【手記】まだら牛が本当にやりたいことは何なのか
Added 2020-01-27 15:23:13 +0000 UTC色々な人と話したり、旅をして色んな景色の中を歩きながら思考したり、面白いと思う人たちの発信する言葉に耳を傾けたりして、久しぶりに自分の考えてる事のコアな部分がスッキリしてきた。
せっかくなので、鮮度が高いうちに文章に起こしておこうと思う。
動画やシナリオ、配信、雑誌編集など、まあコンテンツクリエイター的な活動をしているわけだけど、そんな中でもやりたいと思うことと、あまりやる気が起きないこととがある。
TRPGのシナリオを作ったり配信したりしているけれど、これについて、人気の出そうなシナリオをたくさん書いて、数字が取れそうな人とたくさんコラボして、チャンネル登録者数を増やして………みたいな思考をしても、「なんか違う」「やった方がいいかもしれないけど、やる気があまりおきない」みたいになりがちだ。
この由縁が何なのかがようやく明文化できて非常にスッキリした。明文化できれば、あとは今後なにをすべきで、何をすべきでないのかの取捨選択が明瞭になる。これは助かる。
まず最初に結論を述べると、僕がやりたいのは「エンターテインメントの提供」ではない、ということ。
僕が作るコンテンツをエンターテインメントとして受け取ってくれる人がいても構わないし、それは喜ばしいことなのだが、本質的に僕が届けたいのはエンターテインメントではないらしい。
なら何なのか。
恐らく哲学なのだと思う。
その時その時で僕が思考して現時点で最も「よい人生」につながると思う何かを吐き出している、というのがもっともしっくり来た。
一番イメージとしてわかりやすいのは『ゲンジボタルくん、東京を救う』だが、それだけではもちろん無い。
『ヤクのあしあと』も、よくよく読んでみれば、僕の視点からの「生き方」への強烈なメッセージが含まれてしまっているのが見て取れると思う。
近年もっとも評価をいただいた『狂気山脈 〜邪神の山嶺』にしても、その制作の発端からして僕の「よい人生」への足掻きからスタートしてるのは、シリーズ同人誌のあとがきを読んでくださった方にはなんとなく感じていただけると思うし、シナリオの中身にも、登山家という生き方を通じて何かしらの人生観みたいなものが伝えたい意図が含まれている。
『Mt.Akimoの山になりたい』は、その最たる教科書であり、研究対象であるAkimoくんへのアプローチで、まったくもってエンタメとしての意図はなく、マジであのインタビュー記事で僕は自分と読者の人生をよりよいものにできると信じている。
そして、飲み会とか食事とかの時に、僕は気を抜くと、そういう話をしてしまいがちなのだ。(そして強烈に白熱したり、たまに「まだら牛さんって実はクソ面倒臭い人ですね?」とか言われたりする)
要するに僕はエンタメではなく、自分と自分を見てくれる人、一緒に何かをする人の人生を、少しでもいいものにする、みたいなモチベでしか物が作れない、作りたく無いっぽいのだ。
そしてそれは万人に届かなくていい(そもそも無理だと諦めている)が、いい影響を受け取ってくれた人が周りに増えるとすごくいいな、と思っている節がある。
自分の中の欲求が明確になった。何にモチベーションが湧くのか、そのモチベーションを使ってどこに行き、なにを為したいのか。
それが明確になった。
ゴールが見えれば動きやすくなるだろう。
僕はどうすれば自分がいい人生、幸せな人生を歩めるのかを考え続け、それを恐れず発信していくべきなのだろう。それが人生をかけてやりたいことなのだから。
【蛇足】
そのためにも近々、僕があまり表に出してなかった、それでいて今のところの僕の人生哲学の核になっている「森林限界思想」という過激思想について、恐れず何かしらの形で発信しなければならないだろう。