NokiMo
テレみ。
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ゲームクリア。

VTuberにとってのゲームクリア (ゴール) とは何だろう。

また、ゴールした先には何があって、どうするべきなのだろうと考える。


5周年記念、それは本当に綺麗に終わったかのように感じた。

普段の同接が平均10人なのに対して、200何十人のオーディエンス。


最近の配信ではまた10人前後に戻っていることから、儚い夢だったようにも感じる。

私自身の魅力だけで、一時の爆発力をも感じれば、持続力が無いことも痛感する。


私は今、宙に浮いている。またいつもの低気圧なのかもしれないが、

はたまた、5周年の燃え尽き症候群なのかもしれないが、「熱」があまりにも無い。


そして、そんなことを口にしようものなら、今後に期待されなくなるだろう。

だがあえて、どこにも吐き出すことのできない想いを、文章にしてみたいと思った。



「チャンネル登録者数」というのは、どれだけの人数が、

その人の今後の活動に期待を寄せているかを可視化した数値である、と私は考える。


それで言うと、私は再起して600人になってから、ほとんど数字が上昇していない。

VTuberブームが去ったかと言うとそれは嘘になる。伸びている人はいるから。


まあ1万人のうち、直近でライブ配信を視聴したのは1割もいないと感じるので、

2023年現在、活動に興味のあるアクティブな600人を絞り込めたと言えば正しいか。


人に期待をされるのは難しい。



女子中学生の2人が「幸せだから」という理由で一緒に自殺したという、

衝撃的なニュースがどうしても頭から離れない。


日本人自体も、自殺がやたら多い多いと言われており、調べたところ、

世界の上位には入るほど自殺率は高いらしい。


それはなぜか。私は考えた。「幸せすぎるのではないか?」と。

20代までに得た幸福と、今後の人生を全て天秤にかけた時、前者が勝つのでは?と。


今の時代、情報・娯楽が多すぎる。それを上手く扱える人こそ、生き残るのだろう。

現代で得る1日の情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の1生分らしい。


投資の世界には「損切り」という用語がある。将来的に損をし続けるであろうものを

早めに見極めて、取引をすぐにやめる・撤退するという意味である。


まあ、残されたファンや家族を思うと、人生の損切りなんてできるわけないが。

ただ、これ以降の人生で今以上に幸福になることが果たしてあり得るだろうか?


かといって、VTuberを煌びやかに終わらせよう(引退しよう)とも思わない。

VTuberは第二の自分の姿であり、自己表現をする上で欠かせないものだからだ。



文章がまとまらなくなってきた。一旦整理しよう、私が何を言いたかったのか…。


そうだな…。私は今、文章を書くことで自分自身に眠る深層心理をさらけ出したい。

共感を求めるわけでもなく、私の中で死んでいる自我を解き放ちたい。寂しい。


そんなところかもしれない。


「VTuberやめたいの?」違う。「死にたいの?」違う。

結局、毎日何かしらのイベントを起こしてるのは、孤独から逃げたいが為だ。


だが結局、クリエイターとして生きていくなら、一日の大半は誰とも関わらない。

今、この文章を書いている時間もそうだ。何かに没頭しないと心が死んでいく。


だからこそ何かを生み出すべきだと思うのだが、生み出した先の先を考えてしまい、

結局は物事の終着点・ゴール・死、などまで思考が飛躍してしまう。


自分でいつも言っているじゃないか。過程を楽しめば良いと。

…けれどどの作品も、いずれは過程を終え、完成してしまうのだな。


それが5周年。



結局ね、作品にかけた時間とそれを見てもらう時間が一致しないから病むんよな。


例えば10時間かけたイラストは10秒も見てもらえれば十分。

ただ描いた私としては、10時間褒め殺してほしい。10時間分の誉め言葉が欲しい。


まあ人生なんてそんなもんか。1時間働いた給料はキーホルダー1個と等価だ。

なにかを消費するのは一瞬だが、それを作る人は何百倍もエネルギーを使う。


5周年であんだけチヤホヤされた分、普段もされて~~~っていうわがままやな。



生きてて良いこと?あるやろ!マリオ映画・ワンダーなんかは想像もしなかったし。

任天堂、新作アニメ、色んなYouTuberがこれからも夢を与えてくれると信じます。


私自身も、何かを作る・発信することはできる限り続けたいと思う。



モヤモヤが取れたので、おわり。心配を少しでもかけてたらすまんな!

読んでくれたことへの反応は欲しいので、読んだらいいねくれると嬉しい。


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