ゼロから絵でTwitter(X)を伸ばそうとすると、まず最初にVtuberのファンアートを描くのが基本だと思う。
よほど画力に自信のあるストロングスタイルの絵描きではない限り、
一次創作ではなく二次創作から始めることが多い。
今回はその際に考えるべき「分人主義」という考え方をちょっと解説したい。
普通に呼吸をするように出来る人もいっぱいいると思うので、別に興味がなかったらブラウザバックしてくれ。
ちなみに分人(ぶんじん)と言っても、そんなバカなマンで有名だったYoutuberではない。
(僕は大好きだったんだけど誰も知らんか)
話を戻すのだけど、分人というのは「自分が他人に対してどの側面を見せるか」というものだ。
普通に生活をしていて、例えば学校の先生、友達、両親、に対して対応を変えて生活をすることが多いと思う。
人間には色々な自分の側面があり、どの側面を他人に見せるか都度選んで生活をしていて、1人の人格は複数の分人から成り立っているという考え方だ。
詳しく読みたい人はこの本をオススメしたい。
で、絵の話のハズなのに何故こんな哲学的なことを言い始めたのかと言うと。
ファンアートを描く際に、特にVtuberを描く際に考えるべきことがこの「分人主義」ではないかと最近思うからだ。
僕はVtuberを描くとき、特に最初の方はめちゃくちゃ戸惑った。
当たり前なのだが、今までのアニメやゲームのキャラと違い、彼らは圧倒的に人間だった。
メタ的なことを言うつもりはないが、シチュエーションによって怒り方が違い、笑い方も違う。
彼らの配信は感情を消費するコンテンツで、彼らは喜怒哀楽を伝えるプロだ。
何か一つ出来事があれば、どのくらい怒っているのか、喜怒哀楽の配分はどういう比率なのか、それらをエンターテイメントにしながら誰にでも分かるように伝えてくれる。
ストーリーのあるアニメ、ゲームと違い、どちらかと言えばバラエティー番組のような構造のコンテンツだと感じる。
Vtuberに限らず、ファンアートを描こうとすれば最初にシチュエーションを考える。
「自分の好きな〇〇というキャラが△△をしているところを見たい。」
公式からは供給されない、自分だけしか出来ない妄想を形にしたい。
二次創作の基本である。
これを考えるとき、Vtuberなら特に「分人主義」を思い出して欲しいのだ。
例えばウマ娘やブルーアーカイブならあんまり考える必要がない。
ゲームの大半がキャラクターが自分に向ける分人で構成されていて、
普通にプレイすれば自分に対する分人がどういったものか理解出来る。
基本的に自分に対する分人が最も人気があり、素直に描くだけで共感されることが多い。
だが、Vtuberはそれとは違う。
一般的なアニメ・ゲームと違い、もっと詳細に分人を考える必要がある。
おまけにファンアートとして人気のある分人と、人気のない分人がいる。
1対1の分人(Vtuber・Aさんが彼氏といる想定)の絵なのか、
1対多数の分人(Vtuber・Aさんがライブ中)の絵なのか、
1対1の分人(Vtuber・AさんがVtuber・Bさんとコラボ)なのか。
全ての絵で少なくとも表情の表現は違うべきで、
感情によって適切なライティング等の演出も変わってくる。
自分が生活をしていて、生活の中で適切な分人を選ぶことは愛が必要だと思う。
人によって適切に対応を変えるのはすごくめんどくさいもん。
愛ある人間を描く以上、そのくらいは考えてあげるのがリスペクトなんじゃないかな~と、今何の絵を描いているかは明確にしてから描いて欲しいな~~~~と最近感じるのだ。
ちなみにサムネのりおくんの分人は「1対多数でファンに向ける分人」です。
簡単に言えばめっちゃアイドル。