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6畳半の一人暮らしの部屋。
男の服が散らかり、飾り気のない部屋は男部屋そのものだろう。
しかし、部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルのうえにある物体は明らかに男の物ではない。
白く薄いそれは先が薄い灰色に汚れ、ほつれがある。
誰が見てもわかるそれは履き込まれ、破れたニーソックスだった。
◆
喫茶店『ジェイル』。
とあるビルの居並ぶ中の一角にあるよくある喫茶店で、ウェイトレスが可愛らしいメイド服を着ている意外は至って普通の喫茶店に……見える。
モーニングサービスもしている、手入れの行き届いた店内ではコーヒーの香しい香りが漂い、お昼時にはオフィス街からOLさんやサラリーマンがランチをしにくる。
とはいえ、穴場なのでほぼ閑古鳥が鳴いているのだが。
今年社会人になった俺-橘悠斗-もその1人だった。
お昼休みにいい店がないかと探していて見つけた穴場。
ランチタイムでも混雑もなく、店内も落ち着いた雰囲気でリラックスさせてくれる。
カラン。
来客を告げる鐘が店内に心地よく響く。
「いらっしゃいませ!」
明るい元気な声で挨拶してきたのは、ショートカットの黒味がかった茶髪と海色の瞳が特徴的な朱里ちゃんだ。
フルネームは知らない。
通っているうちにそう呼んで下さいね、と教えてくれたのだった。
「悠斗さん1人ですよね?」
「あ、うん」
「じゃ、いつもの席にどうぞー。今日もキープしといたんですよ」
朱里ちゃんは当たり前のように窓際の空席に案内してくれた。
「ありがとう」
俺が来ると思ってわざわざ席を空けておいてくれたのが嬉しくてちょっと心が弾んだ。
でも、今お客さんいないけど?
「ふふ、いつものメニューですか?」
「え、あ、それで」
「は~い、ランチセット1つで~す」
そう言って踵を返してキッチンに向かってしまう朱里ちゃんのエプロンドレスの尻尾が揺れて目が離せなかった。
なんだが、無性に蠱惑的なのだ。
メイド服には魔が宿る、とオタク友達が昔言ってたが、一理ある。
ここのお店に通ってるのは、朱里ちゃん見たさも1分あるからだった。
程なくしてコーヒーと卵サンドを載せたお盆を持って朱里ちゃんが戻ってきた。
「今日はサンドイッチセットです。コーヒーはブラックでよかったですよね?」
そういえばブレンド聞かれなかったよね?
「あ~、うん。それで」
「悠斗さんいつもブラックですもんね。昼からも寝ないように頑張って下さいね」
「いや、朝も寝てないよ? ちょっと眠かったけど」
「あはは! 座り仕事って眠くなりますよね」
そう言いながら暇なのか俺の隣の席にさりげなく座って休憩しだしたぞ。
「楽しい仕事なら目もさせるけどね。あとは身体動かしたりとかする仕事ならね」
「それはわかりますね。仕事でも楽しんでる時は目が覚めますよね! 身体動かしてる時もそうですね。わかります」
そう言ってたけど、キッチンから出てきた時に欠伸してたよね?
「わかりますって、朱里ちゃんは他のバイトとかもしてるの?」
「え? 掛け持ちはしてますよ? まぁ、ここのバイトも楽しいですけど」
マスターのほうをチラッと見て言う当たりがちょっとあざとい。
まぁ、可愛いけど。
「どんなバイトを?」
いつも俺がいる時はこの店にいる気がするけど。
まぁ、ランチタイムはここで夜は違う店とかかな?
「ま~……接客業ですかね?」
間があるのは何故だ?
しかも、めっちゃ幅広いし。
「まだ教えてあげるには仲が深くないから秘密♡で!」
「さり気ない拒絶!?」
「いえいえ、悠斗さんの事は嫌いじゃないですよ? でも、プライバシーとかあるから」
「まぁ、それもそうだな。うん」
と言ってもちょっと傷ついたな~。
気のある女子からの拒絶って結構メンタルに来るのか。
などと落ち込んでると、朱里ちゃんがこっちを見て、
「そんな捨てられた犬みたいな目されたら罪悪感でちゃいますから、これで元気だして下さい」
そう言うとそっと俺以外に誰もいないのを確認した朱里ちゃんは自分のスカートの裾を軽く摘み、ゆっくりと持ち上げたのだ。
このパターンは……。
まさかパンツを!?
「…………」
花の蜜に誘われた蜂の様にフラフラと視線が吸い寄せられてしまう。
白いハイソックスとスカートの間に隠れていた健康的な肌色の太腿が目に入ってきた。
朱里ちゃんの脚って細いけどしなやかで綺麗だな。
などと思いながら、俺はついついその上、まだスカートの裾に隠れた先へと視線を走らせるが……。
「冗談ですよ~。やだな~本気にしちゃいましたか? 悠斗さんって実はムッツリさんでしたか?」
少し呆れた様な小馬鹿にした様な眼差しを向けられ、俺は顔が羞恥で火照った。
「なっ!」
悪戯っぽい笑顔を見て、俺は朱里ちゃんにからかわれていた事に気付かされる。
「朱里ちゃん、年上をからかうもんじゃないよ」
「すいません、でも元気でましたよね」
いや、元気というか凹みは忘れられたけど、これはこれで恥ずかしい。
健全な店で年下のメイドさんのパンチラを期待していたとか、羞恥で死にたい!
顔が熱くなって赤くなったのがわかる俺が恥ずかしくて朱里ちゃんから顔を逸らしていると--。
朱里ちゃんはテーブルに腰をかけて俺を正面に見据えてきた。
小柄な朱里ちゃんに見下ろされるのって違和感があるのに、目をそらせない。
「悠斗さんならパンツ……見せてあげてもいいですけどね?」
「!!」
驚きに目を丸くしてしまう俺に対して、朱里ちゃんはさっきの悪戯っぽい眼差しとは違う色で俺を見下ろしていた。
そう……まるで目を逸らすことを許さない様な強い眼差しで、俺を視界に捉えていた。
俺は全身が金縛りにあっているかの様に朱里ちゃんの視線から逃れることが出来ない。
ドクン、と心無しか心臓の鼓動が高まった様にすら感じられる。
「もし、見たいなら閉店後に来てください。バイトの後に来てくれるなら……色々と特別なことしてあげますよ?」
なんだろう。
特別なことなんて……。
凄くいけない妄想を掻き立てられてしまう。
メイド服でそんなことを言われると、男には堪らないものがある。
「わかりましたか?」
ズイッと顔を近づける朱里ちゃんに俺は気圧されるままに頷いてしまった。
「は、はい」
何故か敬語で。
◆
そのまま俺はどうやって会社に戻って仕事をこなしたのかすら覚えていないままに定時退社を迎え、再び『ジェイル』へと来てしまった。
周辺のビルも居酒屋やバーが開いていて、夜の闇と店の灯りが狭いビルの隙間で混ざり、昼とは別世界の様な妖しい雰囲気に変わる。
最後に見た朱里ちゃんの雰囲気も昼と夜みたいに別物の感じがしたな。
人懐っこい猫の様な中にまったく別の何かが潜んでいる様な。
だが、そのアンバランスさが逆に俺の好奇心を刺激したのだ。
それにあの誘い……。
特別なことってなにをしてくれるんだ!?
昼からモヤモヤとワクワクのせいで仕事も手につかなかったよ!
ドキドキしながら店の方を覗くと店内を掃除していた朱里ちゃんがいた。
俺の姿に気づたのか、こちらを向いて手招きする。
俺はフラフラと招かれて朱里ちゃんの元へ行く。
「あ、本当に来てくれたんですね! ……やっぱり悠斗さんは……」
「?」
「ふふ、なんでもないですよ? すぐに片付けるから外で待っててくれますか? 片付けの邪魔になるので」
「う、うん」
招いておいて酷い言い草なのに、俺は朱里ちゃんの言う通りだと思ってそそくさと外に出ることにした。
そんな俺に背後からニヤニヤと笑っていた朱里ちゃんが呼びかける。
なんだか凄く楽しそうだ。
「暇ならジュースでも買ってきてくれると嬉しいですよ?」
なんか凄い扱いがぞんざいだ。
お客さんじゃないからかな?
まぁ、ただ待ってるのも暇だし、いいか。
「わ、わかった。買ってくるよ」
「私の好きなジュースは?」
朱里ちゃんの問いかけに俺は即答できなかった。
朱里ちゃんの好きなジュース?
あ…………確か雑談した時にそんな話をしたよな。
え~と……。
「えっと……アップルジュースだったよね?」
不安半分に答えた俺に朱里ちゃんはじっと俺の目を見てから、嬉しそうに頷いた。
「…………ふふ、正解です。覚えてくれたんですね。嬉しいです」
よかった。
外しても何か罰があるわけじゃないはずなのに、朱里ちゃんが答えるまでの間に間違ったのか不安で冷や汗が出るかと思った。
「はは……じゃ、買ってくるね」
「ありがとうございます!」
いつもと違う朱里ちゃんの態度や仕草が俺の心に絡みついていく。
◆
「お待たせしました」
「お疲れ様。これ……」
俺はコンビニで買っておいたアップルジュースを手渡した。
「ちゃんとストロー刺しておいてくれたんですね。悠斗さんは気配り上手ですね」
そう言って朱里ちゃんは俺からアップルジュースを受け取ると、嬉しそうに飲む。
「私服の朱里ちゃん初めて見たよ」
「そうでしたか? まぁ、確かに私服で会ったことはないですね。どうですか? 私の私服は可愛いですか?」
ミニスカートの裾を揺らしながら自信満々に言う朱里ちゃんは凄く堂々としてると言うか、これっぽちも否定されるとは思っていない様子だ。
いや、めっちゃ可愛いよ?
オシャレとかともかく素材がいいし。
黒ベースの長袖Tシャツにミニスカート、そしてショートブーツで、白い足を存分に見せつけてくる。
「うん、可愛い」
褒めるセリフが気恥ずかしくて小声になってしまった俺に朱里ちゃんはニンマリと笑っていた。
「え~聞こえませんよ? 私の私服可愛いですよね?」
「う、ん、だから可愛いよ」
「もっと大きな声で言って欲しいです。聞こえないです」
くそー、楽しんでるな!
人が恥ずかしいのを我慢して褒めてみたのに!
なら……。
「え? 普通だけど」
俺はとぼけた顔で否定してみた。
ふっ、どうだ。
俺は勝ったと思って朱里ちゃんの方をチラ見した瞬間ーー。
「…………」
グリィ!
いたぁ!?
朱里ちゃんのブーツの踵が俺の足の甲に食いこんだ!
痛い痛い痛い!
この靴薄いからめっちゃ痛いです!
「え? 聞き違えましたかね? 私のことなんて言いましたか?」
グリ、グリ。
痛い痛い痛いです!
まじで!
抉らないで!
「ご、ごめんなさい! 可愛い! 可愛いです! めっちゃ朱里ちゃんは可愛いです!」
俺は痛みに悶絶しながら、必死に言い直した。
「ですよね? 悠斗さんは正直だからそう言ってくれると思ってました。ありがとうございます」
グリ!
え?
まだ!?
もう言ったよね?
まだ駄目なの!?
グリィイイイン!
ごめんなさいごめんなさい!
もう許してぇええええええええ!!??
涙目訴える俺を尻目に朱里ちゃんは笑顔のまま俺の足を暫く踏み躙るのだった。
◆
「それで……私の私服はどうですか?」
あ、足の甲が痛い。
いや、朱里ちゃんが可愛いのは間違いないんだけど。
と言うか、まだ言わすんですかい。
やっと踏みつけから解放されてのに、またやられそうで怖いんですが。
そんな俺の心を見透かした様に朱里ちゃんはニッコォと笑った。
「可愛いですよね? 正直に言って下さいね?」
正直に言ったやん!
褒めたやん!
恥ずかしいよ!
「あ、うん……似合ってるよ。凄く可愛い!」
「ありがとうございます! 嬉しいです♡」
また朱里ちゃんの顔が近づいて耳元でそっと囁く。
「正直な悠斗さんにはこれからご褒美をあげますね。言っておきますが、特別ですからね?」
うう、そんな近くで囁かなくても……。
甘ったる香りが髪からフワッと香ってきて頭がボーッとなってしまう。
うぅ……なんかずっと朱里ちゃんの掌の上で転がされて遊ばれてる気がする。
でも、怒る気にならないんだよなー。
これも朱里ちゃんの魅力なのだろうか。
と言うか、ご褒美って期待値がめっちゃ上がるんですが!
俺は昼からのモヤモヤがソワソワに変わってしまうのを感じてしまう。
そんな俺を見つめながら朱里ちゃんはクスッと笑うと、
「じゃ、行きますよ? 悠斗さん」
そう言って落ち着かない俺の腕を組んできた。
「は、はい!」
「あは! 年下に敬語って、悠斗さんも可愛いですよ? せっかくですから、今から敬語で話してみましょうか? その方が私、好きですよ」
好きですよ。
う……なんて破壊力のある言葉なのだろうか。
彼女がいない俺には威力のあり過ぎる言葉だ。
朱里ちゃんの提案に俺は素直に従わされてしまう。
「は、はい、朱里……さん?」
「あは! いいですね~。ちょっと気分が良いです。私が偉くなったみたいな? 普段は私が敬語ですからね。まぁ、悠斗さんが年上ですからそれが普通なんですけど。なんだか非日常みたいで背徳感ありません? せっかく悠斗さんが私を敬ってくれて敬語だったら、逆に私が敬語やめてみます? 立場逆転っていいと思いませんか? ねぇ、悠斗?」
自然に朱里ちゃんは俺の事を呼び捨てにした。
ドキッとしてしまう。
年下の女の子に呼び捨てにされるのって……なんだか特別感があるよな?
下に見られてるから……とかじゃないよね?
仲が良くなったからだよね?
「う、うん」
「悠斗もそう思ってくれてたんだ! 嬉しいな~! こういうのも新鮮じゃない?」
朱里は微笑みながら俺の腕にしがみつき、膨らみのある胸を押し当てながら俺と共に夜の街を歩く。
腕を組みながら歩いているが、実質は朱里ちゃんに俺が引っ張られて案内されつつあった。
「えっと、朱里さん、どこに行くんですか?」
「決まってるじゃない。特別な事をしてあげるんだから、ホテルじゃないと。あ、普通のホテルじゃないわよ? 頭にラブがつくホテルだからね♡」
シレッと言われた内容に俺は衝撃を受けた。
いや、付き合ってもない普通の喫茶店のお客と定員の関係だよ?
俺と朱里ちゃんって!
いや、確かにご褒美とか特別な、とかそういう言葉で妄想してたけど、マジですか!?
「え? え?」
「あはは! 凄いキョドるじゃない。悠斗ってもしかして童貞? 彼女いない歴=年齢ちゃん?」
「!?」
恥ずかしい図星をつかれて俺は言葉に詰まった。
いや、確かに童貞ですけど……。
まだ23歳だし!
でも、なんでそれを初対面の朱里さんに言い当てられる!?
俺は顔を赤くしながら動揺してしまう。
そんな俺を見て朱里は嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり図星なんだ~? ふふ、オドオドして可愛い♡ 女の子慣れしてないもんね。私で良ければ相手してあげてもいいわよ?」
「え!? いやいやいやいや、会って間もないんですけど!?」
「そっか~私じゃ嫌なんだ~」
あ、あれ?
なんか急に元気なくなっちゃった?
マジで俺に朱里ちゃん好意があるの?
くそ、某漫画キャラみたいに女の子の好感度がゲージで見れたいいのに!
「嫌じゃないですよ?」
もう俺はタジタジである。
頭ではおバカな事ばかりが浮かんでしまうくらいテンパっている。
「本当!? あ~よかった。私に魅力がないかと思ったじゃない!」
俺が慌ててそう言うと朱里ちゃんは嬉しそうにパァっと微笑んだ。
さっきまでの悲しい雰囲気が嘘の様だ。
……もしかして、俺で遊ばれてるのかな?
年下の女の子に弄ばれるとか……ちょっと屈辱的だけど、なんか今は気にならないな。
と言うか、どうやっても朱里ちゃんの掌のうえだわ。
「悠斗が嫌じゃないなら……ホテルに行っこっか! ふふ、でも年下の私に敬語で喋るのも可愛いね! もっと喋って欲しいかも!」
朱里ちゃんはキラキラした目で俺の顔を横から覗き込んでくる。
なんと言うか逆らえない雰囲気を見せてくる。
う~ん、やっぱり年下とは思えないな。
年上の俺より余裕があり過ぎるというか。
いや、俺が童貞だからか。
明らかに年上と言うか男を扱い慣れている様な感じがある。
「さ、早くいくよ! 悠斗」
「は、はい、朱里さん」
ご機嫌になった朱里ちゃんに引っ張られる犬よろしく俺は朱里ちゃんに誘われるままにラブホテルへ直行するのだった。