「フフ、お気に召しましたか? ちなみに、この飲み物は私の国の男達には大人気なのですよ?」
そう言って微笑むリルの顔には何か企んでいる色がありありと出ている。
「どういう意味ですか?」
聞き返す声が震えているのは自覚していたが、アグニは聞かずにはいられなかった。
「どうぞ、味わってみて下さい。
大丈夫、毒なんか入ってませんから」
言われなくてもわかっている。
ここで毒殺などすれば言い訳がたたない。
間違いなく戦争になるだろうし、メリットがないのだ。
「…………」
アグニは意を決して、口をつけた。
本来なら、こんな謎の汚れた液体など出てきただけでカップを投げ捨てるはずなのに、できなかったのだ。
アグニはカップを凝視しながら、中身を傾ける。
「んっ!」
口に含んだ途端広がる強烈な刺激臭。
舌先にビリリとくる痺れるような苦み、鼻腔を刺激する獣のような悪臭、喉を通るたびに全身に染みる様な熱さ。
それは、まさに悪夢そのもの。
そして、アグニはこの感覚を知っている。
「これはまさか、パンスト……」
アグニは無意識にそう呟いていた。
昨日のは夢ではなかった。
あの臭いと味が結び付き、暗闇で押し付けられたものの感触までもが呼び起こされる。
何か薄々思っていた物体が何故かはっきりとアグニにはわかってしまった。
「あら、ご存じなんですね」
リルが少し驚いたように言った。
いや、わざとだ。
彼女が間違いなく命令したのだ。
「知ってるも何も、私はこの匂いを昨日嗅いだばかりだ!」
アグニは思わず怒鳴ってしまった。
あのような屈辱に加え、このようなものを飲まされるなど、ありえない。
「ああ、そんな乱暴な口調じゃ駄目ですわ」
だが、それを嗜めるリルの声は優しい。
どこまで馬鹿にするのだ。
「あなたは――どこまで辱めれば気が済むんだ!!」
アグニはリルを睨みつけるが、彼女の表情は変わらない。
むしろ楽しそうな顔だった。
「恥ずかしがることありません。
王子もまた私の奴隷になる素質があるのです。この水を飲めたこと、そして、昨日のことを身体も心も理解していたこと。私の匂いが忘れられなかった証拠ですわ。これを嗅げばどんな男だって虜になってしまうんですよ」
リルの心の底を見透かすような澄んだ瞳にアグニの真っ赤な顔が見えた。
途端に、アグニの怒気は霧散して、動揺だけが心に残る。
「アグニは恥ずかしい? アグニのそんな感情はすぐに消えるわ。ただ、アグニは何も考えずに、私の言葉に身を委ねればいいのよ? アグニ、あなたは何も背負わなくていいの……」
リルの手が頬を優しく撫でる。
言葉とは裏腹に優しい手つきで、幼い日に母に撫でられた様な懐かしさがあった。
それに何故か急に眠気まで襲ってきて頭がだるい。
(何も考えない……)
そんな言葉は生まれて初めて言われた、とアグニは思っていた。
生まれてから王として厳しい教育の中、他者に弱味を見せないため、常に考え続けなければならず、その行動には責任が重くのしかかってきたのだ。
圧倒的な抑圧の中で生きてきたアグニにとって、リルの責任を放棄せよという言葉はとても甘美だった。
「アグニはもっと力を抜いて」
リルは名前を必要に呼び、羞恥心から暗示をかけるように心の中へと入り込んでいく。
布に水が染み込むように心へとリルの言葉が入り込んでいく。
(あぁ……やはり、彼女は魔女……)
甘ったる誘惑は抗いがたい。
カップから立ち昇る匂いが思考を見出し、精神の糸が緩やかに解されてしまう。
「私……は……」
「アグニはもう私に抗えない。そんな必要もないの。アグニはもう私の人形なの」
いつの間にか椅子から立ち上がって側まで来ていたリルが耳元で囁きかける。
吐息を耳に吹きかけられた瞬間、アグニは全身を電流が駆け抜けた様な衝撃に襲われる。
くすぐったく、こんな距離で無防備な様を晒してしまっている。
あぁ、恥ずかしく、なのに……。
ドクン!
身体の中心に血流が集まっていくのがわかる。
「はぁ……はぁ……」
吐息は荒く、眠気と抗うアグニだが、それももう限界だった。
耐え難い屈辱は媚薬によって興奮へと変えられ、甘い誘惑はアグニの精神に過度の思考負荷を与え、疲労によって意識は忽ち限界を迎える。
「う……あ……く……」
必死に歯を食い縛り意識を保とうとしたアグニだが、その力すら入らず、全身の糸が切れたかのようにガクリ、と意識を失うのだった。
意識を失い、寝息をたてるアグニから離れたリルは楽しげに笑い、宣言したのだった。
「さぁ、楽しい遊戯を始めましょう?」