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救済措置としての安楽死を考える

離脱症状がひどいときに真剣に安楽死を考え、いろいろと調べました。

調べ切れてないこともあるかと思いますので、間違いがあったらすみません。


回復しつつある今も安楽死制度を利用したい、認めて欲しいという考えは変わりません。


なぜならもし一生この身体の痛みや症状が続き、さらには悪化したとき、もし自分になんの責任もなく、生きていて誰かに迷惑をかけると確信したとき、そこで長々と生きるつもりはないからです。


しかし、現在日本には安楽死制度はなく、その是非の議論もほぼされていません。


現状で日本人が安楽死するにはスイスの安楽死団体と英語でメールのやりとりをして、厳しい審査をパスしたあと、高額なお金(130万ほど)をかけてスイスに渡って向こうの団体と今際の際まで英語で意思を提示し、安楽死を受ける必要があります。


めちゃくちゃハードルが高いと感じます。


言語、お金、体力……。

今、難治・不治の病気や障害で死にたい、と思っている人間にはきついですね。


自分はお金をなんとかしたとして、メールを書くことはできるかと思いますが、たとえ予習したとしても死ぬ前の緊張した状態できちんと英語でのやりとりをできる自信がないです。


実際に利用するかどうかはおいておいて、住んでいる国に安楽死制度があるのとないとでは全く違うと思っています。


現状では、まだ生きられる状態であるにもかかわらず、余力があるうちにスイスに渡り、安楽死してもらう必要があります。


もし住んでいる国に安楽死制度があれば、ギリギリの「本当にもう生きられない」と感じるまで生きていられるし、ほんとうにもしかしたらの話、そこまで生きたら病気が治ることもあるのかもしれない。


また、「いつでも死ねる」と思うことで生きられることがあると思っています。

いつ終わるか分からない苦しみと闘うのは辛いことです。

ましてや、生きることで他人に迷惑をかけるだけであれば。

でも、終わりを自分で決めることが出来れば、いつか終わりが来ると分かっていれば、少しだけ長く頑張れる気がしませんか。

病気や障害で悩む当事者も、その人と人生を共にする人も、です。


辛いのは当事者だけではなく、それに関わる人も辛くなっていくものだと思います。

献身的に看護しても変わらない症状。

「自分は働いて、家事をして、介護をして苦労しているのに、寝てばかりでいいよね」という感情すら芽生えてくると思います。

当事者はそれを感じて、さらに辛くなります。

こうなるともう詰んでると思います。


「早く死んでくれ」

「いなくなってくれ」


家族や大切な人にそう思われながら、病気や障害に苦しんで死を待つ、それ以上の不幸はないと思います。


自分は死ぬなら、そんな不幸になる前に、大事な人たちに迷惑を欠けたくないと判断できるうちに、まだ必要だと思われているうちに死にたいです。


以前3つあったスイスの安楽死団体ですが、1つの団体は新規会員の受け入れを停止してしまいました。これからもどうなるか分かりません。


現状を見ていると自分が生きている間に日本で安楽死制度が承認されることはかなり望みが薄いと思っています。

とはいえ、世界の流れに乗っていきなり承認されることもあるとは思っているのですが。


せめて安楽死制度承認の最初のステップとして、末期がんでもう苦しみしか残っていないような方の、個人を尊重した積極的安楽死は検討して欲しいなと思っています。


最期にモルヒネも効かなくなり苦しくて何も出来なくなってごはんも食べられなくてただ死ぬのを待つ、みたいなのは辛すぎるので……。


(というか、末期がんの緩和ケアでオピオイドを使って、自分みたいにアクチベーションで過興奮、異常な不安感などが出たらどうするんだろう、と常々考えています。地獄すぎる)


その後、原因不明の病気や難治・不治の病気や症状がある人なども受け入れていってくれれば……。

というのが自分の希望的観測です。


現状はあまりにも死にネガティブなイメージがあるため、死にたい人、死ななければならないと思っている人自身に負担がかかっているのではないかと思います。


死ぬ、殺すではなく、苦しむ人が少しでも楽に生きられるように、と言う観点から、安楽死制度を考えてみて&検討して欲しいなと思います。


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