それは、一瞬の出来事だった。 二機のティルトローター機が飛来したミサイルによって次々と撃墜されて、雑木林へと墜ちていった。 「……だから、忠告しましたのにねぇ」 その声に振り向けば、木々の間から黒づくめの兵士たちが出現してきた。闇夜に紛れた彼らからは全くと言っていいほど気配を感じさせない。 そして、無駄のない動きは高度に訓練を受けた人間によるものだった。 マスクと暗視ゴーグルで顔も覆われ、素肌をまったく見せていない。一糸乱れぬ統一された集団の動きから、本当に人であるかも疑わしくなってしまう。 その中からひときわ細身な一人が歩め出ると、ヘルメットを脱ぎ、ゴーグルとマスクを外していく。 素顔をあらわし、濡れたような艷やかな黒髪を靡かせて、燃え盛る炎を背後にして悠然と立つのは、俺がよく知る女性だった。 「ーーナナさんッ」 驚く俺に目を細めて、彼女は兵士たちを引き連れて歩み寄ってくる。 その見事なモンロー・ウォークに、無骨な戦闘服姿も途端に艶やかなファッションのように見えるから不思議だ。 華がある女性は何を着ても似合うのだと、改めて思い知った。 「……ナナさん……だよね?」 俺が戸惑うには彼女が発する気配が、今までとはまるで違うからだ。 どこか怠惰さを感じさせた彼女の挙動は、一つ一つが男の欲情を実にそそるものだった。知らぬ間に視線は彼女を追い、この手に抱きしめたいと思わせてくるのだ。 妖艶という言葉の本当の意味を彼女で知った俺だった。 だが、今、目の前に立つ彼女からは真逆の印象をうける。どこか野性味を感じさせる活力で満ち溢れているのをヒシヒシと感じる。 猫科の動物で例えるなら、優雅なペットであるペルシャ猫がたくましい黒豹に化けたほどの違いだ。 迂闊に手を伸ばせば、肩ごともぎ取られると思わせる殺気をビリビリと感じさせられる。 そのあまりの変化に戸惑うが故に、先ほどの言葉が自然と口から出てしまったのだ。 だからだろう、彼女が以前と同じように妖艶な笑みを浮かべてみせるとホッとしてしまっていた。 「えぇ、変わらず、そう呼んでいただけると嬉しいですわ」 ニッコリと微笑むナナさんは、その視線を俺が庇っていた玲央奈へと向けた。周囲を炎で囲まれているというのに、その瞬間だけゾクリと寒気を感じさせられる。 「……ナナさん?」 「あら、嫌ですわ。主を危険にさらす奴隷の姿に、ついイラってしてしまいましたわ」 「いや、玲央奈は……」 「えぇ、えぇ、わかってますわ。脱出するまでの一時の共闘……ですわよね」 俺の言わんこと理解していると、大いに頷いてみせるナナさんだが、その言葉には妙にトゲを感じてしまう。 「それなら、なんの問題はありませんわ」 殺気をおさめて、再び笑顔を向けてきた彼女は、そのまま悪徳令嬢ばりに手の甲を口に寄せて高笑いをしてみせる。 出会ったときの秘書のような佇まいといい、彼女の変幻自在さには圧倒されてしまう。それ故に、どれが本当の彼女なのかと、ふと好奇心が湧いてしまう俺だった。 だが、今はそんな疑問を解消している暇はなさそうだ。滞空するティルトローター機の上げる強風で遠退いていた炎が、撃墜されたことで勢いをぶり返していた。 機体の燃料や弾薬に引火したのだろ。大きな爆炎が上げる。すでに周囲の雑木林は完全に燃え上がり、芝生を敷き詰めたゴルフコースは火の海だ。 もはや燃えていないのは地面がコンクリートで覆われたヘリポートとクラブハウスの周辺だけだ。 その正面に見えているクラブハウスも熱気で窓ガラスが砕けて、内部から炎を噴き出している状態で、燃え落ちるのも時間の問題だろう。 そのクラブハウスを背にして立ってみせる紫堂は、半包囲した兵士らによって銃口を向けられていた。 レーザーポインターの赤い光点が、彼の額と胸にピタリと止まる。 今度は銃口を向けるのは素人の俺ではなく、訓練された人間だ。少しでも不審な動きをすれば、即座に蜂の巣にされるだろう。 そんな状況であるのに、紫堂の顔には笑顔が浮かんでいた。 「あははッ、いいねぇ、実にいいよ。はやり、ゲームをするには、こうした先の読めなさは重要だな」 楽しくてたまらないといった様子で、その姿はまるで大きな子供だ。 この期に及んで、この男はまだゲーム感覚でいるのがわかる。 (なんなんだ、この人は……頭のネジが外れているといえば簡単だが、それにしても状況を逸している) 狂人らしからぬ澄んだ目をして、彼は俺をジッと見つめてくる。その瞳を前にすると、俺は彼を切り捨ることができなくなるのだった。 「あぁ、ナナの登場がルーキーの策でないのは理解しているよ。それでも、有利な状況を引き寄せるモノを持っていると、改めてにキミに期待してるんだよ」 そういうと右手を上着の懐に入れる紫堂だが、その行動に周囲の兵士らはビクッと反応して、今にも引き金を引いてしまいそうだ。 だが、当の紫堂は気にした様子もなく光沢を放つ銀のシガレットケースを取り出してみせると、中の細巻きの葉巻を手にして優雅に咥えてみせる。 悠々と火をつけて、美味そうに煙を吐き出す。その行動は、周囲の兵士らが自分を撃たないとわかっているかのようだ。 (いや、確信してるんだな……暗殺するなら、最初の狙撃で出来たはずだ) 最初の狙撃で、俺に向けられた銃が弾き飛ばされている。仮に彼を殺すなら、あの時点で当てるの早い。わざわざ当てるのが難しい銃を標的にするのではなく、彼の身体なり手足を撃って無力化する方が有効だろう。 ーーそのことから、兵士らは無堂を極力、無傷で捕えようとしている…… そこまで考えが及んだ俺に、紫堂は葉巻を咥えたままニッと歯を見せて笑ってみせる。 「そう、すべて運任せではなく、状況を読んで有利な方へと引き込む……それだけで、勝率は随分と違ってくるもんだよ」 葉巻の煙を頭上へと吹き出しながら、紫堂は悠長に語ってみせる。 その相手の都合を見透かしたような、余裕に満ちた態度にカチンときたのだろう。まるで精巧に作られたロボットのように気配を感じさせなかった黒尽くめの兵士らから、はじめて苛立ちの気配を感じさせられる。 「拘束しろッ、抵抗するなら手足に弾をブチ込んでもかまわん」 指揮官なのだろう。素顔を隠すマスクの下から、低く押し殺した声が聴こえる。聴こえたのは日本語だったが、わずかにイントネーションに違和感を感じられた。 (どうやら日本人ではないようだな……) 周囲では炎の勢いは増すばかりで、時間が経過するほど脱出するのが困難になっていく。 複数の銃口を向けられる中、二人の兵士が紫堂を捕えようとにじり寄っていった。 それに対して彼の方は逃げも隠れもせずに、ただ葉巻を咥えながら天を仰いでいるだけだ。 (……なんだろうな、この違和感は……) 彼の視線を追うように頭上を見上げてみる。立ち上る黒煙の隙間からわずかに夜空が見えていた。 低いとはいえゴルフ場があるのが山の上だからか、街でみるより星の数が多く感じられる。その星々が時々、瞬いているのに気付いた。 (……なんだ?) それが、なにかの影によって星が隠れているために起きている現象だと、気付くのに少し時間がかかった。 目を凝らしてみれば、黒く塗られた小さな機体が遥か上空を飛行しているようなのだ。 ーーゾワッ…… その時だ。背後から感じた気配に全身から冷や汗が吹き出した。 今夜だけで何度も味わった感覚だ。支配人との対峙、水槽での杏子さんとの対面、そして、先ほどのナナさんが垣間見せた苛立ち。殺気が人に影響を及ぼすのを身を持って体験していた俺だったが、そのいずれよりも強烈なモノを受けたのだ。 一瞬、自分の首が胴体と離れる幻覚を見させられて、死を感じたほどで、いまだに心臓はバクバクと脈打ち、頭からバケツの水を被ったかのように汗で濡れている。 ーージャリッ…… いつの間にか背後に人が立っていた。気配を感じさせぬ紅いコートを着た黒髪の女がいた。 炎が起こす上昇気流に長い黒髪を靡かせて、前髪 に隠れていた眼帯が露わになっている。 殺気に当てられて身じろぎもできない俺の横を、女は悠然と歩いていくのを息を殺して見届ける。 その両手には、黒い塊がそれぞれ掴まれているのだが、同じく動けずに地面に座り込んだままの玲央奈が、それを間近で見てしまう。 「ーーヒッ」 彼女が息を呑むのも道理だ。物体の正体は、黒尽くめの兵士らの頭部だったからだ。 捩じ切られた首から血を滴り、雑木林からこの場までポツポツと血痕を残している。 恐らく周囲を警戒するために背後に配置されていた兵士らだろう。だが、銃声はおろか声すら聴こえはしなかった。 ならば、この女は高度に訓練された兵士ふたりに物音も立てさせずに瞬殺してみせたことになる。 (……あの女だッ。地上に出たときに杏子さんと対峙してみせた女だ……) 驚異的な身体能力を持つ杏子さんと互角に渡り合ってみせていたのを思い出す。 人の首を素手で捩じ切ってみせたのなら、もはや全身が凶器だろう。だが、わずかだが杏子さんと行動を一緒にしていた俺は、ふたりに違いを感じていた。 (すれ違う時に、微かに聴こえたのは機械の稼働音だよな……) 歩むたびに聴こえるモーターのような男が聞き取れる。詳細はわからないが杏子さんとは違い、驚異的な身体能力の秘密は機械的な仕掛けにあるように感じる。 その女が振り返ったナナさんと相対していた。彼女は俺のように動けなくはなってはいなかったが、その表情から柔和な笑顔が消えている。 「……ナナか」 「やっぱり、生きてたのね、スー……墜落した時に機体と一緒に爆散してくれれば良かったのに」 手にした自動小銃を向けるよりも、スーと呼ばれた紅いコートの女が銃身を握る方が早かった。 それがまるで飴細工のようにグニャリと曲げられるのに目を丸くする。 「……止めておけ……」 「あ、相変わらず、デタラメなスーツね」 「……性能を知っているなら無駄なことはするな。殺せとは命令されてはいないが、銃口を向ける者は殺す」 ナナさんは銃身を握りしめた手を振り解こうとしているようだが、銃はまるで空中に固定されたかのようにピクリとも動かない。 女性としては大柄とはいえ、ナナさんとの体格差を考えれば驚異的な身体能力だろう。 先ほど聞き取った駆動音といい、ナナさんが口にしたスーツという単語から、やはりコートの下に何かしらの装置を身につけているようだ。 「ぐ、紅蓮……」 「ま、待ってッ、銃を下ろしなさいッ」 二人の問答で周囲にいた兵士らも、ようやく女の存在に気付いたようだ。 一斉に銃を向けてくると、ナナさんの静止も聞かずに銃口から火を吹いた。 即座にナナさんは同士討ちを避けるために地面に 伏せ、俺も玲央奈を守るように覆い被さる。 そこからは、ホールでの杏子さんの活躍の再生だ。違うのは、その血生臭さだろう。 女の拳が顔面にめり込めば、ハンマーで殴られたように鼻から陥没して眼球が飛び出し、振り下ろされた踵を脳天に喰らえば、屈強な兵士の身長が半分になるのだ。 銃口を向けた順からキッチリと相手の息の根を止めていく。淡々と言い放ったセリフを有言実行していくさまは、まるでロボットだ。 表情ひとつ変えずに人を肉塊へと変えていく女に比べれば、黒尽くめの兵士らのなんと人間らしいことか。 トラウマ級の無慈悲な殺戮の数々を玲央奈に見せないようにしながら、俺もただ呆然としていた。 「さっきも思ったけど、以前のアンタは、もう少し嬉々として人を殺してたわよね」 「……邪魔をするな」 悲鳴を上げて倒れ込んだ兵士へとトドメを誘うとするスー。その拳を軍用車両から飛び出してきた杏子さんが受け止めていた。 「まぁ、この兵士らには、さっき助けられた恩があるしね。それに、時間を稼ぐぐらいならね……いくらアンタでも、物量には敵わないでしょう?」 バタバタと空気を叩くローター音が遠くから聴こえてきた。複数のヘリコプター、それも軍用のものが近づいているようだ。 そこからのスーの見切りは早かった。杏子さんの手を振りほどくと、すぐさま兵士らに間を駆け抜けて紫堂の元へと向かったのだ。 そのまま紫堂を取り押さえようと近づいていた二人の兵士を薙ぎ倒して、主の前に跪いてみせる。 まるで忠義をみせる騎士のごとく、彼にひれ伏してみせているのだが、そこに陶酔の気配は感じられない。 感情が露わにしなかったシオさんですらも、ご主人さまである支配人や紫堂を前にすると瞳には感情が浮き上がったものだ。 だが、スーと呼ばれる紅いコートの女の瞳は、まるでガラス玉のように感情が浮いてこない。まるで精巧に作られた人形のように淡々としているのだ。 そうしている間に、残っていた兵士らが体制を立て直して紫堂らに再び銃を向ける。 そのさなか、上空には到着した四機の軍用ヘリがサーチライトを向けてくる。 紫堂らをライトで照らす一方で、垂らされたロープを伝い次々と兵士らが降りてきた。 今度の兵士らは森林迷彩を施した装備で、顔も隠さずにいるので、その多くが白い肌と碧い瞳であるのがわかった。 「流石に、これで幕引きのようだな」 吸い終えた葉巻を投げ捨てながら、紫堂が俺の方へと顔を向けて言い放つ。 その彼からは諦めを感じられず、嫌な予感がしてしまうのだが、彼はかまわず言葉を続ける。 「残念だが、ゲームは仕切り直しにしようか。ただ、お詫びといってなんだが、アレが求めていた冬月 蛍は返すよ。まだ、息はあるから、早く病院に連れていった方が良いな」 「な、なにを言って……」 薄笑いを浮かべる紫堂を、サーチライトの光から隠すように大きな影が立ちふさがる。 狗面の大男だ。その身体には、いまだに全裸の涼子さんが鎖で括りつけられたままだった。 慌ててナナさんが発砲しないように周囲の兵士らに英語で指示をだす。その間にも、紫堂は後退をはじめていた。 その背後には全焼しているクラブハウスが行く手を塞いでいるのだが、すでに退路は絶たれているはずなのに、紫堂らが歩みを止める気配はない。 「な、なにを考えているんだッ」 「なーに、ちょっとした運試しさ。だが、ここで少し自分の強運を試してみようか……うん、このコインの表が出たら、素直に投降することにしようか」 紫堂は懐から取り出した古びた金貨を見せつけると、それを指で弾いてみせる。 炎をバックに煌めく金貨は、上空へと舞い上がると、今度はゆっくりと降下してくる。 そのまま、綺麗に彼の手の甲へと収まってみせるのだが、その結果を確認して面を上げた紫堂は満面の笑みを浮かべていた。 「やはり、面白い方を行くべきなようだね」 「いやいや、待てよ……そんな、馬鹿なこと……や、やめろッ」 彼がしようとすることに気付き、慌てて駆け寄ろうとした俺だったが、脚がもつれて地面に突っ伏してしまう。 ヌルリとした感触を指先に感じた。紫堂との銃の撃ち合いで受けた傷からの出血が止まっていないのだ。 おかげで駆け寄りたい意思に反して肉体は突っ伏したままだ。 「クソッ、動けよッ」 「ご主人さまッ」 動けずにいる俺を玲央奈が慌てて抱き起こしてくれる。だが、俺の視線は紫堂、そして彼と一緒にいる涼子さんへと向けられたままだ。 大男の身体に四肢を括りつけられた彼女は、拘束された裸体を揺らし、噛まされた口枷の下で、なにかを必死に叫んでいた。 だが、それは意味のない呻きとなって虚しく夜空に響くだけだ。 涙を流す彼女をそのまま伴って紫堂らは、燃え盛るクラブハウスの中へと歩んでいく。 「ま、まてよッ、勝負はまだ……あぁ、涼子さんを連れていかないでくれ……」 動かぬ身体を必死によじり、這ってでも前に進みたかった。 だが、もはや指先すらろくに動かせず、叫んだつもりの言葉も声になってはいない。 「まって……くれ……」 「あぁ、ご、ご主人さまッ、しっかりしてッ」 泣き叫ぶ玲央奈の声が聴こえていたが、それも次第に聴こえなくなった。 それでも目だけは、炎の中へと消えていく涼子さんの姿を追っていた。 だが、それも崩れ落ちる瓦礫によってかき消され、俺の意識もすぐに闇へと落ちていくのだった。
くすお
2023-12-24 13:14:07 +0000 UTC久遠 真人
2023-12-24 12:49:47 +0000 UTC大笑的猴子
2023-12-24 12:39:52 +0000 UTC