※本作では競馬の綺麗事ではない暗部にかなり踏み込みます ※最終ページに予想と観戦マナーにも役立つ元ネタ解説があります ※独自解釈に基づき、ウイニングライブでは勝手気ままに歌わせます ※出来過ぎた話ってのがあるから競馬は良い Part.1 行けばわかるさ 「イソノルーブルだ。もう何やるか分からねえ」 オークスのパドックに大トリで現れたルーブルは、ベール越しにそう言った。 ルーブルは注目の的だった。あの悲劇的な敗北を喫した貧乏娘が真新しい勝負服に身を包み、ベールで顔を覆って現れたのだ。何かを起こす気配を漂わせていた。 「ルーブル!頼むよ!」 「私達がついてるよ!」 パドックの一角に既に学園を去ったマル抽の同期達が陣取って声援を送る。彼女達はルーブルの敗北をルーブル以上に無念に思っていた。 ルーブルは立場上この声援に直接応える事は出来ない。末路悲惨を承知で毛ほどのチャンスに縋った仲間に、そうと悟られないように視線を向けてやるのが精々だ。 見慣れた顔の中に一人明らかに見覚えのないウマ娘が居た。いや、もう彼女は娘とは言えない歳だ。なのに彼女はどういうわけか同期達の真ん中に居た。 「私みたいになりたくなきゃ、思い切って逃げな!」 彼女はルーブルの視線に気付き、そう叫んだ。ルーブルにはそれが誰か分かった。タカツバキだ! どんな手を使ったのか、ルーブル同様にURAの都合に押し潰されたマル抽の大先輩を同期達は探し出し、こうして引っ張って来たのだ。 ルーブルは負けられないことを再確認し、集中力を高める事が出来た。桜花賞以上の大歓声に晒されても妙に落ち着いていた。 圧倒的な1番人気に推されたのは桜花賞を勝ったシスタートウショウだ。ルーブルは4番人気に落ち、これとて同情票が入っての数字だ。 パドックから引っ込んでライバルを睨み付けながら、ルーブルはチャンスを見た。自分は見くびられている。これは初めてライバル達と相まみえた時と同じだ。 「私は潰れねえ」 そして、その一言とベールをサブトレーナーに託し、ルーブルはゲートに入った。 Part.2 闇を切り裂いて吼えてあなたを夢中にする ゲートを出た瞬間、ルーブルは内枠のウマ娘より前に飛び出した。勝負服の神秘か、それともベールの御利益か、とにかくルーブルは大歓声にもひるまなかった。 他に徹底して逃げようというウマ娘の居ない中、ルーブルはコースを斜めに横切って拍子抜けするほど簡単に先頭に立った。 誰も競りかけてこない。従ってペースは遅く、桜花賞の不運を神様が埋め合わせしたような理想の展開だった。 あるいは、他のウマ娘はルーブルを甘く見て追いかけるのを怠ったのかもしれない。府中の直線は長くて坂があり、逃げ切るのが難しいのも確かだ。 オークスやダービーで逃げ切り勝ちというのは事件と言えた。だが、もっと悲惨な事件の当事者になったルーブルには今更そんなジンクスは取るに足らない。 最内の経済コースを回って第3コーナーに入ったところでようやく他のウマ娘はルーブルに競りかけてきた。 しかし、ルーブルは先頭を譲らない。まだ脚は残っている。根性は有り余っている。ライバル達はようやく不味いと思い始めた。 外から追い込んできたスカーレットブーケは坂を上り切ったところで力尽きた。インを突いてノーザンドライバーが後ろに付けたが、ルーブルを差す余裕はない。ミルフォードスルーに至っては桜花賞に続いてバ群から出てこれない。 桜花賞を諦めてオークス一本に絞って来たツインヴォイスというウマ娘がルーブルとブーケの間から突き抜けを狙う。しかし、ルーブルは更に加速してリードを許さない。この上新顔に勝負を脅かされるのは御免だった。 ルーブルを誰も捉えれない中、最も危険なシスターが猛烈な勢いでバ群を飛び出し、大外から突っ込んで来る。 ルーブルはシスターの影を横目に見て恐怖しながら最後の力を振り絞った。影はやがて実像になり、シスターは凄まじい追い込みでルーブルに襲い掛かった。 『イソノルーブル頑張った!イソノルーブル頑張った!』 実況アナウンサーはそう叫んだ。確かにルーブルは頑張った。恵まれない境遇、あまりに不運な事件、色々な物をはねのけてルーブルは先頭に居る。その努力が報われてくれと見る者は願った。 ルーブルは気が気ではない。もう距離は僅かで、シスターの末脚を根性でどうこうするという領域はとっくに過ぎていた。 シスターも正気ではいられない。勝っても負けても僅差に違いない。プレッシャーと闘争心が全身を駆け巡って気が狂いそうだ。 爆発するような歓声と共に横並びでゴール板を通過したが、どちらが勝ったかなど分からない。もうこの先は天命だ。 「私の勝ちよ」 シスターは根拠はないが負けん気を担保にそう言ってのけた。 「精々祈りな」 ルーブルも言い返してはみたものの、トレーナー達の元へ戻っても写真判定は終わらない。 記者が群がってくる中でようやく結果が出た。神様というのは芝居気があると見えて、勝ったのはルーブルだった。 「やった!ルーブル!お前はやったんだ!」 目に涙を浮かべながらサブトレーナーが叫んだ。トレーナーはサブトレーナー時代にダービーを勝っているが、サブトレーナーの方は正真正銘初めてのGIだ。その喜びはレースに携わる人間にしか分からない。 「マル抽がオークスかあ…」 記者に取り囲まれたルーブルはあまりの事に実感がわかない。ようやく実感がわいたのは、同時に敗れた事を知って悔しがるシスターの姿を見てからだ。 「勝ったぞ!」 聞こえよがしにルーブルは叫び、記者を押しのけるようにしてシスターをウイニングライブに引っ張って行った。 ウイニングライブの盛り上がりは尋常ではなかった。多くのファンがルーブルに勝って欲しいと願っても、こうして本当に勝つとは信じ切れなかった。それは出来過ぎていた。 「アタシが一番信じられねえ。だけど、勝ったぞ!」 ルーブルは桜花賞で落とした蹄鉄を掲げると、ファンの群れの中に投げ込んだ。 その瞬間バックバンドが演奏を始めた。曲目は『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』だ。もはやソ連の崩壊は目前。ルーブルは紙屑になろうとしている。ルーブルはそんなさなかに女王になった。 [newpage][chapter:Part.3 強者の午後] 「結果としてさ、あのオークスで一生分走っちまったんだろうね」 ルーブルはライターで煙草に火をつけながら、若き日の戦いの記憶に思いを馳せた。 オークスウィナーとなったルーブルはその代償に故障して戦線を離れ、秋のエリザベス女王杯で惨敗してそのまま引退した。 「春は五強だったのに、秋には全員落ち目。けど、レースってそういう物よね」 ドライバーがしみじみ呟いた。彼女はオークスで長い距離は無理と悟り、ニュージーランドトロフィーに出走して2着になったのを最後に一番早くキャリアを終えた。 激闘を繰り返すとウマ娘はどんどんと消耗してしまう。つまり、彼女達はライバルに恵まれ過ぎた。そうして一斉に燃え尽きてしまう黄金世代というのは多かった。 「一緒にしないでよ。私はあれからも頑張ったんだから」 相変わらずプライドの高いブーケが、同い年なのにどこか年寄り臭いライバル達に異を唱えた。結局、秋以降に勝利を収めたのはブーケだけだ。それとて女王杯は獲れなかった。 「勝ったのは楽なレースだけじゃないの。あんたの一族って、そういうやり方好きよね」 シスターが嫌味を言う。オークスで一番高い代償を払ったのは彼女で、そのまま1年半ものブランクを作る事になった。だが、終わってみれば一番最後まで走ったのも彼女だった。 「そういう事を言わはるから、旦さんに愛想尽かされるんと違いますの?」 スルーが紅茶を飲みながらどす黒い笑みを浮かべた。クラシック前から厳しいレースを選んで来た彼女は、クラシックで存在感を見せる事が出来なかった。 「クラシックで後ろでまごまごしてたあんたに言われたくない」 「尼さんが離婚やなんて、面白」 「何ですって!」 レースでは一番の実績を残したシスターは家庭人としてはどん尻で、最近離婚してしまったのだ。 「だけど、落ちぶれたってのは居なくて、こうしてアタシの店で集まってコーヒー飲んでるんだから恵まれた方じゃないの?」 五強は案外平凡に第二の人生を歩む事が出来た。娘が大活躍しているブーケは別格としても、シスターを含めて生活に窮してはいない。 こうしてルーブルが開いた喫茶店で時々集まる事が出来るのは、結局誰も不幸になっていない証明に他ならない。 「全員ファンが覚えててくれるくらいには勝てた。食うにも困ってない。上出来さ」 別の客が来たのに気付いて、ルーブルは煙草を灰皿で消して席を立った。 あの激闘に次ぐ激闘が嘘のように、ルーブルの店は穏やかに時が過ぎる。だからだろう。彼女達は暇な時はこの店にやって来る。 Part.1 立場上: 騎手や厩務員がパドックで客と会話するのは公正を害するので御法度である。 Part.2 逃げ切り勝ちというのは事件: ある程度のファンなら全ての例をそらんじられる程ダービーとオークスでは逃げ切り勝ちが少ない。 経済コース: 逃げの利点はコースの最内を回ってロスを最小限に出来る事にある。 この呼称は競輪やオートレースでも古いファンに用いられる。 イソノルーブル頑張った: フジテレビの中継で三宅正治アナがこう連呼した。 投げ込んだ: 松永騎手は表彰式で感涙しながらスタンドに鞭を投げ込んだ。 Part:3 エリザベス女王杯: 秋華賞の創設は1996年の事で、当時は女王杯が牝馬三冠の最終戦だった。距離も2400メートルで、古牝馬のGIは存在しなかった。 ニュージーランドトロフィー: NHKマイルカップも1996年の創設。また、外国産馬は2001年までクラシックに出走できなかったことから、本競走は「マイラーのダービー」とか「マル外のダービー」と称されて重要視されていた。 6月開催だったが、オークス後に出走するのは当時としても強行日程であった。 秋以降に勝利: スカーレットブーケは女王杯3着、古馬になっても3勝を重ね、結果として五強の中で獲得賞金は最多となった。 楽なレースだけ: しかし、3勝とも牝馬限定戦であった。 一番最後まで走った: 五強で6歳(旧年齢)まで走ったのはシスタートウショウだけで、女王杯は出走できなかったものの安田記念で4着に入っている。 愛想尽かされる: シスタートウショウは子育てに熱心ではなく、子孫に唯一重賞馬が居ない。 後ろでまごまご: ミルフォードスルーは三冠全てで2桁着順に沈んだが、初仔のランフォザドリームが重賞を勝ち、この勝負では五強で一番乗りとなった。 案外平凡: 少なくとも五強の牝系は残っており、全頭かなり晩年まで消息を辿る事が出来る。