「おむつぐみ」(70)
Added 2020-05-11 11:28:45 +0000 UTCそんな面接から五日後――和実はずっと幼稚園指定のベビー服を着て、「おむつ組」にふさわしい赤ちゃん生活を送っている。さらに鏡を見ての「おむつ組の誓い」音読も欠かさず、今ではすっかり暗記しているほどだった。 そして迎えた、今日――母親が運転する車の助手席に乗せられて、和実は人生二度目の幼稚園「入園式」に向かっていた。 「楽しみね、みーたん」 「んっ……」 とうぜん制服一式に、ベビーボンネット、ミトン、ショートソックス、口にはおしゃぶりまで装着している。 まだしも人に見られる危険の少ない車内――とはいえ、「巨大な赤ちゃん」としか言いようのない格好は、外からでも人目を引く。歩道や、隣の車線の車内から、ぎょっとした目を向けられるたびに、和実はぎゅっとおしゃぶりを噛み、 (みーたんは、赤ちゃん……みーたんは、赤ちゃん……) (「おむつ組」の園児として、ちゃんと赤ちゃんになりきらないと、いけないんだから……!) そう、自分に言い聞かせる。 面接での園長先生の話と、「おむつ組の誓い」による自己暗示のおかげか、あるいは単に慣れたせいか、先週の買い物や面接に出かけたときに比べると、ずっと気持ちが楽になっていた。 しかし、その一方で―― (だんだん心まで赤ちゃんになってるみたいで、ちょっと、怖いかも……) 毎日鏡で見ているせいか、「自分の姿」を思い描いたときに真っ先に「おむつ組」としての姿を思い浮かべるに至っていた。心の中の一人称すらも、ごく自然に「みーたん」と言ってしまいそうになる。 (「おむつ組」としての意識を持つのはいいけど、あんまり染まりすぎないようにしないと) (みーたん――じゃなくて、ぼくは本当は、15歳の、高校に通う年の男なんだから――) 少年としての心を保ちたい気持ちと、赤ちゃんになりきらないといけない気持ち。 根が真面目なだけに、彼は心が引き裂かれるような二律背反に苦しめられる――と、 「大丈夫よ、みーたん」 運転席から母親が、優しく話しかけてくる。 「みーたんがいま考えるべきは、今日の入園式のことだけ。たくさんの幼稚園の『お姉ちゃん』たちが、みーたんのために入園式を開いて、歓迎してくれるのよ? そんな優しい『お姉ちゃん』たちに、何をお礼にすればいいか、みーたんなら判るわよね?」 「ん、うんっ……」 和実は小さくうなずくと、強張っていた表情を緩め、ゆっくり笑顔になる。 たったそれだけで、心がぐんと楽になり、 (入園式、楽しみ――) (『お姉ちゃん』たちに、歓迎してもらうんだもん。ちゃんと笑顔で、精いっぱい喜んで、感謝の気持ちを伝えないと――) (……でもやっぱり、恥ずかしいけど) はにかんだような表情のまま、和実は車に揺られ――そしてついに、幼稚園へとたどり着く。 前回と同じように駐車場に車を止め、警備員が詰めているゲートへ。 待っていたのはあの時と同じ、若い男性警備員だった。やや引きつったような笑顔で、それでも和実を「入園する幼稚園児」として対応する。 「ご入園、おめでとうございます」 「あ……ありがとう、ございまちゅ」 和実は緊張しながらも、ミトンをはめた手でおしゃぶりを口から外し、丁寧にあいさつして、学校の敷地内に入っていった。 おしゃぶりを咥え直しながら振り返ると、警備員が笑顔で手を振ってくれた。和実も笑って、幼稚園児がするように大きく手を振って見せる。 「ふふっ、よかったわね、みーたん。お兄ちゃんに出迎えてもらえて」 「うんっ!」 元気よく答える和実。半分は「おむつ組」園児としての演技だったが――気持ちが軽くなったのもまた、事実だった。 そして、ついに。 「陸奥学園附属女子幼稚園 おむつ組 くらいしかずみちゃん 特別入園式」 見えてきた幼稚園の園門に、そう書かれたアーチが掲げられているのを見て、和実の胸がまたドキドキと高鳴ってくる。 (ああ――) (本当に、ぼく――みーたんは、幼稚園に、入園するんだ……!) 門のそばには、保育士の水無瀬貴子と、二人の園児――和実の家の近くに住んでいて、すでに面識のある年少組の少女、永田早苗と神保香織が待ち構えていた。 「あっ、かずみちゃん!」 「やっときたのね!」 早苗と香織は、和実に気付くとすぐに近くにやってきて、 「カズミちゃん、いらっしゃい! うんうん、ますます可愛くなったわね」 「あらあら、カズミちゃんったら、見ないうちに赤ちゃんっぽくなっちゃって。おしゃぶりまでつけるようになっちゃったんだ」 「んぅ……」 「お姉ちゃん」二人の言葉に赤くなる和実。一方で、答えるためにおしゃぶりを外していいものか悩んでいると、 「カオリちゃん、イジワルしないの。カズミちゃんはまだ赤ちゃんなんだからって、センセイもいってたでしょ?」 「はいはい、わかったわよ。それよりも、大切なことを言わなくていいの?」 「タイセツ――あっ、そうだったわね」 早苗と香織は「せーの」で声を揃えて、 「くらいしかずみちゃん。陸奥学園附属幼稚園へのご入園、おめでとうございます!」 (続く)