【先行公開版】脳の髄まで染められて
Added 2019-07-14 14:30:09 +0000 UTC城のとある一室にて、二人の男女が対面する。 男は大きな椅子に腰掛け、手元にある書類を捲る。 対する女は、机を挟んで男と対面し、腕を腰の後ろで組んで直立している。 銀色のショートヘアの髪に、血のように真っ赤な双眼が男を捉える。 服は上下共に黒一色で、もしこの部屋の電気を消してしまえば、すぐにでも闇に紛れてしまいそうだった。 そして、何よりも驚きなのは……彼女の年齢が十代後半にしか見えないところだ。 服装や姿勢、表情は良く出来た仕事人そのものだが、見た目の年齢はそれにそぐわない。 女……というよりは、少女と表記した方が正しいだろう。 その少女が持って来た書類を読んだ男は小さく息をつき、フッと微笑んで口を開いた。 「スピア……今回も良い仕事をしてくれた。いつも通り、今日持って帰ってきた情報も、とても良いものだったよ」 「……ありがとうございます」 「本当なら、しばらくは休んでくれと言いたいところだが……次の仕事に向かって欲しい」 男の言葉に、スピアと呼ばれた少女は、その表情を僅かに引き締めた。 現在、この世界は戦争時代の最中にあった。 戦争を勝ち抜くために最も必要なものは、他国の情報。 そのため、この国直属の諜報員であるスピアには、休みなど無いも同然だった。 男……エスピオン王国の国王からの次の依頼は、エスピオンと対立関係にある、フェアラート王国への潜入調査だった。 フェアラート自体はエスピオンの足元にも及ばない小国だが……ここ一ヶ月程で、フェアラートよりも断然優れているような幾つもの国が、次々にフェアラートに降伏しているのだ。 それどころか、明らかにその国が不利になるような条約を受け、降伏した全ての国がフェアラートの傘下に下っている。 このような事態は、戦争が始まったばかりの頃は誰も予想しておらず、現在フェアラート軍に着いたもの以外の全ての国が混乱していた。 現在、フェアラートの全容はベールに包まれたような状態だ。 だからこそ、情報が欲しい。 スピアは年齢にそぐわない、優秀なスパイである。 エスピオン国にとっては、彼女に頼るしかフェアラートに備える方法は無いと判断した。 「承知しました。必ずや、フェアラート王国の情報を手に入れて来ます」 「頼んだよ。……だが、危険だと判断したら、すぐに逃げて来るんだよ。君がいなくなれば、フィーリアが悲しむからね」 冗談めかした態度で言う国王の言葉に、ここで初めて、スピアは表情を崩した。 苦笑いするように小さく笑いながら、「そうですね」と答えた。 それから王室を出て、すぐにでも任務に向かおうとした時だった。 柱の影からひょこっと顔を出し、こちらを見ている影があった。 「……何か用ですか? 姫様」 「……」 隠れていたのに当然のように見つけられたことが悔しかったのか、姫様と呼ばれた少女は頬を膨らませ、柱の影から姿を現す。 背中まである程に長い金色の髪に、まん丸い青い目をした、人形のように整った可愛らしい顔立ちの女の子。 青と白のフリフリしたドレスを着た彼女は、スピアの前までやって来て、にぱっと明るく笑った。 「スピア、任務お疲れ様です。今回の収穫はどうでしたか?」 「……上々、ってところですかね。姫様のお父様からは、お褒めの言葉を頂きましたよ」 興味津々と言った様子で聞く少女に、スピアはそう答えながら、自分より頭一つ分くらい背の低い金髪の頭を優しく撫でる。 すると、少女は「えへへ」と、嬉しそうにはにかむ。 それからパッと明るい笑みを浮かべ、スピアの顔を見上げながら続けた。 「任務が終わったのでしたら、これからお茶にしませんか? 疲れているでしょうし、少しくらいゆっくりしましょう」 「お言葉は嬉しいですが……実は、もう次の任務が入っているのです。ですから、姫様のお相手は……」 「めっ」 断りの言葉を言おうとするスピアの口に、少女はソッと人差し指を当てて、言葉を止める。 それにスピアが呆けて言葉を止めていると、少女はムッとした表情で続けた。 「さっきは見過ごしましたが……二人きりの時は、名前で呼んで下さいと言っているじゃないですか」 「……そうでしたね。……フィーリア」 小さく笑みを浮かべながら言うスピアに、フィーリアと呼ばれた少女は満面の笑みを浮かべて、「はいっ」と答える。 それからスピアの腰に両腕を絡め、抱きつくような体勢になりつつ続けた。 「折角任務から帰って来たのに……お父様は酷いです。働きすぎでスピアが死んじゃいます」 「今は戦争中だから、仕方が無いよ。……でも、きっともうすぐの辛抱さ」 不満そうに言うフィーリアに笑いつつ、スピアはそう答えて、フィーリアを抱きしめる。 彼女の言葉に、フィーリアはスピアのサラシを巻いた胸に頬を当てつつ、口を開く。 「そうだと良いのですが……それまでにスピアが死んだら、元も子も無いじゃないですか」 「……私は、この国の為なら、いくらでもこの命を捧げるつもりで……」 「もー! 縁起でも無いこと言わないで下さい!」 不満そうに言いながら、フィーリアは軽くスピアの胸を殴る。 それにスピアが苦笑しているのを見て、フィーリアは頬を膨らませた。 「ホントに……スピアがいなくなったら、私、生きていけないんですから」 「……フィーリア……」 「だから……死んでも良いなんて、言わないで下さい」 どこか泣きそうな表情で言うフィーリアの言葉に、スピアの胸は痛む。 スパイという仕事は、いつだって死と隣り合わせになるような、危険な仕事だ。 戦争のことがあって引っ切り無しに任務に行くスピアを見て、気が気ではないだろう。 だからと言って、この仕事を辞めるわけにもいかない。 何も答えられずにいると、フィーリアは背伸びをして……スピアの唇に、自分の唇を重ねた。 「……んっ……」 「……ッ……」 短い、ほんの一瞬の繋がり。 唇を触れ合わせるだけの、小鳥が啄む程度のキス。 ゆっくりと唇が離れて行くと、フィーリアは踵を床に付け、スピアの顔を見上げた。 「だから、今日も……絶対に帰って来て下さいね」 「……分かっているさ。必ず、帰って来るよ」 言いながら、スピアはフィーリアの頭を撫で、優しく微笑んで見せた。 スピアは元々、両親に捨てられた孤児だった。 身寄りが無く町をうろついていたところを兵士に保護され、城にやってきた。 フィーリアの両親である国王と女王は、娘と同い年くらいの年齢なのに身寄りの無いスピアを見て心を痛め、娘と共に育てることにした。 フィーリアとスピアは、まるで姉妹のように仲良くなり、いつも一緒にいるようになった。 身寄りが無く、放浪するだけの日々を送っていたスピアにとって、フィーリア達との生活は正に幸せそのものだった。 だからこそ、自分に家族の温もりを教えてくれた三人に恩返しがしたくて……スパイになるという道を選んだ。 身体能力は良い方だったが、剣術は彼女の身には合わなかった。 頭が悪いわけではなかったので、メイドになるという道もあった。 しかし、彼女はもっと体を張って恩返しがしたいと考えた。 そこで選んだ道が……スパイと言う道だった。 独学で隠密行動等を学び、十歳になる頃には、世界でも有数の敏腕スパイとなっていた。 最初はフィーリア達も反対はしていたが、スピアの覚悟を知り、彼女の選択を優先することにした。 そして、その頃には……スピアとフィーリアは、恋人関係にあった。 ずっと一緒にいた二人はお互いに惹かれ合い、どちらからということもなく、付き合っていた。 この国は同性愛にも寛容であった為、フィーリアの両親が二人の仲を反対することもなく、二人は何者にも縛られずに愛し合った。 確かに、スピアには国の為に命を捨てる覚悟はある。 フィーリアとその両親の為ならば、例えどんな選択肢あろうと、迷わずに死を選ぶ程の強い意志がある。 しかし……死ぬわけにはいかない。 自分が死ぬことは、フィーリアを傷つけることになるから。 しばらくフィーリアと抱擁を交わした後、彼女と別れたスピアは、ゆっくりと歩いて任務に向かう。 絶対に帰ると、改めて決意を固めながら。 --- フェアラート王国に着く頃には、すっかり夜になっていた。 しかし、スピアにとってはむしろ、夜の方が絶好の活動時間だった。 仕事服のフードで髪を隠し、黒いマスクで顔を隠せば、スピアの体は完全に夜闇へと溶ける。 夜の闇に紛れて城の傍まで潜入すれば、後はこちらの物。 監視の目を避けつつ侵入し、通気口の中に潜り込めば、あっという間に潜入成功だ。 スピアの仕事は早い。 侵入さえしてしまえば、すぐさまその建物の中心とも言えるコンピュータールームに潜入し、ハッキングしてデータを盗む。 後は建物の各地に盗聴器を仕掛け脱出すれば、自動的に向こうの情報はこちらに筒抜けとなるわけだ。 仮に盗聴器が見つかったとしても、そこからスピアやエスピオン王国に辿り着くことは不可能な仕組みになっている。 通気口に入ってしまえば監視カメラに見つかることも無いので、速やかに移動することが出来る。 女性特有のしなやかな体を使って狭い通気口内を移動しつつ、たまに人気の無い場所に盗聴器を仕掛け、スピアはコンピュータールームを探した。 ──……? コンピュータールームを探していた時、気になる部屋を見つけ、スピアは動きを止めた。 ゆっくりととある部屋の天井に備え付けられた換気口に近付き、ソッと室内を覗く。 そこは、エスピオン城の王室のような、豪奢な造りの部屋だった。 恐らくここが、フェアラート城の王室なのだろう。 そこまでは理解出来たが、その王室の玉座らしき椅子に座っているのは、予想外の人影だった。 ──……おいおい……。 その人影を見て、スピアは心の中で小さく声を漏らす。 なぜなら、玉座に座っていたのは……幼い少女だったからだ。 見た目から察するに、年齢は恐らく、スピアやフィーリアと同い年……否、下手すればもっと幼い。 黒い長髪に赤い目をした少女は、玉座の上でふんぞり返り、傍にいる執事のような男性に何やら指示を出している。 ──……まさか、このフェアラート王国を、こんな年端もいかぬ少女が率いていたとは……。 生唾を飲み込みつつ、スピアは心の中で小さく呟いた。 謎に包まれたフェアラート王国の、驚くべき真実。 ただ通気口内を移動していただけで、これだけの情報が手に入るとは……この国のデータを盗み出したら、どれだけ重大な情報が手に入るだろうか……。 一人そんなことを考えながら、スピアは移動を再開しようとした。 その時だった。 「……そこに、誰かいるんですの?」 突然そんな言葉を投げ掛けられ、スピアは動きを止めた。 ──……気付かれた……ッ!? 一瞬焦るが、別にこのような事態は初めてではない。 動いていれば嫌でも音は立つし、勘の良い人間であれば気付くことも多い。 スピアはそのままの体勢で動きを止め、少女が自分から注意を外すのを待つ。 例え勘付かれていたとしても、気配を消していれば、大半の人間はすぐに勘違いだったと思い直す。 もしもここでバレた場合は、速やかに撤退するのみだ。 だが、しかし……。 「……どうされましたか? 姫様」 「さっき何か気配がした気がしましたが……気のせいですかね?」 「ふむ……私は何も感じませんでしたが」 「そう……」 落胆した様子で呟く少女の言葉に、スピアは小さく息をつく。 相手は年端も行かぬ少女。例え勘が良かろうと、スピアに気付くことは無い。 しばらく落胆した様子だった少女は、ふぅ、と一息つき、ゆっくりと立ち上がった。 「……まぁ、良いわ。……そろそろ遅いし、もう寝るわ」 「……寝室まで案内いたします」 そんな会話と共に、少女と執事は部屋を出て行き、室内は真っ暗になる。 とは言え、スピアは夜目が効く方なので、暗くなること自体は問題無い。 二人がいなくなったことにホッと一息つき、少しだけ力を抜いていた時──手を付いていた換気口のカバーが、外れた。 「──ッ!?」 あまりに突然のことで、体勢を崩す。 通気口から落ちそうになったスピアは、咄嗟に換気口の縁を掴むことで、落下だけは避ける。 片手でぶら下がる形になりながら、スピアは必死に考えた。 ──一体、何が起こっている!? ──これは事故!? なぜこのタイミングで!? ──いや、今は考えている場合ではない。とにかく、通気口に戻らなければッ! この思考に辿り着くまでに掛かった時間は、0.2秒。 スピアはすぐに通気口の縁に両手を掛け、体を持ち上げようとする。 しかし、その時……換気口が、シャッターのようなもので閉まり始める。 「……何ッ……!?」 予想外の出来事の連続に、流石のスピアも狼狽する。 シャッターによって指は弾かれ、すぐに彼女の体は落下する。 咄嗟に空中で身を翻し、床に綺麗に着地をする。 わけがわからないことの連続だが、とにかくこの部屋から脱出しなければ。 そう考えていた時、どこからか、プシューと空気が噴出するような音がし始めた。 「……これは……」 真っ暗な部屋だが、夜目の効くスピアには、部屋の八隅全てから白い靄のようなものが噴き出してくるのが見えていた。 ──……毒ガス……ッ!? 「クソッ……!」 小さく吐き捨てるように言いつつ、スピアは部屋の扉に飛びつき、開けようとする。 しかし、どうやら扉は外から鍵が閉まっているらしく、開くことは無い。 その間にも室内にガスは充満していき、あっという間に真っ白な霧によって室内は満たされた。 スピアは咄嗟に息を止めつつ、懐からピッキングの道具を取り出す。 扉には鍵穴があるため、ピッキングに成功すれば開くだろう。 彼女はすぐにしゃがみ込み、ピッキング用の針金を鍵穴に差し込んだ。 スピアが息を止めていられる時間は、長くて二分。 それまでに、鍵を開けなければならない。 冷や汗が頬を伝う中、冷静にピッキング作業を行う。 室内にある壁掛け時計が時を刻む音が、やけにハッキリと聞こえて来る。 そんな中必死にピッキングをして、息を止めていられる限界を迎えかけていた時……カチャッと音を立てて、扉が開く。 ──……よしッ! 心の中でガッツポーズをしつつ、すぐにスピアはドアノブに手を掛け、扉を開け──カチャンッ。 「……えッ?」 扉の向こうから聴こえて来た乾いた音に、スピアは間抜けな声を上げる。 すぐに扉を開こうとするが……開かない。 ……鍵を、閉められたのだ。 「なんでッ……! ぐッ……」 小さく不満を口にした瞬間、マスク越しに……ガスを吸ってしまう。 一呼吸でガスを吸いこんだ瞬間、スピアの視界が揺らいだ。 ぐにゃりと視界が歪み、やがて……彼女の体は床に倒れる。 固い床の感触を感じる間も無く、すぐにスピアの意識は遠退いて行く。 ──……すまない……。 意識が落ちる寸前、彼女の脳裏に過ったのは……最愛の人の顔だった。 カチャリ。 まるでスピアの意識が途切れるのを待っていたかのように、扉の鍵が開く。 次いで、換気口のシャッターが開き、室内に充満していたガスが抜けて行く。 扉が開くと、ずっとその向こうに立っていたであろう黒髪の少女が、ゆっくりと室内に入ってくる。 そして、その少し先に倒れてるスピアを見て……口角を釣り上げて、笑った。 --- 「……」 闇に落ちていた意識が徐々に浮上してくるのを感じ、スピアは小さく深呼吸をする。 ……生きている。 その事実に、スピアは微かに驚愕した。 どうやら、あのガスは睡眠ガスだったらしい。 自分が生きているという事実に少しホッとするが、すぐに、これから起こるであろう出来事に絶望した。 恐らく、これから行われるのは……拷問。 無論、拷問を受けたところで、フィーリア達が不利となる情報を吐くつもりはない。 死ぬことだって怖くない。覚悟していたことだ。 ただ……自分が死ぬことで、フィーリアが悲しんでしまう。 その事実が、酷く彼女の心を締め付けた。 とは言え、体を少し動かした感じ、どうやら拘束されているらしいし、ここからどう足掻いたところで逃げ出すことは出来ないだろう。 フィーリアを傷つけてしまう事実に悲しみつつ、スピアはゆっくりと瞼を開いた。 「……ここは……」 小さく呟きながら、彼女は辺りを見渡す。 現在、彼女がいる場所は……たくさんの機械がある部屋だった。 コンピューターのハッキング知識はあるものの、機械そのものの知識はあまり無い為、目の前の状況にスピアは困惑した。 自分を囲う機械にどんな機能があるのか、皆目見当もつかない。 ただ……拷問の道具だろうな、ということだけは分かった。 それは、自分の現状を見返してみても明らかだった。 現在、スピアは椅子に座らされる形で拘束されていた。 歯医者なんかにあるような大きな椅子に座らされ、両手は両肘置きの上に固定され、足には足枷がハマっていた。 何とか首は自由に動かせるが、あまり意味は無さそうだった。 何より……現在、スピアは一糸纏わぬ裸体を晒していた。 着ていた仕事服どころか、仕事の邪魔になるからと巻いていたサラシすら外され、完全な裸になっていた。 ずっと締め付けられていた胸が露わとなり外気に晒されていることに、違和感を覚える。 一体何をされるのか、と思っていた時、部屋の扉が開いた。 「……あら、目を覚ましたみたいね?」 そう言って微笑むのは……恐らくこの国の女王である、黒髪の少女だった。 彼女の他に、白衣を着た人間が数名入って来て、たくさんの機械の元に向かって行く。 スピアは彼女を睨みつけ、口を開いた。 「私をどうするつもりだ」 「きゃーこわぁーい。……貴方、他国のスパイでしょう?」 少女の言葉に、スピアはビクッと肩を震わせ、唇を噛みしめる。 そんな彼女の反応に少女は笑い、「やっぱり」と言う。 「なんとなくそんな気がしてたんだぁ。……大方、エスピオン王国辺りかしら?」 「……違う」 「そう。じゃあ、どこかしら……エスピオンじゃないなら、あとは……」 「私に何をするつもりだッ!」 相手のペースに呑まれるものかと、スピアは拳を強く握り締め、叫ぶ。 すると、少女は少し驚いた表情を浮かべていたが、少ししてその表情を緩め、口を開く。 「そんなの……貴方が一番分かっているんじゃなくって?」 「……それは……」 「敵国のスパイが捕まったらどうなるか、なんて……当人が一番分かっているでしょう?」 クスクスと悪戯っぽく笑いながら言う少女の言葉に、スピアは唇を噛みしめる。 やはり拷問からの死か……と、思っていた時だった。 「で、も……貴方には利用価値があるわ」 少女の一言に、スピアは顔を上げ、「何……?」と聞き返す。 すると、少女はスピアを一瞥してニヤリと笑い、続けた。 「通気口から落とされてからの行動は冷静で、正しかった。……今まで何人ものスパイを同じ方法で陥れてきたけれど、あそこまで冷静な行動をしたスパイは初めてよ」 「……何が言いたい」 「それに、貴方の顔、結構タイプなのよねぇ。優秀な人材で眉目秀麗……殺すには惜しい」 焦らすように語る少女に、スピアはいよいよ怒りそうになる。 まさに怒声を浴びせようと、口を開いた瞬間だった。 「私のモノになりなさい」 楽しそうな口調で、少女は言う。 全く予想だにしていなかった言葉に、怒りの感情は瞬く間に引っ込み、代わりに「はっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。 すると、少女は明るい声で続けた。 「悪くない条件でしょう? 母国を裏切る代わりに、私のモノになるの。私に忠誠を誓って、私の為だけに働くの。どう? 素敵でしょう?」 「なッ……素敵なわけあるかッ! そんなこと出来るわけがないだろッ!」 吠えるように言いながら、スピアは椅子の肘置きを強く殴る。 ふざけているにも程がある。 母国を裏切るということは、スピアにとって、死ぬことよりも辛い選択だった。 恩人である国王と女王を裏切り、最愛の人であるフィーリアを傷つけ、自分はのうのうと暮らす。 そんなこと、出来るわけがない。それならまだ、死んだ方がマシだ。 「そんなことをするくらいなら、私は死を選ぶ。そんな無駄なことに時間を割くくらいなら、拷問でもやった方が、まだ得策だと思うが?」 「大丈夫だよ?」 あっけらかんとした口調で言う少女に、スピアは「は?」と聞き返す。 すると、少女は無邪気な笑みを浮かべ、続けて口を開いた。 「だって、すぐに裏切りたくなるから♡」 少女のそんな声がしたのと、スピアの視界が真っ暗になったのは、ほぼ同時だった。 すぐに、自分の顔が何かを覆われたことを知る。 「……おいッ! 何しやがるッ!」 「スパイさんが潜入してきた理由って、色んな国がこの国に降伏してるからでしょ?」 暗闇の中、少女の明るい声が響く。 それに何も言えずにいると、彼女は続けた。 「それはね、この洗脳装置で、色んな国のお偉いさんの頭の中を弄ってあげてるからなんだよ~」 「……せん……のう……?」 「そう! 洗脳! ここにある機械で~、その装置を被った人の頭の中を好き勝手出来るんだよ~」 その装置、と言うものが、現在自分が装着させられているバイザーとヘッドホンを合体させたような機械であることを、スピアは瞬時に理解する。 刹那、サッと血の気が引くのを感じた。 「や……やめろ……やめてくれ……頼むから……」 「だから、スパイさんの頭の中を、それでグチャグチャにしてあげる。母国なんかよりも、このフェアラート王国の方がだ~い好きにさせてあげる! あとはぁ、私のことを世界で一番大好きにさせたら、言うこと聞いてくれるようになるかなぁ?」 「それだけは嫌だッ! 情報でも何でも吐くから、それだけは止めてくれッ!」 まるで旅行の計画を立てるかのように暢気な口調で言う少女の言葉に、スピアは必死に藻掻きながら叫んだ。 国を裏切ることも嫌だが……それよりも、自分のエスピオンへの忠誠心が塗り替えられることが怖かった。 自分に幸せをくれた人々のことよりも、目の前にいるよく知りもしない少女のことを好きにさせられ、恩人と敵対することになる。 自分の手で、フィーリアを傷つけることになる。 その事実が、スピアの恐怖心を助長した。 「大丈夫! 最初は怖いかもしれないけど、すぐに忘れるよ! じゃあ、とりあえずどんな風に書き換えるか考えるから、ちょっと貴方の記憶覗くね~」 「やめてくれッ! 頼むから、やめッ──あひぃッ!?」 突然脊髄に電流のようなものが走り、スピアは奇怪な声を上げた。 まるで脳味噌に何かを接続されたような、奇妙な感覚だった。 スピアは体を硬直させたまま、背凭れに体を預けた。 「どれどれ……わぁ、お姉さんやっぱりエスピオンの人だったんだぁ……嘘ついちゃってダメな人だなぁ……」 少女の声が、やけに遠くに聴こえる。 どうやら、自分の記憶を覗いているらしい。 自分の中に閉じ込めた大切な記憶が、まるで土足で無造作に踏みつけられていくような、嫌な感覚がした。 「やめろ……見るな……やめてくれ……」 「ふんふん……わぁ、お姉さんって捨てられたんだ……あっ、でも誰かに拾われた……って、この人達王族の人達じゃん! なるほど、こんなことがあって……ふむふむ……へぇ……なるほど……」 何も見えない中、少女の声での反応だけが、スピアの耳に届いた。 大切な思い出が覗かれ、汚されていく。 その感覚に泣きそうになっていた時、少女は続けた。 「へぇ……お姉さんって、エスピオンのお姫様と恋人関係なんだ……」 その言葉に、スピアはバイザーの奥で、目をカッと見開いた。 「……やめろ……」 「そのお姫様の記憶を、全部私で埋め尽くしたらどうなっちゃうのかな?」 「……やめて……」 「お姫様との記憶を全部消して、私の記憶で埋め尽くしても良いし……お姫様との記憶を丸々私と変えてみても良いなぁ」 「お願い……やめて……」 「手っ取り早く、お姫様のことは大嫌いだったってことにしても……」 「お願いしますッ! やめて下さいッ!」 張り裂けんばかりに、スピアは懇願する。 彼女の声に、少女は少し驚いた表情を浮かべた後で、クスッと微笑んだ。 「もっとちゃんとお願いしてくれたら……考えなくもないけどなぁ?」 「……お願いします……何でも、じまずがら゛……ぞれ゛だげは……や゛め゛でぐだざい゛……」 いつの間にか、スピアは涙を流していた。 真っ赤な目から零れ出た涙は頬を伝い、被せられたバイザーの隙間から、とめどなく溢れ出る。 何度も嗚咽を漏らしながら、スピアは続ける。 「ぢゅう゛ぜい゛も゛……ぢがい゛ま゛ずがら゛……グズッ……あ゛な゛だの゛も゛の゛に゛も゛……な゛り゛ま゛ずがら゛……エグッ……だがら゛……ぜん゛の゛う゛だげは……」 「……ふぅん……そんなに記憶を弄られるのが嫌なんだ」 小さく呟く少女の言葉に、スピアは何度も大きく頷く。 すると、少女は少し考える素振りをした後で、ゆっくりと続けた。 「貴方の物に“なる”……ねぇ……」 「ッ……! あなだの゛も゛の゛に゛ッ! じでぐだざい゛ッ! あ゛な゛だの゛も゛の゛に゛ッ! な゛り゛だい゛でずッ!」 なりふり構わず、スピアは叫ぶ。 彼女の態度に、少女は目を瞑り、スピアの宣言を吟味するように間を置く。 それからゆっくりと瞼を開き、優しく微笑んで── 「やだ♡」 ──機械のスタートボタンを押した。 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?」 直後、スピアの脳味噌に、強烈な激痛が走る。 まるで脳味噌に手を突っ込まれて掻き混ぜられているような、心の中の大切な部分が乱暴に撫でられているような、嫌な感触が脳髄を犯す。 スピアは精々、椅子の肘置きを握り締め、叫び散らすことしか出来ない。 しかし、叫びながらも、自分の記憶が書き換えられていくのを感じた。 無造作に突っ込まれた手が脳内を掻き回し、大切な記憶を乱暴に引っ掴んでは、まるで粘土でも捏ねるかのような手軽さで記憶を改造していく。 その度に頭に激痛が走り、意識を持って行かれそうになる。 しかし、スピアは叫ぶことで何とか意識を保ち、必死にそれに抵抗した。 「や゛め゛でぇ゛ッ!? や゛め゛でぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ!」 懇願するような叫び。しかし、記憶を弄る手は止まらない。 それを見て、少女がクスクスと笑った。 「凄いなぁ……今まで皆ここでもう気絶しちゃってたのに……」 「い゛や゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ! や゛め゛でぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ! も゛うや゛め゛でぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ!」 「抵抗しても苦しいだけなのに……さっさと諦めちゃえば、気持ち良くなれるよ?」 「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」 少女の言葉が聴こえているのか否か、スピアはひたすら叫ぶ。 それに少女は溜息をつき、椅子から立ち上がる。 「まーいいや。しばらくは頑張ってなよ。また来るから」 そう言って、少女は部屋から出て行く。 しかし、スピカはそれに気付くはずもない。 視界はバイザーによって遮られ、そこでは暗示効果のある奇妙な模様の映像が延々と流れていた。 聴覚はヘッドホンによって遮られ、そこからは無機質な電子音と共に、記憶を書き換えるべく電磁波が出ていた。 大体、仮に少女の声が聞こえていたとして……今のスピアには、それを理解する余裕も無い。 それから少女が戻ってきたのは、一時間程経った頃だった。 風呂にでも入っていたのか、彼女は石鹸のような良い匂いを漂わせながら、部屋の扉を開けた。 「……」 そこでは、一時間前の咆哮は嘘のように静かになったスピアの姿があった。 彼女は椅子の背凭れに体を預け、ビクビクと体を震わせながら、そこにいた。 それを見て、少女はニヤリと笑った。 「まぁ、どんなに凄いスパイさんでも、一時間もすれば流石に耐えられないか……ねぇ、今の洗脳進行度はどれくら……」 「……ちが……う……」 少女が、近くにいた研究員にスピアの洗脳の進捗を聞こうとした時……遮るように、掠れた声がした。 叫びすぎてとっくに喉が嗄れたのか、しゃがれた声だった。 まるで死にかけじゃないかと思うようなその声に、少女は目を丸くしてスピアを見た。 「ちがう……わたし、は……フィーリア、が……すきだ……わたしが、すきなのは……レーナ……ちがう……」 誰にでもなく、まるで自分に言い聞かせるように延々と呟くスピアの様子に、少女……レーナは、驚きよりも先に嗜虐心が芽生えるのを感じた。 ……素晴らしい忠誠心。 否、これは恋が成せる業、とでも言えば良いか。……どっちでもいい。 何はともあれ……スピアはまだ、洗脳に抗っている。 それほどまでに強い精神力を、彼女は持っていた。 そして……その心をすぐにでも捻じ曲げることが出来る力が、自分にはある。 レーナは自分の体を抱きしめるようにして、込み上げて来る興奮を必死に抑えた。 ──あぁ、目の前にいるこの少女を、どうやって歪めてやろう。 ──私のことが大好きな愛玩動物にしても良いし、ドMのマゾ奴隷にするのも良い。 こうして洗脳に必死に耐えてまで守ろうとしている、敵対国エスピオンの姫への深い愛情。 それを捻じ曲げることを想像しただけで、レーナの背筋を、ゾクゾクとした感覚が走った。 「……現在、洗脳の進行度は9%……かなり滞っております……」 渋い声で言う研究員の言葉に、レーナはますますその表情を歪めた。 スピアの目のような綺麗な赤色とは違う──血のように暗い赤色の目を細め、口角を釣り上げる。 それから、部屋の壁際にある棚から、桃色の液体のようなものが入った小瓶と……透明の注射器を一本、取り出した。 「スピアちゃん……だっけ。ここまで耐えるなんて、すごい精神力だね」 言いながら、レーナは注射針を小瓶に差し、ゆっくりと押し子を引いて行く。 すると、透明の筒の中に綺麗な桃色の液体が満たされていく。 レーナは瓶から注射器を抜き取ると、中に溜まっていた気泡を排出させ、スピアの近くに立った。 「ちがう……ちがう……わたしは……」 「でも、ずっと耐えていて苦しかったでしょう? だから……ご褒美あげる」 言いながら、レーナはスピアの顔を少し横に傾けさせ、首筋を露わにする。 まるで雪のように白く、滑らかな柔肌に……注射針を挿した。 「ッ……!?」 「あぁ……少し痛かったかな? でも、すぐに気持ち良くなるから……我慢してね~」 言いながら、レーナは注射器の中に入っていた液体を、スピアの体内に注入していった。 彼女の声が聞こえているのか否か、スピアは拳を強く握り締めながら、まるで壊れた機械のようなぎこちない声を漏らしていた。 液体が全て注入されたのを確認すると、レーナは研究員に頼んで、アルコールが染み込んだガーゼを持って来てもらう。 それを、注射針を挿した辺りにあてがい、ゆっくりと針を抜いて、注射痕を優しくガーゼで撫でた。 「あッ……あッ……ぁあッ!?」 しばらく奇怪な声を上げていたスピアだったが、突然、ビクンッ! と強く体を震わせた。 と思えば、嗄れてはいるが甘い響きを持った声で、喘ぎ始める。 「あッ♡ あッ♡ あぁッ♡ あぁんッ♡」 「洗脳侵食度が急上昇しております。10%……20%……30%……」 「フフッ、気に入ってもらえたなら何より♡ じゃあ、私はもう寝るから、起きたらまた会いに来るわね」 レーナはそう言うと、薬品を棚にしまって、注射器を近くにあったゴミ箱に捨てた。 彼女が出て行った後も、スピアの声は止まない。 先程のような叫び声とは違う。 快感に身を任せ、完全に屈服した者の哀れな嬌声。 レーナが注射したのは、服用者の思考を停止させる薬だった。 必死に精神力で堪えていたスピアだったが、思考を止められてしまえば、耐えるということすら考えられない。 そうなれば、後は洗脳装置に身を任すのみ。 そもそも、洗脳自体は苦痛を伴うものではない。 快楽に快楽を重ねたような極上の快感を味合わせ対象者の意識を飛ばし、思考を書き換えるというもの。 大体、人間の脳は苦痛よりも快感の方が受け入れやすいもの。 最初こそ、脳に直接電流を流すようなものなので痛みを伴うが……その痛みで気を失った後はもう、快楽地獄が待ち受けている。 スピアは鋼の精神力で痛みに耐え、意識を保っていたが……思考力を無くした今、彼女に抵抗の術は無かった。 結果、彼女は瞬く間に意識を落とし、洗脳による快感に喘ぐだけの人形となった。 彼女の精神力とエスピオンへの忠誠心の強さは、これまで幾度となく洗脳を施してきた研究員からは一目瞭然だった。 だから、レーナがいなくなった後は洗脳装置の出力を上げ、念入りに何重にもなる洗脳を施した。 二度と解けない、この国とスピアという少女を繋ぐ為の、洗脳という名の鎖を結んでいく。 スピアが洗脳に屈してから、十時間が経過した。 レーナはその間に睡眠を取り、起床してからは整容と朝食を終え、万全の状態でスピアの洗脳部屋へと向かった。 部屋に入ると、真っ先に異臭がレーナの鼻を突いた。 一体何事かと困惑したが、洗脳装置に繋がれたスピアを見て納得した。 彼女はまだ、洗脳装置に繋がれたままだった。 体は完全に弛緩し、椅子の拘束を解かれても尚、脱力した様子で椅子に体を預けていた。 両足はだらしなく放り出され、両手は重力に従いダランと垂れている。 口は半開きになり、舌が出て、涎がとめどなく漏れていた。 そして、彼女の股間部からは小便と愛液が漏れ出て、周囲に水溜まりを作っていた。 恐らく、洗脳によるショックと快感によるものだろう。 洗脳が終わった今でも尚、愛液の方は少量だが漏れ出ていた。 「フフッ……哀れな姿ですこと」 どこか嘲笑するように言いながら、レーナはスピアの前に立つ。 すると、研究員の一人がスピアの背後に立ち、ソッと洗脳装置を外した。 洗脳装置を外されても、スピアは全く反応しなかった。 「……可愛い顔♡」 露わになったスピアの顔を見て、レーナは満面の笑みを浮かべながら言った。 凛々しかった赤い目は白目を剥いており、目の下には涙の痕がくっきりと付いていた。 鼻からは鼻水が垂れており、彼女の顔は色々な液体でグチョグチョに濡れていた。 レーナはそんな少女を愛おしそうに見つめ、汗でベタベタになった銀色の髪を優しく撫でた。 それから顔を上げ、部屋の外で待機している執事に視線を向けた。 「この子が目を覚まさない内に、体を洗って、寝室に連れて行って貰える?」 「かしこまりました」 レーナの言葉に執事は応じ、すぐに部屋に入って、スピアの体を抱きかかえた。 連れて行かれる少女を見て、レーナはニヤリと怪しい笑みを浮かべた。 これからあの少女にどんなことをしてやろうか……それを考えるだけで、胸が高鳴るのを感じた。 --- 正午過ぎ。 エスピオン城の王室にて、国王はスピアから貰った書類を整理していた。 スピアによる情報はどれも正確で、この情報があれば、戦争で勝ち抜くことは容易ではないかと思う程だった。 仕事が早い上にこれほどまでの情報を持ち帰ってくる彼女は、最早この国の秘密兵器と言っても過言では無いだろう。 無論、家族同然の存在である彼女を道具扱いするわけではない。 腕がいいとはいえ、娘と同い年の少女だ。 スパイ活動を続けさせることが危険だと判断すれば、すぐにでも辞めさせる。 もしも他国の捕虜となり身代金を要求されれば、迷わず金を出すだろう。 「お父様」 その時、王室の扉が開く。 扉からヒョコッと顔を出したフィーリアの言葉に、国王は「フィーリア」と娘の名を呼び、持っていた書類を机に置いた。 すると、フィーリアは国王の元に歩いて行き、口を開いた。 「あの……スピアから何か連絡は来ましたか?」 「いや、来て無いよ。……昨日向かったばかりなんだし、まだ任務遂行中じゃないか?」 「でも……」 フィーリアが不満そうに言った時、スピアとの連絡用に使っている通信機が鳴った。 噂をすれば影が差す……なんてことわざを思い出しつつ、国王は通信機を手に取り、応答した。 「スピア? 何かあったのかい?」 『一日フェアラート王国の調査をしてみましたが、これと言った収穫はありませんでした。だから、長期的な調査に切り替えたいと思います』 返って来たのは、相変わらず冷静な口調で話すスピアの声だった。 どこか切羽詰まっている様子も無いし、今は特に問題は無いようだ。 フェアラートは底の見えぬ国だし、調査に時間が掛かるのは仕方が無いだろう。 「そうか……あまり無理はしないように、な。危険だと判断したら、すぐにでも撤退するように」 『了解しました』 そんなやり取りをしている国王に、フィーリアは目で「スピアですか?」と訴える。 それに国王は頷き、続けて「あぁ、そうだ」と口を開く。 「今近くにフィーリアがいるから、少し代わろうか?」 その言葉に、フィーリアはパァッとその目を輝かせた。 『いえ、これからまたすぐに調査に向かいますので、遠慮しておきます。……フィーリアに、よろしく言っといてください』 しかし、返ってきたのは、少し予想を裏切るような言葉だった。 今までの通話であれば、どれだけ切羽詰まった状況でも、フィーリアと少し話してから切るというのに。 少し疑問に思いつつも、わざわざ言及するのは無粋だと判断し、「分かったよ」と答えた。 「じゃあ、また何かあったら連絡するように」 『分かりました』 それだけ言って、スピアは通話を切った。 すると、フィーリアは「スピアは?」と尋ねる。 それに、国王は首を横に振った。 「あまり良い収穫が無かったそうで、これから長期的な調査に切り替えるそうだ。……で、今からまた、調査に出掛けるらしい」 「そう……なんですか……」 「……相手はあのフェアラート王国だからな。彼女にもきっと、色々と事情があるんだよ」 慰めるように言う国王に、フィーリアは落胆を隠さない。 それに、国王は小さく溜息をつき、フィーリアの頭を撫でた。 「きっとすぐに帰って来るさ。……何たって、あの子は優秀だからな」 「……でも……」 「帰ってきたら、山ほど話せばいいだろう? あまり困らせるんじゃない」 国王の言葉に、フィーリアはしばらく不満そうにしていたが、やがてその表情を緩め「そうですね」と答えた。 「でもやっぱり寂しいので帰ってきたらいっぱい文句言います!」 「……流石に休ませてやりなさい……連日任務なんだから」 「むぅ……複雑ですね」 不満そうに言うフィーリアに、国王は笑う。 年を取り、大人びて来たフィーリアだが、スピアのこととなると年相応の子供らしさを見せる。 そんな娘の姿を見ているのは、一人の父親としては、複雑ではあるが嬉しいものがあった。 恋人が帰ってきたら何をするかを指折り数えながら真剣に考えるフィーリアを見て、国王は小さく笑いながら、書類に視線を戻した。
Comments
気高いスパイさんが洗脳装置での洗脳されるの良いし、百合良い👋😆🎶✨
masami_yuri7
2019-07-15 18:51:52 +0000 UTC