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【手記】カタシロRebuildの「MC」をさせてもらって感じたこと

ディズムチャンネルで連続放送中の舞台企画「カタシロRebuild」。

もはや残すところあと3公演というところまで来ていますが、どの回も本当に素敵な公演になっており、携われて本当に良かったなあと心から感謝する日々です。


この公演において、恐れ多くもMC(といっても出番や役割はそう多くはなく、冒頭の挨拶とアフタートークでのほんのちょっとの回しくらいです)を任されているんですが、ここで「これってけっこう大事な発見じゃないか?」と思ったことがあるので記しておきます。



曲がりなりにも僕はホスト側の一員であり、ゲストの方に「この企画に参加してよかった」と思って帰っていただきたいという一心です。まあその中で自分が及ぼせる影響なんて微々たるものですが、それでも自分の領分の中でなんとか最善を尽くさなければと思うわけです。


となった時に、僕はアフタートークで、各回の各ゲストがいかに素晴らしかったかを伝えるという役割がある。これは多分、その回の魅力を解像度高く受け取らないとできないことです。

どの回も本当に前のめりで見ざるを得ない、お世辞抜きで本当にめちゃくちゃ面白い内容ばかりだったのですが、その前置きをしたうえで、「ボーッと見て」いてはいかんわけです。自分の役割を全うするためにも、血眼になって公演を食い入るように見て、その面白さを取りこぼさないように受け取ろうとしています。


しかし「カタシロRebuild」という舞台はくせもので、毎度毎度同じシナリオとは思えないほどに全く違う内容になります。筋書きがではなく、面白さの質そのものからして全然違う。

「対話する舞台」「あなたの物語」ことカタシロです。各回の魅力は、演者の魅力そのもの。千差万別に凄い人、キワモノばかりのゲストの方々でありますから、そりゃあもう毎度毎度受け取るものが全く違うわけです。


ここで、「俺にとってのいいカタシロ(あるいは選択、回答、物語、舞台、エンタメ……etc.)とはこういうものだ」みたいなエゴが、めちゃめちゃ邪魔なんです。

自分にとっての正解、自分の中の尺度・枠……そういったものに当てはめて「評価」しようとすると、とたんにそれぞれの魅力の解像度がガタ落ちするんです。


TRPGで僕がゲームマスターをする時の感覚にも少し似ています。

僕は必ず「プレイヤーの出してくるものを面白がる(楽しむ)というマインドセット」をします。毎回だいたいこれに1時間くらい時間をとっています。

これは、相手の魅力を受け取るセンサーの解像度を落としてしまう自分の中のエゴをウォッシュする時間だったりします。


今回ディズムが、そして彼に協力するたくさんの仲間が、さらにはそれを支援してくれたたくさんの支援者がいる大きな企画で、絶対に満足して帰ってもらいたいゲストたちばかりという舞台において、かつてないほどめちゃくちゃに切実な課題として自分の中に発生しました。

僕もそれなりに強いエゴがあります。カタシロという作品にも(勝手に)愛着があります。しかし、カタシロRebuildという企画を成功させるために、僕はそのエゴをウォッシュし、解像度を上げようと血眼で目の前の舞台から「魅力」を掬い取ろうとしています。



そして、それをして良かった、と本当に毎回思います。



自分の中の定規で測ったり、枠に収めて評価したりするより、明らかに受け取るものが大きいからです。気付けるものも多い。


たぶん、「俺にとって最高のカタシロってこういうもの」という正解やエゴが強かったり残っていたら、気づけなかった魅力が、取りこぼしていた何かがたくさんあったと思うんです。

MCという役割を任せてもらえたからこそ、こんなにいろんなものが受け取れたんだろうなあと思うと、こんな実力も経験もない牛がそれをすることに申し訳なさも感じつつ、でもこんな役得はないなと思いました。




そして、もう一つ。

この「相手の魅力への解像度を高め、引き出す」という行為を、MCの僕の数倍・数十倍……いやもっと長い時間、濃い密度、役割の重さであんなハイレベルでこなし続けている医者役のディズムは、本当にやべえやつだなと心の底から思います。


余裕があるような、さらりとこなしているように見えますが、アレ、本当にとんでもないですよ。




残るは3公演。

残りの全ての公演でもMCをさせていただけるそうなので、可能な限りとりこぼさぬよう、全力で心のセンサー全開、感度3000倍で見させていただきたいと思います。

みんなも、一緒に見届けてくれよな。


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