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くさい話

今回はOCちゃんの世界観やストーリーについて考えるために自分を掘り下げる企画です。

今日は自分の学生生活を振り返りながら考えるという恥ずかしい内容で、エッセイ的な要素が多いと思いますが、生暖かい目で見守ってくれると嬉しいです。

流石に無音では書けないので現在進行形でナイアガラの滝の音を聞きながら畏敬の念に浸り、自分を語りてモードにしています()しばしお待ちを


学園ものにしたいなーというのはちょっと前のブログで書いたと思うのですが、具体的に詰めていく前に自分たちが面白いと感じる状況や環境ってどういうものなんだろう?という別の視点から考えてみようと思います。

まず、学園ものということで、自分の学生時代を振り返ると、中学生の時の放課後は楽しかったなーというのが浮かんできました。科学部のような根っからの文化部でロボットを作ったりしていたのですが、窓を開けるとグランドで運動部が練習してるのが見えたり、吹奏楽部の練習の音が聞こえてきたり、気になってる子が頑張って練習してるのをつい横目で追ってしまったり。たまに、帰り際に目が合って窓の向こうから笑顔で手を振ってくれた日には浮ついた気持ちにもなりました。かと思えばロボットが思ったように動かなかったり、ちょうどいい部品がなくて友達と案を出し合ってみたり、時には先生の目を盗んでバカなことしてふざけた倒したり、帰りに友達の家に寄ったり、どれも楽しかったなーと思います。


ここまで読んで自分語りキツって思った方いると思いますが、ちゃんと後の話につながる予定なのでしばしお付き合いのほどお願いします🙏


地元の公立中で当時、生徒の学力平均は県内で下から2番目ぐらいだったので定期テストでは成績優秀者の上位3人には大体入れてて、部活でも全国大会に何回か行っていた私は、その後、県内1の進学校に1人だけ入れたことで、ますます調子に乗り、無事にその尖りに尖った鼻をへし折られることになったわけです。


というのも、中高一貫校に高校から入ったので、進度が全く違うわけです。中学から居る方は数学だったら、もうIAIIBまである程度終わっていて、高1からその復習や、やり残しをしていく感じだったと思いますが、高校から入った私たち(以降高校組と言います)は1年で詰め込むカリキュラムでした。言わずもがな、見るも無残なほど、置き去りにされました。それでも中学時代に身に着けたプライドだけは高く、なかなか先生や同級生、家族にすら言えず、かといって中学からすでに出来上がっているコミュニティーにずけずけと入っていけるだけの勇気もなく、昼休みに教室で誰と話すわけでもなく黙々とご飯を食べて、一人でいるのを見られると恥ずかしいというプライドに押され、机に伏せて寝たふりをする、そんな高校生活でした。朝は高校組は高1の間、補習があって毎朝6時に家を出ないと間に合わず、土曜日も学校がありました。常に寝不足で、1年生の頃は消しゴムや筆箱をとったりしてちょっかいを出してくるやつもいて、たぶんそいつは遊びのつもりだったんだろうけど、自己嫌悪になっていた私はそれをプラスに受け止める余裕もなく。そんな現状を何とかしたくて当時あこがれていた運動部に入るもおよそ1年で休部。そうこうしていると先生に、ものづくりが得意なので学校行事で使うとあるものの設計をやってほしいと進められ、リーダーになるも、同級生と仲たがいをして絶縁。結果、プロジェクトはうまくいったけれど、苦い思い出になってしまいました。もうすでに傷心していた私はモノづくりと人間関係を切り分けて考える判断能力もなく、一時はモノ作りも嫌いになっていました。何をやってもある程度うまくいっていた中学時代からのギャップで、まだ視野の狭かった私は、人生に対しての希望を失い、一時は自殺がちらつくぐらいにまで追い込まれてしまったのです。どうしてこんな嫌な思いをし続けてまで生きなければならないのかと。当時は私がまだアニメに触れる前でVtuberも今のように一般的だったわけでもなく、相談相手もいなくて、自分なりのはけ口がなかったことが一因だったのかもしれません。ただ、私が幸いだったのは、高2の頃、たまたま席が隣になった人が、塾も一緒で、親友になり、大学も同じだったので共に卒業旅行にいくほどの仲になったことでしょうか。

ほんとうに高校時代で唯一の気の置けない人で、精神的な支えになっていましたね……。


その後、現役受験に失敗し、予備校通いになったのですが、それはほんとに楽しくて。

変な人間関係やこれまでのしがらみがなく、一から比較的丁寧に教えてくれて、ただ勉強に集中する。授業中に質問されて間違うとキレる先生も、変なちょっかいを出してくる人もいない、そこにいる全員が受験に失敗し、ほぼ全員が同じ一年後の試験に向けて再スタートというのが、つらかった日常をいったん全部仕切り直しという感じがして、とても救われたのを覚えています。電車で通うようになったので、社会人や学生、年配の方などが目に入るのですが、そういった日常の風景でさえ新鮮で、やっとあの苦痛から解放されたんだと安堵する日々でした。大学の同期に聞くと予備校時代は怖かったとか、もう戻りたくないとかいう人ばかりなので、感じ方はその人がこれまでどんな環境に属していたかや立場によって変わるわけですね。


ここで、一番最初の「自分たちが面白いと感じる状況や環境ってどういうものなんだろう?」に戻ってみます。

同じ学校というシステムに所属しているのに感じ方がまるで違うのはどうしてか?と自分自身に疑問を投げかけてみます。楽しかった放課後にはどういった要素があって逆はどうだったのかと。おそらくですが、楽しいと思える放課後には、授業という、ほど良い抑圧からの解放、そして好きにトライ&エラーをして創意工夫する喜び、好きな子に時折、声をかけてもらえるギャンブル性と、同朋としての集団への帰属意識、友達の家に行った時の発見、ロボットを作ることや定期テストで上位を狙うゲーム性があったと思います。一方で、高校時代はどうやってこれ攻略したらいいんだよというようなクソゲーを寝不足という縛りプレイで無理やりやらされてる感と言えばよいでしょうか。友達がいないので学校が終わると1人で帰るだけで、集団としての帰属意識も高校から入った自分は希薄でしたし、むしろ先生は繰り上がりでずっと同じ生徒を見ているので中学組には思い入れが強く、それについていけない自分は疎外感さえあったように思います。


最後に予備校時代を考えます。

先生が適度なスピードで授業をしてくれるのでいい感じの難易度のゲーム性があり、生徒も一度受験に失敗した人しかいないことで同朋としての帰属意識が高く、ほぼ全員が同じ一年後を目指すので、主観ですが公平性もあります。そして一番大きかったのはかつての心理的な抑圧からの解放でしょう。これがあったから、私はみんなと違って予備校を楽しめたし、みんなが恐れる未来の不確定性は自分にとっての希望に映ったのだと思います。

そういえば、小6のときもいじめられていたのを思い出しました。もしかしたら、中学に入った時も抑圧からの解放という点で似た心理状態だったのかもしれません。


まとめると私は、知的好奇心を満たす活動、創意工夫して探求するものがあること、適度な難易度のゲーム性、同朋としての集団への帰属意識、時折予測していない嬉しいことが起こるギャンブル性、発見、抑圧からの解放などの要素があれば、楽しめることが分かります。そしてそれまでの抑圧が大きいほど、そこから脱したとき、ほかの人が苦しくて嫌なことも、楽しんでできる見え方の違いが生じることもわかりました。


以上は、いわば作中の登場人物としてどう感じるかという話です。

ここで、また見方を変えてみます。これを読み手の視点で見るとどうでしょうか。


皆さんは、たぶん私がつらかった時の話をした方に興味がわきましたよね?違ってたらごめんなさい。

もしかしたらファンボックスなので私を応援したい方が集まってくださってて、そうでもないかもですが、一般的には、楽しかった思い出話はあーはいはいって感じで終わる人もいますよね?ちなみに人の感情はネガティブなものに引き付けられやすいという研究があるそうで、正常な反応なんだと思います。


そんなわけで、読み手が語り手の追体験をするような場合は、語り手の楽しいと感じる要素を入れると読み手も楽しくなり、逆に第三者視点で見せるような場合は、ネガティブな話題の方が関心をひきやすいということが分かります。前者は人称を一人称にして感情をメインで描写し、後者は三人称にするとかでも差別化できますよね~、たぶん。



今回の考察に何の意味があったかというと、創作に説得力が出たり、もっと面白いものが書けるようになる、とっかかりになったと思います。やはり、自分が面白くないものを面白く書くのはかなり難しいので、何を楽しいと感じるかを明確にすることは特に一次創作に関しては、作風を左右する根幹になる気がしています。また、最近あらゆる創作は技術は違えど、根は感情に訴えかけるものという点で共通していて私たちが人間である以上、この部分は最後までAIのみで再現できない部分として残る気がしています。技術が発展して、ほとんどの人間がそのAIをみて、個性の範疇だよねというようになったとき、それは人間と区別がつかなくなり、ほとんどの職が置き換わっていくんだろうなと思います。

ほんとに何の根拠もなく勝手なイメージですが、数学の漸近線に近づく曲線のようなイメージで人間がずれを感じる精度が高ければ高いほど人間とみなせるまで思考や感情が似るのに時間がかかる的な感じでしょうか。技術革新が起きる頻度が上がっているので正直なところ全く分からないですが。

余談はさておき、そういった意味で自分の感じ方を明確にする作業はAIや他者に模倣されにくいオリジナリティにつながる一歩な気がします。


最後に、今、つらい環境にいる方がこれを読んでくださっているかはわかりませんが、つらかった経験はそこから解放されたとき、必ずいい方向に進む力になってくれると思います。自分なんてという思考になるのは分かります。でも自分がどう感じるかはこれまで自分がどんな環境で、どんな経験をしてきたのか、それに大きく左右されます。たまたま境遇がみんなと違っただけで、だからこそ考え方が違ってくるし、それは唯一無二の財産であるともいえます。だから人と違うことを卑下するんじゃなくて、その考え方を活かしてきっと他の人にできないことができると思います。それを探してみてください。無ければ無くてもかまわないと思います。まずは焦って探すというより好きなことをやってみるとかでいいと思います。そこから派生して色々やっていく中で気づきを得たりすること、意外と多いです。私の場合は大学の友達に布教されてアニメと出会い、途中でVtuberを知り、推しを追ってたら絵描きになっていました。一番最初に見たのは青ブタでしたねー。懐かしい。昔の私からすれば1ミリも想像してなかった人生ですが、生きてたらきっと、いいこともあります。応援しています。


今日はこの辺で


こうして私を支えてくれる皆さんがいて、本当に嬉しいなと思います。

改めて、ありがとうございます。

皆さんにもいいことがありますように。








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