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怪獣バースデー

怪獣バースデーはワンホールケーキをぶっ壊した。 悲鳴をあげるお母様。飛び散る生クリーム。宙を舞うケンタッキーチキン。 怪獣は本日の主役の腕を掴んで、ベランダから強引に引き摺り下ろした。 去年もそうだった。確か、一昨年もその前も……。 小さなあたしが知る限り、ロケット滑り台のてっぺんは世界で一番空に近い場所だった。 大人になったあたしは、もう探検するには小さすぎるこの町を、虚ろな目で見下ろしていた。 家じゃあお母様がお怒りでしょうか? 夜通しで飾り付けたパーテールーム。7日前に注文したワンホールケーキ、ケンタッキーチキン。 怪獣は全部ぐちゃぐちゃにした。ぶち壊し、踏み潰し、コケにした。 パーテーの主役として、悲しまなきゃいけないだろうか。わからない。あたしは薄ら笑いを浮かべていた。 あの時のお母様の驚いた顔を思い出す。「あの子の為に!一生懸命用意したのに!」 馬鹿臭かった。 もういっそ、この街も怪獣がぐちゃぐちゃにしてくれないかな。 車の窓の外を眺めていた。 丸いタンクが幾つか建っている。まるで怪獣の卵だ。 前列シートに座るお姉様は、少しばかり頭がおかしかったが、幼い頃は大好きだった。 彼女の奇妙な言動はユーモアだったし、何よりすごく優しくて、一つしかない玩具とおやつはいつもあたしに譲ってくれた。 しかしあたしが中学生になると、お姉様は無い物ねだりと八つ当たりばかりするようになった。 「お母様はいつもあなたの事ばかり」「せいぜい良い子にして、宜しくやっていれば?」 知らないよ。あたしだってお母様なんて大嫌い。 それからうんざりして、お姉様と話す事はほぼなくなった。 「あれ、卵なんだって。怪獣が孵化して、街を全部壊すんだって」 お姉様はふーん、と呟いた。いつも通り何も考えていない、人の話など聞いていない風だった。 けれども、しばしの沈黙のあと 「それって、本当?」 と、なぜか真剣な口調で訊ねてきた。 あたしは、「いや、」と言いかけて、しかしあたしが万物を理解していない限り、どんなオカルトも否定出来ない事に気が付いた。 「どうかな」 あの怪獣のたまごが孵ったら、お母様もお姉様もこの街も、踏み潰してくれないかな。 そしたら最後にあたしはようやく、家族の大切さを知るのかな? あーあ、全部全部ぶっ壊してくれないかな。車の窓の外を眺めていた。 バースデーの小さな瞳は、恐らく遠くを見つめていた。彼は話さないし、何を考えているかもわからない。 どうしてこんな事をするのだろうか。 毎年誕生日にだけ現れる事から考えると、バースデーパーテーを破壊する為だけの存在なのかもしれない。その為に生まれたのか? しかし、そんな事はどうでもよかった。 怪獣はその大きな爪で地面に穴を掘る。そうだった。去年も彼はこうして地中に帰って行ったのだ。 「さようなら」 あたしは一人になったけれど、暫くここにいる事にした。 この丘の夢は時々見ていた。 空は今日と同じくらい夕焼けだった。 自分と同い年ぐらいの男の子と、ロケット滑り台のてっぺんに登った。 彼はあたしの親戚らしい。 顔立ちは整っているが特徴がなく、表情もない彼は、他の子供よりも不気味な存在である事は否めない。 しかしあたしはこの子とは付き合いが長いらしく、"慣れた"、と言うよりは、それを悪いと思った事すらなかった。 寧ろ彼の周りに人がいない分、あたしが独り占め出来るから嬉しかった。 あの頃はまだ、住んでいた街がこんなに小さいだなんて知らなかった。 ロケット滑り台のてっぺんで、両手をめいっぱい広げれば、収まってしまう街。 まるであたしが怪獣になったみたいで、楽しくて、嬉しくて、寂しかった。 彼と来て良かったと思った。もし一人で来ていたら、怪獣になっていたかもしれないから。 夕日は沈んでいく。 あたしたちは何も話さない。それで良かったから。 それからまた暫くして、あたしたちはいよいよこの丘を降りた。 どうもまだ帰りたくない不良たちは、商店街のとても古びた小さなゲームセンターに足を止めた。 全くどういう趣味なのかは解らないが、大量のカラフルなレコードが、壁中に掛けてあった。 店先の小さいクレーンゲームの、多分ブタのマスコットストラップをあたしが凝視していると、彼もそれを見つめていた。 あたしは小銭入れから100円玉を取り出して、入れて、クレーンは宙をかいて、また100円玉を入れて、クレーンは景品を道半ばで落として、出して、入れて、あっ……取れないとこに嵌っちゃった。 300円使ったけど何も取れなくて、こんなもんだよって笑ったけど、ちょっと悔しかった。 「もう、家に帰ろうか」 街灯が点いている。 家の近くにある紫山公園は、大人たちによって危険性が示唆された遊具が続々と撤去されていた。 いよいよ遊べるのはブランコぐらいしかない。 つまらない公園だったが、彼はここにいたいと言うので、そうする事にした。 隣に座ってゆっくりと漕いだ。彼は乗りたがった割に全く漕がずに、静止していた。 あたしはかつて無邪気だった頃によくそうした様に、立ち上がり勢いよく脚を曲げ、ブランコは大きく揺れた。 横目で見ても彼は全く漕がずに、こちらを見ようともしなかった。 あたしもそれを無視して、精一杯ブランコを漕いだ。 ブランコはどこまでも、どこまでも高く上がる。このまま宇宙の果てまで飛んでいきたかった。 「真っ暗になっちゃったけど」 ブランコに飽きた頃、あたしは改めて帰宅を提案した。 彼は深い為息と、その日初めて見せた、諦めと寂しさを混ぜたような色のある表情で、あたしに同意した。 「じゃあ、あたしもあなたの家に行こうか」 あたしに帰りたい家はなかったし。何より彼の家に行った事がなかったから、行ってみたいと思った。 マンションの一室。六畳間。畳、襖、他には何も無い。 彼は唐突に唸り声をあげて蹲る。 初めて知った。彼の首から胸にかけてに大きな瘡蓋が幾つもある。咄嗟に彼のシャツを捲ると、切り傷、瘡蓋、火傷、青痣……顔以外、どこもかしこも傷だらけだった。 「やっぱりここを出よう」 あたしは彼の手を引いて、玄関の外へ飛び出した。 彼の両親は怒るかもしれない。あたしは罰をうけるかもしれない。それでもいい。 どこか遠くへ行くんだ。遠くへ。遠くへ。 走るうちに目が覚めた。 もう二度と、彼があたしの元に姿を現す事はなかった。 あたしのバースデーが終わるまであと2時間。怪獣が地中に帰った後は、ずっとブランコを漕いで暇を潰していた。 幼い頃を思い出すような、あの時の感情なんてひとつも覚えてないような。 もじゃもじゃした気持ちのまま、時に頭が空っぽになって、このまま脳なし人間として生きたいなと思いながら過ごしていた。 当然、辺りは真っ暗になっていた。虫の羽音が時々聞こえるだけで、人の一人もいなかった。 帰るのはとても嫌だったが、流石に冷えてきたので踵を返した。 バースデーパーテーの飾り付けは全て外されていた。 飛び散ったケーキとケンタッキーチキンも、綺麗に片付けられていた。 お母様はあたしの顔を見ても、しばらく何も言わなかった。 けれども冷蔵庫から残ったケンタッキーチキンを温め直しながら、口を開いた。 「どこに行ってたの」 「わからない」 沈黙が続く。お母様との会話でこうなる事は、少なくともあたしは慣れていた。 「怪獣が、きたんだよ」 「そんなはずないでしょ」 そんなはずないらしい。 あたしはこの目で見たし、お母様の目の前で連れ去られた筈なのに。 じゃあバースデーパーテーをぐちゃぐちゃにしたのは誰なのだ。 そうか、お姉様か。 「お姉様」 お姉様の部屋の前で呼んでみるが、返事がない。 「入ってもいいよね」 次は返事を待たず、扉を開く。 「なんだよ」 「あたしのバースデーパーテー、ぐちゃぐちゃにしたでしょ」 お姉様は怪訝な顔で応える。 「してない。するはずない」 「嘘、ケーキを潰したし、ケンタッキーチキンを飛び散らかした」 お姉様は何か考えているような素振りを見せて、また口を開いた。 「そもそも、あなたのパーテーに行ってない」 「乱入してきた。そしてめちゃくちゃにした」 「しつこい!!もう出てって!!」 怒鳴られたなら仕方ない。 あたしはお姉様の部屋を出た。 もうこの際、誰がやったかなんて、どうでも良かった。 そもそもあたしのバースデーパーテーはあたしのものではなかったのだから。 生クリームは嫌いだからケーキは食べられないし、ケンタッキーチキンは好きだけど、お母様の顔を目前とするとそれだけで胸焼けしてしまう。 それはただのしきたりだった。誕生日プレゼントも、あの人が自分の趣味を押し付ける為だけにある。 いつもあたしの事など考えてはくれなかった。 大丈夫、バースデーはもう終わるから。あたしは布団に潜る。 涙が出て来ちゃった。 あたしは考える。いくつになったら大人になれるのか。 怪獣もまた眠る。来年の誕生日、また会う日まで。

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