移ろいやすい鴨川に浮かぶ桜の面影。 じっとしていられず下宿先から抜け出し、こうして月明かりの河川敷に一人座る。 心が落ち着かない夜を過ごす日々。 それはきっと、大学生になったという高揚感や、緊張がまだ続いているのかもしれない。 春の夜風に当たればきっと、気持ちが落ち着くかと思った。 だけど、静かに流れる川のせせらぎを聴いていると余計に先輩のことを思う。 「もっとたくさん話をしたい」 「二人でどこか遊びに行きたい」 「もしあの人が今隣にいてくれたらいいのに」 「次のサークルの日が待ち遠しい」 会いたい、会いたい会いたい会いたい会いたい。 考えるだけで胸が張り裂けそうで、居ても立ってもいられなくて、幸せで、苦しくて、 今すぐにでも叫び出したい。毎日毎日毎晩毎晩ずっと想い続けている。 だけど、会うたびに辛い気持ちになるのはどうしてなんだろう。 ** 昨日も夜遅くまで起きていたおかげで、朝の講義には間に合わなかった。 お昼前に起きて、家で適当に食事を済ます。 トーストと牛乳。春の陽気な日差しが差し込むテーブルで、またぼんやりとしながらパンを頬張る。 今日はお昼から大学に行こう。 自転車で片道5分。講義が始まる15分前に家を出れば間に合うだろう。 今日はサークルの日じゃないけど、もしかしたら部室に先輩がいるかもしれない。 身だしなみを整えて、お洒落していこう。 ** 講義室の後ろの方に腰をかける。 自分と同じ新入生が多い教室。 教授が来るまでの間本を読んだり、他の授業の予習に勤しむ者、何やら小難しい議論をしている上級生… 「先輩は今なにしてるのかな」 メモを取りながら教授の話を聞きつつ、思考は上の空。次の授業も同様に過ごしていた。 夕方、部室のある棟へ小走りで向かう。 階段を登って、2階にある部屋。 扉の前で深呼吸…。 「こんにちは~失礼します!」 部屋の奥にある窓際の椅子に腰をかけ、 静かに本を読んでいる先輩がいた。 私の存在に気づくと読みかけの本を閉じ、こちらに目を向けてくれた。 綺麗な髪。整った顔立ち。 春色のお洒落な私服に身を纏った先輩は、 大人の「色気」が漂っていた。 「今日も来てくれたんだね。どう?大学生活には慣れた?」 当たり障りのない返答をしながら、先輩の対角線上の椅子に腰を降ろす。 ずっと会いたかった人が近くにいるのに、思うように言葉が出てこない。 だけど、もっと話したい。一緒にいたい。 思い切って色々と質問してみると、自分と同じ学部であることが分かった。 そこから話が弾み、気づけば窓の外から暗闇に映える外灯の光が見えた。 少しまだ風が冷たい。 自転車を手押しながら正門まで歩く。 帰り際思い切って、先輩の連絡先を聞いた。 家に帰ってからの楽しみが一つ増えた。 ** あれから数週間が過ぎ、先輩と部室以外で会う機会が増えてきた。 お昼ご飯を一緒に学食や、近くの定食屋で食べ、鴨川沿いを散歩。 もうすっかり葉桜になってしまった。 時々遠くを眺め、何か考え事をしている先輩の横顔を見るのが好きだ。 それはまるで、今この瞬間の思い出を忘れないように、記憶の奥底へと情景を刻みつけているようだった。 先輩の目に、私はどのように映っているのだろうか。同じサークルの、後輩? 友達以上だと嬉しい。少なくとも、こうして二人で出掛けられる関係であることに疑いはない。 サークルが終わり、いつものように先輩と二人で部室に残る。 そろそろ帰ろうかという素振りを見せる先輩に、私は意を決して質問する。 「あの…先輩は付き合ってる人とかいますか…?」 「いないよ。」 「先輩…!私と付き合ってください!!」 勢いに任せて、ずっと言いたかった言葉を口にしてしまった。 先輩の顔を見ると、少し驚いたような、困ったような顔をしていた。 「ごめん。」 「私、先輩のことが好きです!!だから、だから…!!」 喉元からうまく言葉が出ない。 諦めきれない。 知らない内に、自分の頬に涙の後が滴る。 私が告白をしたことで、これまでの穏やかな関係は無くなるのだろうか。 消え去りたくなる。目の前の視界がぼやける。 しばらくの間そんな私を静かに見ていた先輩が、どこかに移動するのが涙の奥に見える。 嫌われた…。そう思った時、「ポン」っと 誰かの手が後ろから触れるのを感じた。 「仕方ないなぁ。ほら、笑って?」 私の耳元に届いた優しい先輩の声。 ハッとして顔を上げる。 その瞬間、私は脇腹から来る刺激に笑い声を上げた。 予想していなかった刺激に脳が混乱する。 後ろから先輩に抱きつかれるようにして、 お腹や脇腹、腋の下、首筋をこちょこちょとくすぐられる。 「ひゃぁっ!?ぁぁぁっはははははは!!せんぱっ!!ひゃめ、やめてぇぇぇ!!!」 激しすぎず、優しすぎない感覚によって、 全身の力が入らない。抵抗できなくて、 ただ笑うことしか許されない。 「くすぐったい?付き合うの諦めてくれるまでやめないよ~」 「ひゃだぁぁぁぁいやですぅぅ!!だめぇぇぇ!!くすぐりはぁぁっはははやめてくださぃぃぃ!」 自分がこんなにもくすぐりに弱いとは思わなかった。だけど、先輩を諦めたくない気持ちから、 反射的に反抗的な言葉が出てしまう。 だけど、あまりのくすぐったさに何も考えられなくなってきて、顔は涙や涎でぐしゃぐしゃになってくる。身体的な疲労と恥ずかしさから、私は諦めの意思を言葉にした。 … およそ15分程限界までくすぐられ続けた結果、 私は息も絶え絶えで机の上に突っ伏して呼吸を整えることで精一杯の状態だった。 「どう?元気出た?…ごめんね。付き合うことはできないけど、よかったら友達としてこれからも仲良くしてください」 その言葉を聞いて、これまでの胸苦しさや、先輩への執着心が心のなかで解消された。 私の「好き」という感情は、本当に「恋」と呼べるものであったのだろうか。 分からないけど、これまで私が先輩に抱いていた欲望から、完全に「吹っ切れた」のは確かだと思う。 あの日以降も、お互いにサークル活動には参加している。私は以前よりも、ありのままの自分で先輩と接するようになった。 以前のように先輩と二人で出かける機会は少なくなったけど、その分授業やバイト、趣味などに時間を使えるようになった。 今度バイト代が入ったらカメラを買ってみよう。そして、どこか綺麗な場所へ行きたい。 どこがいいだろう… ちょうどいい季節だし、伏見に行って 「藤の花」を見に行こう。