「伝説のアイドルが昇る大人の階段、林明穂28歳、衝撃のヘアヌード写真集ついに解禁」
そんな陳腐な売り文句が刷られた帯は電子書籍では外すことが出来ない。だが表紙に写る全裸の彼女は、いまだ美しく、可憐で、気高い。
憂いを帯びた表情でヨーロッパの曇天を眺める彼女はまだまだ多くの人の心を掴めるはずだ。
「紙の本ではこんな帯真っ先に捨てよう…」
そう、本来なら俺はこんな小さな8インチのタブレットでなんて彼女を見たくない。B4サイズの大型写真集はとっくに予約してもう家に届いているはずだ。
その発売の3日前に俺は運悪く、勤務先の工場で積載パレットの下敷きになった。右手、右足の骨折、全治3週間。
利き手を使えない生活は病院の中とはいえ、それなりにストレスがかかった。とりわけ辛いことがひとつ。
右手でなければマスがかけない。
不思議なことにいくら左手で処理しようとしても違和感を感じるだけで無理だった。そうして俺のイキリたったアソコは女神の裸身を前に未だその欲望を果たせないでいる。
彼女が、アキ姉ちゃんが俺の人生から姿を消したのは俺が7歳のとき、小1の夏だった。彼女の知らぬ間に友達が応募したタレントオーディションで見事に合格、そのまま養成所に通うため、彼女は事務所の提携高校での寮生活を始めたのだ。
さよならは言ってくれたと思う。しかしショックでほとんどボンヤリとした記憶しかない。毎日の生活の中から突然アキ姉ちゃんがいなくなる。不意に訪れたそんな環境の変化を小学生の俺の脳は理解できなかった。
数年後、俺は彼女と再会した。テレビのモニター越しに。
名前は少し変わっていたが、間違いなくそれはアキ姉ちゃんだった。派手な衣装とメイクには少し違和感を感じたが、その明るくて、優しい笑顔はまったく変わってはいなかった。ミニスカートからスラリと伸びた長い脚が華麗にステップを踏む。誰もがその可憐な姿に見とれている。俺はそんな彼女と手を繋いだことがある。笑って話したことがある。ふざけて戯れあったこともある。俺は彼女の全てを知っている。短いスカートのさらにその奥も…。
俺は俄然彼女を応援した。しかしそれは俺だけではなかった。スターダムを駆け上がった彼女についたニックネームは、年齢よりも大人びて見えることから「アキ姉」。
瞬く間に彼女は俺の、俺だけのアキ姉ちゃんから、全国お茶の間のアキ姉ちゃんになっていった。
彼女の幼なじみだったことがクラスの奴に知れると俺までちょっとした学校の人気者になる。
しかし小学校では羨ましがってくる生徒の大半は女子だった。彼女はアイドル、小学生の憧れの的だったのだ。
俺が自分の生まれの幸運さに改めて気付くのは、中学生になり、思春期をむかえたあたりからだ。
林明穂は22歳になり、そのキャリアにさらに磨きをかけていた。アイドルイメージからの脱却を難なくこなした彼女は、演技派の女優に成長し、ドラマ、映画と主演作でヒットを連発していた。俺は彼女のものなら小遣いの許す限りなんでも買い漁っていた。ポスターやグッズ、シングルにアルバム、なかでも写真集が特にお気に入りだった。スレンダーだがグラマーでもあるその肢体をつつむビキニの水着、妖艶なドレスの大きく開いた胸元、かと思えば清楚可憐な制服のスカートの奥、みんなが見たがっているその少し先を、想像でもなく、妄想でもなく、過去の実体験で俺は覗くことが出来る。俺は毎日毎日林明穂で自慰行為を繰り返した。
「え、オマエ林明穂と一緒に風呂入ったことあるってマジ?」
あぁ、マジだ。羨ましいだろ。心の中だけでそう呟き、これ以上ない優越感に浸りながら、外面は照れたように笑うだけ。
「ちょ、どんなだったか教えろよ〜」懇願する友人を前に俺の頭の中には、なんの警戒心もなく、俺の頭を洗ってくれる素っ裸のアキ姉ちゃんが浮かんでいる。
「ガキの頃だよ。もう覚えてないって。」
ウソだ。大嘘だ。今でも俺の脳細胞はなんならその思い出のHD化に努めているくらいなのだから。
一度だけ俺は実際のアキ姉ちゃんと再会したことがあった。それはテレビのバラエティ番組でのことだ。内容はホントよくあるヤツ、懐かしいあの人とご対面とかなんとかそういうヤツ。てっきり俺はああいうものには台本があり、なんなら事前に控え室でアキ姉ちゃんに会えるのだと思っていた。しかしそんなことはなく、俺はスタジオセットのカーテンの前に立たされた。その向こうにアキ姉ちゃんがいる。
司会のコメディアンが大げさに叫ぶ。
「なんと!その人は林明穂さんと一緒にお風呂に入ったこともあります!」
会場やひな壇に座るタレントがどよめく。
「え〜、誰だろう?」
アキ姉ちゃんの声だけが聞こえる。
そんなに迷うほど彼女はいろんな男と一緒に汗を流したのだろうか?いま彼女の頭の中に浮かんでいるのは一体誰なのだろう?
「う〜ん…お父さん?」
「残念、違いま〜す!」
「え〜っ、じゃあ誰だろ〜?」
おい、こういうのには台本があるんだろ?それとも本当に知らないのか?もし彼女の頭の中に俺の記憶が欠片もなかったら?もうこのままカーテンの向こうのアキ姉ちゃんには永遠に会えないのではないか?と俺は不安になった。
司会者が続ける。
「じゃあ小さい頃飼ってた犬の名前は覚えてる?」
「えっ、は、はい。ミルク?」
「そう、そのミルクと毎日散歩したねぇ。『誰か』と一緒に。」
「あ!え〜、ウソぉ…」
「その方とは一緒にお風呂に入ったことはありますか?」
「あります。あります。毎日入ってた!」
また会場がどよめく。
司会者が一層声を大きく尋ねた。
「はい!ではその方のお名前は?!」
何年かぶりに俺は自分の名前を彼女の口から聞いた。
「トシくん!おとなりさんの田村俊和くん!」
「正解〜!!」
と同時にカーテンが開いた。
拍手と歓声、いろんな人の顔、顔、顔。その全ての視線が俺に注がれるなか、俺の目だけが彼女を探していた。いた!アキ姉ちゃん!彼女は両手で口をふさぎ、大きな瞳をさらに丸めていたが、物怖じする俺の元へすぐに駆け寄って来てくれた。あのなにも変わらない笑顔で。
「トシくん!トシくんなの?大きくなっちゃって〜!」
はしゃぎながら、彼女は両の手で俺の手を握った。
なぜだろう?ずっと会いたかった人を目の前にして、俺は何も喋れず、引きつった笑いを浮かべるだけだった。彼女は彼女のまま大人になっていた。
俺はどうだ?いびつに伸びた身長はいつの間にか彼女を追い越し、ニキビと脂汗に汚れた顔はあどけなさの欠片も残しちゃいない。まるで醜く歪んだ怪物。そんな笑顔で語りかけないで。その綺麗な手でこんな手を握っちゃいけない。この手で僕は毎夜毎夜アナタを夢想し、射精を繰り返してるんだよ。そんな瞳で見つめないで。今だって、僕の脳は裸の貴方の像を目の前の貴方に重ね合わそうとしてる。
番組収録後も彼女は声を掛けてきてくれた。
「ゴメンね。ゆっくり話す時間もなくて。また実家に帰ったときにご飯でも食べようよ!」
その笑顔は僕の幼なじみのアキ姉ちゃんそっくりだった。だったけど今目の前にいる大人気の女優さんはとても忙しいらしい。後ろからマネージャーに急かされた彼女は「今行くってば!」と急にTVの中の顔になった。去っていくときも彼女は振り返って「じゃあね、またね!」と手を振ってくれたが、なんだかもうそれは芸能人のリップサービスみたいだった。いや、みたいだというより実際そうなのだろう。
そうして僕は何一つまともな会話も出来ぬまま、彼女はまた僕が住む世界とは別の世界へと戻っていった。
それから丁度1年、林明穂にとって、いや俺にとっても重大なある事件が起こる。都内のホテルで50代男性が変死した。一緒にいたのは彼女だった。後の警察の発表でこの件には事件性はなく、彼女には重いお咎めもなかったのだが、男性の死因は心臓発作、皆のイメージするところは同じだろう。
死亡した男性は彼女とタッグを組み、ヒット作を連発していた映画監督の川元将彦。彼女との噂が全くなかったわけではないが、ゆうに20歳は離れた年齢と妻子持ちということから、情報筋にも足が付いてはいなかったようだ。
マスコミはこの格好のゴシップを連日連夜騒ぎたてた。
彼女のクリーンなイメージは一夜にして地に堕ち、憔悴しきった姿で望んだ会見にも、テレビ、雑誌、ネットとあらゆるメディアが容赦のない誹謗と中傷を浴びせた。
なぜだ!あれほどみんなアキ姉ちゃんが大好きだったじゃないか!
それからしばらく林明穂は表舞台から姿を消した。海外で療養しているだの、いや都内にいるだの、事務所を自ら辞めたやら、解雇されたやら…いろんな噂が芸能ニュースを騒がせたが確たる証拠はどこにもなかった。
ネタに飢えたマスコミはアキ姉ちゃんの実家にも押しかけ、俺は何度か奴等を追い払うのを手伝ったこともあった。
「トシくんゴメンね。迷惑かけちゃって。」
「いいよ、オバさん。それよりお姉ちゃん…本当に大丈夫なの?」
「ああ、一度心配するなって電話をよこしてきただけだよ。記者さんに来られたってねぇ…こっちがどこにいるか聞きたいくらいだよ…」
アキ姉ちゃんが…いや、林明穂が行方をくらませてから約1年…。俺は高校を卒業し、地元の町工場で働きはじめていた。それはいつも通りの昼休憩のときだった。
休憩所にあった新聞を何気に同僚が広げ、目に入った広告を見てこう言った。
「マジかよ!ヘアヌードだってさ!俺この子ファンだったんだよなぁ」
もう一人の同僚もその記事を覗き込む。
「へぇ〜可愛い子じゃん。誰?」
「は?先輩林明穂知らないんすか?!すんげぇ有名っすよ!それにたしか実家この辺っすよ!」
俺は話にも加わらず、努めて冷静に弁当を食べていたが、胸の鼓動は異常なほどに速くなっていた。
「ほらあの、映画監督と浮気してたらそいつ腹上死させちゃった事件知りません?」
「あぁー、それはなんとなく知ってるわ。あの子かぁ。」
「けっこうオッパイでっけぇなぁ。こいつとHしながら死ねるんなら後悔ねぇわぁ。」
仕事が終わると同時に俺は本屋に走った。週刊誌には「伝説のアイドルが昇る大人の階段、林明穂28歳、衝撃のヘアヌード!ついに解禁」の文字と先行公開された何枚かのカットが掲載されていた。乳首だけを隠したようなきわどいカットに興奮しながらも、俺はどこか複雑な心境だった。いよいよ俺だけしか知らないアキ姉ちゃんの裸をみんなが知ることになる。俺が保てていた優越感や、彼女との特別なつながりが全て消えてしまう気がした。まぁでも、隠居してしまうでも、雲隠れしてしまうでもなく、こんな形であれ彼女はまだ芸能人として活動してくれていたのだ。それは素直に喜ぶべきじゃないのか。
そうして彼女の写真集を待ちわびる日々の中、俺は勤務中に事故にあった。