それじゃあ、次の授業は明後日ね。……ちゃんと、今日の授業の予習復習をしておくようにね」 「うッ……はぁい。分かりました」 私の言葉に、生駒さんはどこか渋い顔をしつつも、すぐに小さく笑ってそう答えた。 そんなやり取りをしているとあっという間に玄関に着いたので、私は外来用のスリッパを脱ぎ、靴に履き替える。 「それじゃあ、今日もありがとうございました。夜道には気を付けて下さいね」 「フフッ、えぇ。ありがとう。それじゃあね」 笑顔で見送ってくれる生駒さんに、私は小さく笑ってそう答えつつ、家を出た。