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10万フォロワーまでを全部振り返る#6

26歳後半。

特に何のアテもなかったんだけど、田舎が嫌すぎて東京に出てきました。

田舎でなければどこでも良いと思っていたので、大阪でも京都でも名古屋でもどこでも良かったのですが、縁があったのは8番のテレビ局でした。


当時の僕は「美術」という言葉にアレルギーがあるような状態になっていて、

配属されたのは「美術制作局」という部署だったのですが、その時点ですごく嫌でした。

普通に考えてキー局だったら多摩美と同じようなレベルの人がウヨウヨいるのだろうなと思っていて、勝てないと思いながらもまたこの「美術」の世界に帰ってきたのだという絶望もありました。


それでも「美術」の世界で負ける絶望と、田舎のじっとりした虚無を天秤にかけたとき、田舎の虚無の方が遥かに嫌なことでした。


決してポジティブな気持ちではないのですが、家に帰ると彼女がいて、彼女と一緒に住めることが心の支えで、そこに縋るような気持ちで上京してきました。


彼女は4年間の遠距離恋愛の間に精神を病んでいました。

会社で上司と上手くいかず、家に帰ってきても決してまともとは言えない母親に色々なことを言われ、会社にほとんど行けなくなっていました。

僕たちは結局どこにも居場所がなく、2人だけがお互いの理解者でした。


僕さえ働けていれば家賃を払えるような、安くて汚くて、隣に変な独身おじさんが住んでいるアパートを借りました。



最初は研修から始まりました。

父親の会社で仕事を教わったときは社長の息子ということで誰も教えたがらず、

いきなり会社のNo.2が出てきてパワハラをふんだんに散りばめながら教えてくれたのですが、

普通に現場に出ている普通のおじさんが優しく教えてくれました。

僕より1ヶ月前に入社した先輩と一緒に研修を受けました。


「わからない場所があったら聞いて」と言われました。

わからない場所を聞いて教えてくれた経験が「美術」ではなかったので、

恐る恐る「こういう発注のときにどちらに解釈すればいいのか悩む」ということを聞いてみました。

研修をしてくれるおじさんは「あぁ〜!それはね!」と普通に教えてくれました。


教えてもらえる場所があるのか、と驚きました。



業務内容は別に複雑ではありませんでした。

研修通りに、言われた通りに、書かれている通りに作るとテレビで放送出来るものになります。

フリップとか、マルチとか、似顔絵とか、イラストとか、所詮その程度です。

研修は1ヶ月くらいあったと思うのですが、1週間で覚えてしまったので、お台場で美味しいお店を教えてもらって食べに行ったり、帰りにラーメンを食べたり、TV局の社員食堂でご飯を食べたりしていました。


初めて入るテレビ局は楽しくて、芸能人が歩いていることが新鮮でした。

色んなスタジオをこっそり見に行ったり、入ってはいけないフロアに間違って(というテイで)入ったりしました。


研修でもらったお題が早々に終わってしまったので、退勤時間まで暇で

怒られるかもしれないけど、何となく会社のPCに入っているPhotoshopで絵を描いていました。

先輩がそれを横から見て、「勉強してるの偉いね」と言ってくれました。

長い田舎生活ですっかり「絵を描くことは悪いこと」という認識になっていたので、

絵を描いて褒められたことに驚きました。



研修が終わって配属がNONSTOPというバナナマン設楽さんの番組に決まりました。

色んなニュースや、グルメや、プチお得情報や、主婦の愚痴がメインのワイドショーです。


NONSTOPチームの人に挨拶をして、来週から入りますよろしくお願いします。というようなことを言いました。

NONSTOPチームは若い同世代の男2人で、僕を入れて3人に増員するようでした。

1人は性格的にもすごく合いそうで、もう1人はやっていけなくもないかな?というのが正直な印象でした。


僕より1ヶ月先に入社した先輩はまだ研修をしていました。



27歳。

本格的にNONSTOPで働き始めました。

最初のうちはわからないこともあったのですが、聞いたらすぐに教えてくれました。


帰りに先輩とラーメンを食べに行ったり、いきなりステーキに行ったりしました。

長い電車通勤のお供でもあるパズドラの話とか、モンストの話とか、シャドバの話をしました。

映画を一緒に見に行ったりもしました。


たまに似顔絵やイラストを描く仕事があることが楽しみでした。

納品した後はTVの前で待機して、本当に自分の絵がキー局で流れていることが嬉しく思いました。

イラストの仕事があるときは率先して手をあげました。


テレビに自分が描いたイラストが映ることが嬉しくて、この鶏のように過剰に頑張ってイラストを描くとTV内で設楽さんが「すごい絵だなコレ」というような反応をしてくれました。


例年、年の瀬になると干支を描かされることが多そうだぞ?と過去のデータを見て思っていたので、会社の帰りに上野動物園に寄って鶏を観察して描きました。


どんどん手を上げて、どんどん描いていました。

「美術」でも意外とやっていけるんじゃないか。

僕の絵はキー局でも通用しているんじゃないか。と思いました。


テレビ局の仕事は夜0時出社で、昼11時半退社でした。

スケジュールだけがすごくハードだったのですが、朝5時には作るべきものは作り終えていることが多く、暇な時間は何か適当な落書きをし始めました。

同僚の似顔絵を描いてみたり、自分の自画像を描いてみたり。


とくダネ!チームも同じ部屋で働いていて、絵を見て感想をくれました。

久しぶりに絵を描くことが楽しいと思いました。



あるとき、NONSTOPで発生しているイラスト仕事はほとんど自分が描いていることに気がつきました。


僕は先輩たちがどんな絵を描くのか気になり、作品を見せてくれないか?とお願いしました。



申し訳ないのですが、先輩たちの絵は別に上手くありませんでした。

僕は会社の中で特別絵が上手い新人で、面倒なイラスト仕事を引き受けてくれる優秀な新人だったようです。

強いて言えば、求められるクオリティ以上のものを勝手に時間をかけて描くめんどくさい人になっていました。


会社の中で他に絵が上手い人はいるのか?と聞いてみると

他の部署の⚪︎⚪︎さんがジャンプ作家の元アシスタントで上手いと言われました。

その人のところに絵を見に行ったのですが、別に絵が上手い訳ではありませんでした。



絵が上手いことは生きていくことに必須ではない、と分かっていたつもりでした。

それでもキー局で絵を頑張っていたら、いつか名前が売れて、いつか僕の絵を欲しいと言ってくれる人が出てくるんじゃないかと思っていました。


テレビは絵を見たい人が見るメディアではなく、芸能人を見たい人や情報を得たい人が見るメディアで、

テレビにおける絵は所詮、情報を伝えるための絵文字以上でも以下でもありませんでした。


「ここに長居すると絵描きとしての未来がなくなる」と強い危機感を覚えました。




彼女は会社にまだあまり通えていませんでした。

夜勤なのであまり一緒にいる時間もなく、それでも落ち込んでいる彼女と何かコミュニケーションが取りたくて、彼女にお弁当を作ってもらいました。

今の嫁の料理はめちゃくちゃ美味しいのですが、当時は不味い日も多く、でも毎日全部食べました。

あなたがいることで僕は助かっているということを伝えたかったです。



21時半に起きて一緒に晩御飯を食べて、22時半の電車で出かけていき、

着いたら23時半くらいにお弁当を食べました。

朝方5時くらいに何かコンビニで買ってきたものを食べて、帰ってきて14時くらいに何か外食し、15時にはベッドに入りました。


今思うと僕も過食になっていて、色々なストレスがあったのだと思います。

半年で20kgくらい太りました。

最初は14時に寝れていたのですが、寝る時間は15時になり、16時になり、20時まで寝れない日も多くなってきました。


帰ってきてすぐベッドに入っても22時半の電車に乗れず、遅刻することがだんだん増えてきました。




僕より1ヶ月先に入社して一緒に研修を受けた先輩は、まだ研修をしていました。

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