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孔明の罠
孔明の罠

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引き抜き

『男子水泳期待の大型高校生ーー』 『昨年に引き続いての全国優勝ーー』 『秋元湊、その才能を遺憾なく発揮ーー』 「秋元、湊……」  手に持つ携帯端末からネットの記事を読み耽るその女性の名は水沢綾子。女子水泳部において全国大会常連の強豪『白鳥山女子高等学校』でその顧問兼監督を務める敏腕女性教師だ。 「いいわねぇ……」  そんな彼女が目を付けたのは、今、高校男子水泳で最も注目を集める選手である秋元湊だ。公立の男子高校に通い、日々競泳に励む全国でも有数の実力者。その人となりは質実剛健。仲間想いで周りからの信頼も厚い。 「欲しくなっちゃったわぁ♪」  獲物を狙う捕食者の瞳。これまで彼女から逃げ切れた者などひとりも存在しない。  秋元湊の望まぬ人生は、もはや彼女の手によって確定されたも同然だった。 ××× 「湊、またなー」 「おう、また明日ー」  放課後になったため、約束していた取材を受けるべく別棟の応接室へと向かう。 「水沢綾子さん、かぁ」  依頼主は女子水泳部で数々の実績を誇る白鳥山女子高の監督。多くの女子水泳選手を輩出している凄腕の監督だそうだ。 「うーん」  強い選手をただ引き抜きまくっている手段を選ばない悪徳な高校という評判も耳にするため、男子と女子とで舞台が異なるというのもあって、今回の取材に応じるかは少し悩んだが、同じ水泳に打ち込む者同士、俺も学ぶところがあるだろうと思い引き受けてみた。 「ま、実入りが良かったのもあるけど」  我が家はそこそこ貧乏なため、こういった収入源はわりかし大事だ。水泳に対してのスタンスで分かり合えなかったとしても、仕事と思って割り切ろう。 「失礼します」  応接室の前に立ち、一声掛けてからドアを開くと、そこには若い女性の姿が。どうやら先方はすでに到着していたようだ。 「はじめまして、水沢綾子です」 「はじめまして、秋元湊です。今日はよろしくお願いしま……ん?」  後ろからバタンとドアが閉じるような音がして、俺は思わず振り返る。 「え……?」  ドアが、勝手に閉じた……? 「それじゃあ、さっそく始めていきましょうか」 「へ?あ、ああ。はい」  まあ、どうせ風かなんかだろう。俺は特に気にすることなく取材の席に着いた。  そして早々に、水沢さんはおかしなことを口にした。 「まず、取材というのは建前で、私はあなたを引き抜きに来たの」 「……?引き抜き、ですか?」 「ええ、引き抜き。あなたの選手としての才能に惚れちゃってね…秋元くんにはぜひウチの学校に来てほしいなって♪」  訳のわからないことを言う人だ。俺がそう不審に思っていると、彼女は聞いてもいないのに自身の学校についてアピールを始めた。 「白鳥山は私立だからこんな公立の田舎学校より部活動の設備や用具も充実してるし♪特待生制度もバッチリだから学業、部活動を問わず優秀な子は学費の心配もいらないの!それに言っちゃ悪いけど、ここの水泳部なんかじゃ全国の団体戦は勝ち上がってこれないでしょう?その点、あなたの才能を存分に活かせる白鳥山への転校は、あなたにとっても最善の選択だと思うの。どう?」 「ちょちょ、待ってください!」  彼女のマイペースな話しぶりに困惑しながら、俺はとりあえず今の話を聞いて思ったことを口にした。 「確かにうちの水泳部は強豪ってわけじゃありませんけど、弱いわけでもないですよ。いくら白鳥山が全国大会の常連校だからって、そこまで言われるのは心外です」 「ふふっ、義理堅いわねぇ。あなたにとっては足枷でしかないのだから、こんなとこさっさと見捨てちゃえばいいのに」 「……仮にここが俺の居場所として相応しくないんだとしても、それは白鳥山にだって言えることじゃないですか」 「?どうして?」 「どうしてって……俺は男なんですよ?白鳥山は女子校じゃないですか。引き抜きとか以前に、そもそも俺はあなたのいる高校には入れません!」 「あら、じゃあ女子だったらどうかしら?」 「はぁ?……ん?うわぁっ!?」  身体がむず痒くなったかと思うと、その至るところで変化が訪れ始めた。 「な、なんだよっ、これ!?」  うねりだした髪の毛はその長さを増していき、いくら抑えつけようにも留まることなく、やがて俺の肩に垂れかかるまでに伸び切った。指で触れるとそれらはひどく滑らかでさらさらとしていて、光沢とも言えるほどの艶やかさを纏って照明の明かりを照り返していた。  すだれのようになって瞳を覆う邪魔な前髪を掻き分けると、さらに睫毛がこれまでになく俺の視界を遮ってくる。  いつもとは違ってやたらと広く感じる視界。特に意識しているわけでもないのにまるで自然と目が大きく開かれているような気がした。 「おい、おいおいおい……!」  左右2箇所を中心として、不自然に膨らみ出した胸部。触れてみると柔らかな弾力が返ってくるそれらは、まるで女性に備わる乳房のようで……。  さらに身体全体が軋み出す。骨格が溶けていくような強烈な熱を感じる。この、身体の内部が掻き回されていくような不快感はなんだ? 「……う、腕が……縮んで……?」  半袖から覗かせる両腕が、気づけば見慣れたそれと違って無駄毛のない、細く肌白く柔らかな質感のものへと変わっていた。  その先にある手のひらも、やはり腕と同じような変化を見せ、さらに小さく、いかにも繊細そうな、まるで女子の手みたくなっていた。 「……ぐっ!?」  股間部に意識を持っていかれる。何かとんでもない変容がそこで生じているのではないかと思わせる、激しい痛み。  そして、喪失感。 「俺の身体、どうなって……え?な、なんだこの声!?」  俺の口から発せられた声は、やたらと高く澄んだ通りのいいソプラノボイス。とっくに声変わりを終えたはずの男子高校生にとって、まずありえない声音だった。 「ふふっ、よかったわねぇ。もうあなたは男の子じゃない。立派な女の子よ♪」  痛みが収まり、俺が立ち上がれるようになると水沢さんはそんなことを言った。 「……これは、あんたの仕業か?」 「そう、あなたを女の子にしてあげたの♪」 「……」  ありえない。手術も無しにこんな一瞬で人の性別を捻じ曲げるなんて、現代科学じゃ絶対に不可能だ。 「あんた、魔女かなんかか?」 「当たらずといえども遠からず、ね」  余裕ありげな態度でほくそ笑む水沢を見て、背筋が凍った。 「……」  落ち着け俺。落ち着いて、気をしっかり持て。 「さて、これであなたも女の子。ここは男子高だから、もうあなたはここにはいられないわね?おとなしく私の元に来なさい♪」 「……水沢さん、あんたの狙いはそれか」  どうやったのかまでは知らないが、この人は俺をこの学校から引き離すために俺の性別を変えたらしい。 「ふざけんなっ!そんなくだらない理由で俺の身体をめちゃくちゃにして……タダで済むと思ってるのか!?」 「あら?タダでは済まないの?」 「当たり前だ!訴えてやる!!」  すると彼女はとぼけた顔をしてこう返した。 「訴えるって、なにを?」  本当に心当たりがないかのようなその表情に、俺は声を一層荒らげた。 「俺を!女に!!変えたことをだっ!!」 「ああ、そう……なら、あなたはもう生まれた時から女の子だったことにしちゃいましょう♪それならあなたの訴えなんて、門前払いで終わっちゃうわよね?」  一瞬、世界が暗転した気がした。 「お前、またなにかしたのか?」 「ええ。あなたを、生まれた時からの女の子って設定に変えちゃいました♪」  生まれた時から……つまり、俺が男として生まれなかったってことにされた……?  携帯を取り出し、母親の連絡先に電話を掛ける。  数コールの後にノイズが走り、そして母さんが電話に出た。 『もしもし?」』 「母さん?俺のこと、分かるか?」 『"俺"?美菜、あんた寝ぼけてるの?というか、分かるかってどういう意図の質問よ?』 「……いや、俺の名前とか、性別とかさ……分かる?」 『はあ?バカにしてるの?あなたの名前は『秋元美菜』で、性別はずっと女でしょうが。分かったらさっさとその似合わない一人称は改めなさいよ?』 「……」 『美菜、どうしたの?用がないなら切るわよ?』 「……ああ、ごめん。じゃあ」  電話を切ると、水沢が得意げに話し出した。 「あなたはもう男じゃない。名前も『秋元美菜』になったの。どう?これで白鳥山に来てくれる気になった?」  そもそも、こんな変わりきった声にも関わらず平然と電話に応対できている時点で、おかしいと思っていたのだ。 「……いい加減にしろよっ!!どうすんだよ俺これから!!」  突然女にされて、しかも周りの認識まで書き換えられて、どうやって生活してけばいいんだ!理不尽すぎる!ふざけんな!ふざけんなよっ!! 「ていうか、お前のせいでこんなになってんだから、お前のとこになんか絶対行くわけないだろうがっ!!頭イカれてんのか!?」  そうやって思いのままに理不尽への抗議を言葉にしていると、 「そうなの?……MPが心配だけど、まあ仕方ないわね」  水沢がなにか呟いて、また世界が暗転した。 「……今度は一体なにを……ん?」  いつの間にか俺は、女学生のような制服に身を包まれていた。 「よく似合っているわよ、白鳥山の制服♪それと……あなたの鞄から出てきたこの学生証、ほら、なんて書いてある?」  言われた通りに目を向けると、その白鳥山女子高の学生証には、『秋元 美菜』という氏名が記入されていた。 「なっ……!?」  現実を書き換える。そのとんでもない力に、俺は改めて恐怖を抱いた。 「おめでとう!あなたはもう立派な白鳥山女子高の生徒、秋元美菜さんよ♪そろそろ観念して、私の元で女子水泳に励む気になった?」 「ば、馬鹿を言うなっ!!俺は絶対に、お前の言いなりになんかならないっ!!」  なんとか気丈に振舞って、俺は応接室のドアを開き、水沢に向き直る。 「お前の悪事は俺が暴く!!今日明日は無理でも、何年経とうが俺は絶対に諦めない!!枕を高くして寝られないと思えよ水沢綾子っ!!」  そう宣言して、俺はそのドアを閉じ 「あー!!!秋元美菜じゃね!!?」 「っ!!?」  閉じようとした途端、大音量が廊下に響き、俺は驚きのあまり思わずその手を引っ込めてしまった。  振り返ると、そこには部活仲間で俺の親友、拓馬の姿があった。 「たく」 「高校女子水泳選手の頂点!しかも容姿端麗才色兼備で男女問わず大人気のアイドル的存在!!そんな秋元美菜がなんでこんな男子高なんかに!?」 「…………え?」  ピシリと、心のどこかに亀裂が走る音がした。 「いや、俺がここにいるのは当然のことで……」 「俺っ娘だったんすか!?いやそれはそれでアリです!てか当然ってなんすか!?秋元さん、この学校に縁とかあんの!?」  やたらとグイグイくる拓馬に、俺は後ずさる。 (俺だよ拓馬、湊だよ)  そう口にしようとして、けれど言葉にならなかった。  怖い。こいつの口から、俺の存在が消失している事実を告げられるのが。「知らない」って言われるのが、怖い。  それともうひとつ。  拓馬の視線が、妙に熱っぽい。俺の胸を見て、脚を見て、顔を見て、熱を帯びた視線へと変わった。 (ああ、そうか)  こいつは俺を、女として、異性として、見ているんだ。  拓馬にとっても、俺はもう女子水泳選手の秋元美菜なんだ。 「あなたは秋元美菜。白鳥山女子の、女子水泳部員のひとり。もうここに女子であるあなたの居場所なんてない。あなたの居場所は白鳥山女子高の、女子水泳部なのよ♪」  後ろで水沢がそう語りかけてくる。 「……女子にされたからって水泳をやめるつもりはないが、お前のとこの世話になるつもりもない」  虚勢を張ってなんとかそう返す。けれどやはり水沢は表情ひとつ変えることなく、そして俺にとどめの一撃を与えた。 「うちの特待生制度、学校の部活で実績を出さないとなの。あなた、家が貧しくって公立を選んだんでしょ?学外の水泳ジムにでも入って、特待生免除もなしに白鳥山の学費とジムの会費とを払い続けていくつもり?自慢じゃないけど、うちの学費はそれなりにするわよ?それとも借金でもしちゃう?ふふっ、あなたのご家庭、大変なことになりそうね♪」 「……」 「私の悪事が暴かれるのと秋元家が路頭に迷うのと……はたしてどちらが早いでしょうね!秋元美菜ちゃん♪」 ×××  自らの尊厳に目を瞑りながらクローゼット内のブラジャーを手に取る。 「あ……」  1番手近なものを選んだつもりだったが、それがたまたま現在着用中のショーツと同じ色をしていて、なんだか意識して選んだ感があるようになってしまった。いや、気にするようなことじゃない。  手を背中に回してホックを止めると、胸に安定感が加わって気持ちが軽くなる。そのままブラウスに袖を通し、扉に掛けられた制服一式を引き寄せる。  スカートを腰に当て、脇にあるチャックで締める。それから学校指定の紺色のハイソックスを履けば、絶対領域が出来上がる。  そして首元に赤色のリボンを括りつけ、ブレザーを羽織りボタンを留めれば、 「……」  姿見には、可愛らしい女子高生の姿があった。  これが今の俺なのだ。目を背けたくなる現実に、俺の憤りは増していくばかり。 「だけど……」  受け入れるしか、ないのだ。これまで一生懸命俺の水泳活動を支えてくれたこの家族に、迷惑なんて掛けられない。  櫛ですっかり長くなった髪の毛を整えて、煩わしい前髪はヘアピンで留める。そんな女の子としての朝支度に、また俺のアイデンティティは揺らぐ。  長く綺麗な黒髪。小さく丸っこい童顔。ぱっちりとした目。細い弓形の眉。よく伸びた睫毛。瑞々しい薄紅の唇。  華奢な撫で肩。色白で脂肪を増した両腕。ふっくらとした胸。ブレザー越しでもなんとなく分かる括れ。  染みひとつなく丹念なスキンケアが窺える脚は形がよく、凹凸の少ないふくらはぎに、健康的な肉付きの太もも。  正しく制服を着用しているにも関わらず外気がそのまま触れてくる股関節。そのショーツの裏側には男としての象徴なんて当然なく、あるのはむしろそれを受け入れるために生まれた一筋の溝。この身体を女たらしめるまごうことなき女性器がある。 「……」  そして、そんな今の自分にふさわしいであろう水着。あの水沢に渡された、白鳥山女子水泳部の競泳水着だ。 「……よし」  しばらく目を閉じてから、俺は決意を新たにした。  ローファーを履いて、鞄を手に持つ。 「いってきます」  放課後。更衣室のドアを開けると、既に着替えを済ませた女子水泳部員たちと、満面の笑みを浮かべた監督の姿があった。 「ようこそ、白鳥山女子水泳部へ♪」  そんな水着姿の女子一同の中に、俺は自ら足を踏み入れーー 「歓迎するわよ、秋元美菜ちゃん♪」 ××× 『いやぁ、相変わらずとてつもない速さでしたねぇ!』 「はい、ありがとうございます!」 『全国大会優勝ということですが、どうですか?今のお気持ちは?』 「そうですね……優勝は嬉しいですし、ほっとしたのもあります……うーん、だけど1番はやっぱり、家族に日頃の感謝を伝えたいですね。こういうときじゃないと、恥ずかしくってなかなか言えないので!」 『あっははは!おっと、そんな彼女をこの舞台まで導いた名監督、水沢監督も拍手で健闘を称えております!秋元選手、監督に対してなにか一言ありましたら』 「えー、そうですね……まあ、監督とは本当にいろいろありましたけど……」  突然女の子にされたり、無理やり白鳥山に連れてかれたり、女子高生としての口調や仕草、身嗜みに服の着こなし方まで叩き込まれたり……とにかくいろいろなことがあった。  だけど、今となっては全部いい思い出だ。私は、"私"になれてよかったと思う。 「今では心から信頼できる、私にとって1番の恩人ですっ!」  そして私は監督と、笑い合いながら勝利の抱擁を交わした。


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