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「これ以上下がれないんですけれど」



「そんなに真顔で見られましても。」

 困惑したように、しかし淡々と言葉を続けるその姿は普段思っているよりさらに小さく見えた。


 どうしてこんな状況になっているのだろうか。壁ドンの壁がないバージョンというのだろうか。現在進行系で彼女?をベランダの柵際に追い詰めているのだが、それを行っているのが自分であるということがどうにも信じられないようなふわふわとした気分で文喰シミを見つめ続けていた。

 しかし小さい。片腕で抱きしめられそうな肩、片手で締められそうな首。夜の青みがかった空気の中で肌はひどく不健康そうに見える。理由がなくても一週間後には死んでしまいそうな、そんな生き物が眼前で未だに困惑したような顔を続けていた。


「あの?タダ飯タダ酒につられてきたのになんか騙されてますか私。」

「もしもし??まだカルパスちょっとしか食べてないんですが?」


  小さな口がせかせかと動く様子を無言で眺めてしまう。普段自分でも感じることのない不思議な気持ちが胸に満ちていて、こんな悪戯じみた行為をずるずると続けてしまっている。早く部屋に戻るべきなのに。よくないはずなのに。


「ベランダがわるいんです?なんか見られたくないものとかありました?」


 困らせてしまっている。柵に雨粒が残っていたのか濡れてしまった背中を気にしながら言葉を続ける顔は困惑に満ちている。

 もし本当に抜け出そうと思っているのならば、電脳世界にでも潜って逃げ出してしまえばいい。たしかそんな事もできたはずだ。


「いったん離れません?いったん。いやほんとにいったんなので。」


 だがいま目の前で文喰シミは、警戒心の強いバーチャル害虫は居心地が悪そうに目を揺らしているだけで逃げ出してはいない。

 信頼されている。こんなことを理由もなくするとは思っていないから、一緒に部屋でお酒を飲んでもいいくらいの友人だと思われているから、自分が無言で追い詰められている訳を探ろうとしている。

 そう思うと嬉しいはずなのにその信頼を裏切るようなことばかりが脳裏をかすめてしまい、瞳や唇に吸い込まれていた目線を外して強引に空を見上げた。

 バレていないことを願って。

 しかし


「あー……なるほどねぇ。」


 ため息に溶けたような声だった。

 急に水を浴びせられたように目がさめて、慌てて半歩下がりながら視線を戻した。


 しかし戻した視線の先を脳が処理するとまた夢の中に囚われたような気分になる。

 見た経験がない気がするくらい、ひどく優しい表情をしていた。

 少し困ったように目を細めて、駄々をこねる幼子を見つめるように。


「まぁ、ふみはみかわいいですもんね。お酒も入ればこうなるのかもしれませんね。しょうがないですかね。」


 眼の前であまりにも都合のよいような反応をしている生き物は本当に文喰シミなのかわからなくなる。

 紡がれる声色が、静かなため息なのか蠱惑的な囁きなのか判別できない。。

 追い詰められるだけだった肩から力が抜かれ、細い腕がこちらに伸ばされる。



「頭冷やしてな!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 無理やり立ち位置を入れ替えられて柵にぶつかった。


 ガラス戸と鍵のしまる音に慌てて振り返ると、蛍光灯のせいか少しだけ血色の良くなったような気がする顔が、こちらに向けてこれまた小さな舌を出していた。



「これ以上下がれないんですけれど」 「これ以上下がれないんですけれど」

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