お腹が空いたら哲学になった
Added 2021-06-29 14:30:45 +0000 UTCチキンステーキ定食が480円であった。月末のことである。それすら食べる予算がなかった。月末のためである。
最近はもっぱらふりかけご飯で生きている私だ。米の飯以外の食感を忘れて久しい。が、悪いことばかりでもない。弁当持参と思いきや中身がふりかけと白飯だけだったのをみた奴がコンビニで春巻を奢ってくれた。
春巻きは美味い。筍が入った中華料理は大抵バリムチャ美味い。88円で食べて良い美味しさなのだろうか。
そして88円を奢っただけでこんなにドヤ顔をしていいものなのだろうか。いやありがたいけど。
兎にも角にもチキンステーキだ。食べたい。食べられない。480円でここまで悲しくなるのは莫迦らしい。ええい、どうせ食べられないんだからもっと大きな妄想をしてやるぞ。
ステーキはステーキでもビーフステーキがいいな。赤身をレアで頬張ってやる。
そんな虚しい空想に耽る昼下がりを送っていた最中である。脳内にあるやりとりが急に浮かんできた。
「焼き加減はいかが致しましょうか」
「レアで」
思い出そうとするでもなくいきなりふわりと浮かんだそのやりとりは、昔読んだ何かの数行だったはずで、でもそれがなんだったのか思い出せない。
明らかに本筋に関係ない場面だし。
たしか答えた方は美少女だったはずで
などと記憶を掻き回して悩んで悩んでやっと辿り着くとそれは昔読んでいたネット小説の一文だった。
大好きだった作品で、
大好きだったのに忘れていた。
更新の日を待つうちに、いつのまにか更新どころか存在すら忘れていた。
たぶんこんなことは数え切れないほど起きているんだと思う。
財布や鍵みたいになくても困らないから
忘れたことに気づけないなんて普遍的なことなはずだ。
好きだった小説だって、ひととき狂ったように聞いた音楽だって、触れない日があればいつかは忘れるのだと思う。
沢山の作品に触れれば尚更である。
何かを忘れることが怖くても、もう既に忘れた大好きなものがある可能性があっても絶対に。
メモでも取って定期的に見直すようにしようか。メモを取らないと忘れるような「大好き」ってなんだろうか。
そして、たぶんそれは友達でも同じことで、
悲しいことに同じことで、
ずっと友達だと言っても、永遠に推しますと誓っても、たぶんその人が目の前から消えて時が経てば、
きっと私たちの脳は覚えていられない。
トラウマでもなければ無理。無理なんだと思う。
誰かとやりとりをした跡地みたいな自分のリプライを見つけて、相手のアカウントは既に消えていて、どうしても誰と語り合ったのか思い出せない。
どうでもいい人だったということか、それとも私は友達のことを忘れてしまったのか。
だけどきっと大丈夫。な、はず。
すっかり忘れていたはずの小説の、なんでもない場面をふと思い出すように
完全に忘れるということにも私たちには無理なのだと思う。
時計の歯車がすり潰してしまった沢山のものも、知らないうちに私を形成していく。身につけないものでさえキラキラと輝く蓑のように私を覆っていく。だからきっと、大丈夫。
いつか私が貴方を忘れても
貴方が私を忘れても
きっと大丈夫。