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【手記】人生の「成長痛」についての随想

最近、ずっと胸が痛い。


思えば、人生の転機と呼べるイベントの際に、いつもこういった「痛み」が胸にあった。

痛みの原因は様々だ。

たとえば、自分の無力を痛感した時。

たとえば、圧倒的な人を目の当たりにした時。

たとえば、自分がいかに無自覚で目が曇っていたのか気付かされた時。

たとえば、「僕の人生はこのままでは絶対に幸せになれない」と気づいた時。


その全てに共通していたのは、自分はこのままではダメだ、変わらないと、成長しないと、動かないと……といった強烈な感情を自分の中に生み出すことだった。

「ああ、この痛みは今の自分に必要な痛みだ」と自覚する類の痛みだ。

僕はこれを「成長痛」と呼んでいる。


自分の人生を主体的に生きようとすればするほど、

自分の人生に真摯であればあるほど、

きっとこの成長痛を数多く受け続けるのだろう。

僕は28の時に、「今の延長線上にある人生では絶対に幸せになれない」という確信を得てしまい、今までの人生で培われて凝り固まってきた人生観・考え方・信念のようなものを根本から作り変えねばいけないと決意し、いくつかの具体的な行動を起こしはじめた時期があった。

それから6年間たった。それまでの28年間はなんてボーッと無自覚に生きてきたんだと痛感するほどに、その6年間は人生を主体的に生きたと思う。

28以前の僕と今の僕は、ほぼ別人になっている。

根っこの部分は変わらない何かがあり続けているのだろうが、少なくとも僕自身は別人になった自覚がある。おそらく僕を一番最初から見続けている親も、きっと同じように思っていると思う。


振り返っても思う。

あの時感じた痛みは「僕に必要なもの」だった。

あの痛みから逃げずに向き合って、向き合った結果もっともっとたくさんの痛みと直面する羽目になって、でも今、その痛みと向き合って本当によかったと思っている。

それ以前の僕より今の僕は遥かに幸せになったし、

なりたい自分に、誇れる人生に、素敵な未来に近づいた。

本当はまだまだ遠いのだけれど、あの時に比べると大きく近づいた。

だから「成長痛」から逃げるべきではないと、今の僕は思っている。



今、僕は新たな痛みに直面している。

今まで感じたどの痛みよりも強く、複雑な痛みだ。

なにせ「他者」が関わっている。


自分の人生を主体的に生きようとすればするほど、

自分の人生に真摯であればあるほど、成長痛は増す。

そこに他者の人生が同じように乗ってくることがあるとは思ってもいなかった。


正直、激痛すぎて、無自覚な阿呆になれればどんなに気楽かと思う毎日だ。



それでも、この痛みから目を背けることだけはしたくない。

痛すぎて最近しょっちゅう悲鳴をあげているが、それでも麻薬で痛みを取り除くことを良しとしない自分がいるうちは、付き合い続けようと思っている。



数年後には、「やはりあの痛みは、僕に必要なものだった」と思えているだろうか。


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