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果てしなく遠い“あっち側”

僕は5年くらい前まで本当に何の実績もないただの絵を描いている人だった。

TV局の仕事はしていて、何の縁か水曜日のダウンタウンで描いた絵が流れたり、

ノンストップで毎日エンドフリップを描いていたりしたことはある。

でもこれらは異常な短納期に対応していただけで、技術というより寿命を差し出して得た仕事だったように思う。

(10月30日22時に発注されて10月31日3時に納品して10時からのオンエアで流れるような異常さの短納期)



何回も言うけど、Twitterで何の反応もないのが辛かった。

その頃に思っていたことを今になって、ようやく克服出来ているような気がする。

当時の僕は「よく描けてる絵」とは言われるけど「良い絵」と言われないことに悩んでいた。

絵を鑑賞したときの感想で出てくる「よく描けてる絵」と「良い絵」、そして更に進んで「好きな絵」にはそれぞれとてつもない壁がある。


当時の僕から見て「良い絵」だと思っていたものを描いている人の配信や動画はすごく張り付いていっぱい見た。

みんな色々なものを簡単そうにスラスラ描き分ける。

どうやったら“あっち側”の絵が描けるのかと本当に悩んだ。


思い返すと大学生の頃もそうやってとんでもない絵を描く人がいた。

僕は学生の頃に「こいつには勝てねえ」と思った人が2人いるが、今はそれぞれタマビ、東京芸大で教える側になっている。

自分の審美眼の自信にはなったが、生まれながらにして“あっち側”の絵を描ける人種がいる事実には心が折れそうだった。


“あっち側”は超人の巣窟だ。

僕が一生かけても超えられるか分からないハードルを一足飛びに超えていく。

僕はそれに憧れられるほど大人になれない。


WBCの大谷の打撃練習を見ているプロ野球選手はみんな少年のような憧れの視線を大谷に向けていた。

TVやXでは「プロ野球選手を少年にしてしまう大谷のすごさ」という感じで捉えられていた気がしているが、僕にしてみれば現実を受け入れて自分に出来ることをするのは“プロ”の野球選手だなと思った。

自分と大谷を嫉妬せず切り分けられるのは大人だ。


僕が他に“あっち側”なんだろうなと思う人は明石家さんまとか、オードリー春日とか、うんこちゃんとか、尾田栄一郎とかだ。

みんな簡単そうに場を制圧する。



自分が何故“あっち側”じゃないのかを考えてしまう時点で“あっち側”の住人ではない。

“あっち側”の人には負けた経験、もっと言うと信念が折れた経験がない。

“あっち側”の人だけが競技のルールを、世間の常識を書き換える。

“あっち側”の人が通った場所が道になる。

道がない所に道を創ることを、人は偉業と呼ぶ。


妬ましい。


5年前の僕は何でもスラスラ描ければ“あっち側”だと思っていた。

今の僕は概ね何でもスラスラ描けるようになった。

何でもスラスラ描けるようになって「良い絵」は描けるようになった。


けど、まだ“あっち側”ではなかった。



「良い絵」が描けるようになって思うのは、

簡単そうに何かをするのは習熟した技術であるということだ。

練習に基づいたシンプルな練度は素人に簡単だと錯覚させる。

“あっち側”に行けずとも練度は努力で身に着く。

練度以外の指標があるだなんて思ってもみなかった。








能の世界では「シテ」と言われる主演は家系で決まっていて、その他の人がどれだけ頑張ってもなれないのだそうだ。

どこかで聞いたことのある話だ。

能で言う「華」は絵で言えば何なんだろうか。


絵が能じゃなくて良かったと思う反面、諦めさせてくれないのもまた残酷だと思う。

何でみんな“あっち側”と自分を切り分けられるんだろう。


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