朝8時は特別な時間だった
Added 2024-12-10 13:18:15 +0000 UTC特に絵の話もない思い出話です。
雑談です。
小倉智昭さんが亡くなった。
僕は子供の頃から朝は何故かとくダネ!を見ていて、25~27歳くらいのときはフジテレビで働いていた。
フジテレビでメインで入っていた番組はノンストップだったのだが、とくダネ!もヤバそうなときはよく手伝っていた。
当たり前に放送されている情報番組の裏側はすごく熾烈で、当日0時の時点でようやく放送されるものが決まる。
ADや担当曜日のディレクターは徹夜がマストで、小倉さんがフジテレビに来る朝4時半までは怒号が飛び交う戦場だった。
小倉さんのマネージャーは身長が190cmの巨漢のハゲで、遠くから見てもすぐに分かる。
マネージャーさんが見えたら「あぁ、今日もここからが本番だな」と気が引き締まる独特の空気があった。
朝5時くらいになると小倉さんとの打ち合わせが終わった笠井さんがCGルーム(僕が働いてたとこ)にやってきて、フリップに載っている文言を1文字単位で調整する。
小倉さんは毎日スタジオがある側のビルではなく、スタッフルームがある側のビルに来て打ち合わせをしていた。
僕が知る限り、スタッフ側のビルにまで毎日やってくる人は小倉さんだけだった。
「ここは僕が番組内で発言出来るのでこの文言を削って欲しい」など、事前に聞いたときは説明不足なんじゃないか?と思ったりもしたんだけど、番組内で小倉さんと笠井さんのラリーで見事に補填されて情報が伝わったときは感動した。
番組が終わった後の反省会にも小倉さんはほとんど出席していた。
僕が働いていた時期は番組開始から20年くらい経っていたはずで、ある意味安定した番組になっていて特に変化を求められている訳ではなかったんだけど、
小倉さんは毎日「この伝え方はもっと他にあった気がする」とか、「北海道の視聴率が悪いのは何故だろう」とか、色んな疑問をスタッフに投げかけていた。
20年間毎日これをやったんだな、と本当に素直に尊敬していた。
ノンストップの設楽さんは良くも悪くも数ある冠番組の中の1つで、内容に口を出さないのでかなりスタッフとしては「やりやすい」人だったのだが、小倉さんはスタッフ側からすると「やりにくい」人だったと思う。
内容に口も出すけど、伝え方は優しくて的を得ていた。
個人的な印象だけど小倉さんは別に超人ではなく、普通のおじいちゃんだった。
何か包み込むような優しいオーラをずっと纏っていて、それでいて中心はやる気が燃えているのをみんな感じていたと思う。
普通のおじいちゃんが誰より本気で視聴率を取りに行くので、みんなそれに充てられてやる気を出さざるを得ないような感じで頑張っていた。
とくダネ!のスタッフはみんなやる気がすごかった。
20年続く帯番組になったのは、小倉さんの研鑽でしかないと思う。
僕は下っ端の1スタッフでしかなかったけど、そんな僕にも小倉さんの「この番組に骨を埋める」覚悟はバチバチに伝わってきた。
テレビ側に骨を埋めてもらう器があった最後の番組だったかもしれない。
1回だけ、小倉さんに絵を誉めてもらった。
確か何かのVTRの中に入れたベンツのゲレンデバーゲンを描いたときだったと思う。
「この絵いい絵だったね。」
ボソッと言ってくれた。ビックリして何も言えなかったけど。
小倉さんの誉め言葉は僕にとってすごく貴重で、心の中に大事に大事に取っておいてある。
多分ずっと覚えてる。
小倉さんを見て、エンタメに本気で取り組む姿勢を学んだ。
僕だけでなく、とくダネ!スタッフはみんなそうだったと思う。
小倉さんが言うなら間に合うかどうか分からないギリギリの発注も全部受けた。
特に話したこともなく、僕から見るとすごく遠い存在だったけど、
小倉さんの下で働けた少しの期間は僕の人生にとってすごく大切な宝物です。
今思うと楽しかったです。
エンタメのなんたるか、情報の伝え方のなんたるかを教えてくださって本当にありがとうございました。
将来、小倉さんみたいなおじいちゃんになりたいなと思ってます。