(2020.5.19より無料公開化) CoC『狂気山脈 〜邪神の山嶺』のネタバレがあります。 ネタバレ前には改行挟みますので、読みたいところまでどうぞ。 〜〜〜 TRPGシナリオにおけるNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、ちょっと特殊な存在だ。シナリオ作者の意図と、与えられた役割に、さらに「GM(KP)の解釈」というのが上乗せされて成立する。 この「解釈」は、GMの経験や価値観によって異なり、同じシナリオの同じキャラクターでも、GM次第でちょっとずつ異なるキャラクターとなる。 これを良しととるか解釈違い論争に発展させるかは個々人で差があると思うが、僕はこれこそがTRPGの面白さだ、という立場を取っている。 さて。『狂気山脈 〜邪神の山嶺』というシナリオには、コージー・オスコーというNPCがいる。 (ここからネタバレ) 彼は、おかげさまでかなり人気のキャラクターになった。元々の彼の役割は、トラブルメーカーであり、「は? こいつなんなんマジで」と、わざと登山隊の空気を悪くしつつ、プレイヤーたちのロールプレイを引き出すのが目的だった。でも、いまやコージーは本来の役割に留まらない魅力をプレイヤーや視聴者たちに見せている。これは、僕の意図しなかったところであり、むつーさんを始めとする多くの人達の「解釈」の力によるところが大きい。 実は、世間一般のコージーの印象は、かなりこの「むつー版コージー」の影響を受けていると思う。それは、多くの卓が、彼のセッション配信から派生して発生したからだ。やはり最初に見た・体験した卓の影響はかなり大きい。 しかし、むつーさんの「コージー観」と、シナリオ作者である僕の「コージー観」は、実は大きくかけ離れているところがある。 再三申し上げるが、僕はこの「解釈違い」をTRPGの面白さの本質として歓迎している。つまり、僕の「コージー観」はなんら彼の解釈を否定するものではない。 と、いう前提で。 それでも、「シナリオ作者のコージー観」というのを、この有料会員限定の場だからこそ、公開しておくのは面白いかもなと思って、ここにしたためる。 僕が思うコージー観や、極地登山観に立脚すると、「コージーが今回の登山隊では登頂すべきではない」という考えだ。 彼は技術的にも精神的にも、登山家としてあまりに未熟である。そして、その未熟さは一朝一夕で克服できるものではない。(ここらへんは、登山観をどこまでストイックに見ているかみたいな影響が大きい気がする) そんな彼にとっての真の成長は、登頂という成功体験を得ることではなく、一流の登山家たちの生き様に間近で触れ、自分を見つめ直し、未熟さを自覚することだと思う。 つまり、7,000m地点で生き残り、登山を続行した彼がその登山で有意義な何かを得たのであれば、彼が取る選択は「大黒壁直前で己の力量不足を正確に判断し、撤退し、その後は梓をサポートしてK2救出に尽力する」ことだと思う。 正しく撤退を決断するのは、無謀に挑戦するより遥かに難しい。だからこそ価値がある。 そして、無事下山できたのであれば、彼の狂気山脈への本当のチャレンジはそこから始まるのだろう。おそらく数年後、急成長を遂げて実力と実績を積んだ彼は、本当の己の意思で、再び狂気山脈に挑むのだろう。その時、彼が共に登る仲間としてどんなメンバーを集めるのか、それを想像するととてもワクワクするのだ。