「雛祭りの呪い」(5)
Added 2021-03-18 03:00:00 +0000 UTC(5) 「はい。確認をお願いしたいのですが――」 桜木親子が帰って行った後、母親が電話しているのを背中で聞きながら、陽太はぐったりとテーブルに突っ伏した。 「は、恥ずかしかった……」 顔見知りとはいえ、それほど親しいわけでもないご近所さんが相手というだけでも疲れるのに、フォーマル女児服のようなブラウスとジャンパースカート、ツインテールという格好で、女の子のような口調を保たなければならない。 なによりも、今まで頑強だと信じ込んでいた日常の連続性――小学校から中学校、そして高校生と積み上げてきた「現実」が、壁紙を剥がすように剝ぎ取られ、「来年度から幼稚園に通う女の子」という状況に挿げ替えられてしまったことに、果てしない不安と恐怖があった。 また迂闊に何か言ったり、やったりしてしまったことで、さらなる破局が降りかかるかもしれない。 そう考えると余計なことは言えず、精一杯メイちゃんに合わせるように女の子の演技をしてやり過ごさなければならなかったのだ。 「でも……やっぱりオレ、ほんとに幼稚園に通うことになってるのか……」 おっかなびっくり桜木親子との会話でつかんだ内容は、おおむね今まで知りえた状況と合致していた。 (オレの名前は「陽太」じゃなくて「ひな」になってて、メイちゃんのお友達で、来年からメイちゃんと一緒に「しとやか女子幼稚園」に通うことになっている……) (メイちゃんが着てた、あの女子制服を着て……) 大きな丸襟のブラウス。紺色の、ダブルボタンのイートンジャケットに、ふんわり広がる赤系チェックのティアードスカート。 (あんな格好で、幼稚園に通うのか? ご近所さんに見られながらバスを待って、ちっちゃい女の子たちと一緒に乗り込んで、年少組から、お勉強したり、お遊戯したり、お歌を歌ったり――) (いやいや、オレはもう17の、しかも男だぞ? 幼稚園に、女の子として通えるわけがないじゃないか! ぜったい変に思われるに決まってる!) (やっぱりあの書類も、桜木親子も全部狂言で、手の込んだドッキリなんじゃ――) 考えていたところへ、 「ひなちゃん、幼稚園の先生がお電話に出てくれるって。いらっしゃい」 「あ、ああ……」 陽太は立ち上がって、送話口を押さえている母親のもとへと向かうと、受話器を受け取って挨拶する。震える声は、来年からの幼稚園に緊張する女の子のように聞こえたのかもしれない。 「こ、こんにちは。桃瀬、ひなです」 「こんにちは、ひなちゃん。『しとやか幼稚園』の先生で、春川です」 柔らかな女性の声は、彼を安心させるように笑みを含んでいた。 「来年度、ひなちゃんが通うことになっている年少組で、ひなちゃんたちに色々教えてあげることになっているの。よろしくね、ひなちゃん」 「よ、よろしくおねがいします、春川先生」 陽太は喉を鳴らしてつばを飲み込んでから、 「そ、それで、その、ひなは本当に、来年から、しとやか幼稚園に、通えるんですか……?」 「ええ、もちろんよ。ひなちゃんはこの春から、幼稚園の年少組さんになることが決まってるわ」 「そ、そうですか……」 ドッキリの疑いが捨てきれなかった陽太は、念のため、「しとやか幼稚園」に電話してもらい、こうして確認したのだが――ついにその疑いさえも、放棄せざるを得なくなる。 (本当にオレ、幼稚園児に……?) 「ふふっ、幼稚園に上がるのは不安かもしれないけど、大丈夫よ。先生もひなちゃんが楽しく通えるように頑張るし、ひなちゃんがいい子だってわかれば、きっとお友達もたくさんできるからね」 「は、はい、ありがとう、ございます、春川先生……」 電話が終わった後も、しばらくぼうっとしていた陽太だったが――やがていよいよ、4月からの通園が現実味を帯びてきて、ぞっと身震いする。 (ど、どうする……? 幼稚園に通うなんて無理に決まってるし、だいいちこの年から幼稚園をやりなおしてたら、高校生に戻れるころにはいくつになっているやら……) (やっぱりあの、雛飾りを片付ければ――いや、でも、幼稚園に通う状況は変わらないままに、周りの人の認識だけが男子になったら……) いったん崩れた「現実」は、さながら転がる石のようなものだ。無理に動かそうとしても、元の場所に戻るどころか更に落ちてゆく可能性もある。 「うう、どうしてこんなことに……」 「うーん、やっぱりあの雛飾りかしらねぇ」 母親はのほほんと、 「ママのうちに伝わってるものなんだけど、女の子が数えで3つの桃の節句に、飾ることになっているの。だいたい2歳ごろね。逆に言えば、雛飾りを始めて飾る子供は、2歳の女の子ってことになるわ」 「…………」 「つまり……雛飾りを飾ったことで、逆鉄的に『この家にいる子供は2歳の女の子である』ってことになっちゃったのかもしれないわね。名前もひなちゃんになって、来年から幼稚園に通うことになって、お部屋やお洋服、髪形なんかもぜんぶ女の子に――」 「――――」 陽太は絶句する。 それは余りにも馬鹿げた結論だったが――しかしそうとでも考えなければ説明できない現象であった。 これからいったいどうすればいいのか、改めて考えようとするが一向にまとまらず、凍り付いた表情のままただただ固まっている陽太だったが―― 「さて、考えていても仕方ないわね。こうなったら――まずは幼稚園に通う準備のために、通園に必要なものや、制服をそろえに行きましょうか。とりあえずお外に出れば、もっとよく状況が分かると思うわ」 「そ、外……っ!?」 さっそく順応しはじめた母親の言葉に、さらなる羞恥絵図を予感するのだった。 (続く)