「おむつぐみ」(69)
Added 2020-05-09 09:39:41 +0000 UTCかくして、和実はミトンの上から強引に鉛筆を握り、ひらがなで「おむつ組の誓い」を書き入れていった。 (か、書きにくい――) (しかも全部、ひらがなだなんて――) 普通に握ればすらすら書ける文字が、この状態では、線一本書くことさえままならない。長い長い時間をかけてようやく書き終えたものの、達成感はなく、ただひたすら徒労感の積み重ねにため息をつくことしかできなかった。 おまけに園長先生にチェックされ、さらに何度か書き直した末―― 「お疲れ様。それじゃあ早速、読み上げてちょうだい」 「う、うん……」 和実は相変わらずミトンに包まれた手でプリントを持って、ようやく完成した「誓い」を読み上げる。 「み、みーたんは、む、むちゅがくえん、ふじょく、じょち、ようちえん、とくべちゅくらしゅ、おむちゅぐみの、くらいち、かじゅみ、でちゅ。 みーたんは、もとは、むちゅがくえん、ふじょくこうこうの、だんち、ちぇいと、でちた……でも、にゅ、にゅうがくしきで、おもらちちたので、ようちえんの、おむちゅぐみに、はいることに、なりまちた。 お、おむちゅぐみに、はいったのは――」 和実はごくりと喉を鳴らす。もともとは「おもらしを治すために幼稚園からやり直すことにしました」と書いたのだが、園長先生に書き直すように言われ、いっそう恥ずかしい内容となっている。 「みーたんが、か、かわいい、おんなのこの、おようふくと、おむちゅと、おもらちが、だいちゅきだから、でちゅ。じゅっと、かわいい、べびーふくをきて、おむちゅをちゅけて、おもたちちて、あかちゃんとちての、しぇいかちゅが、ちたいから、でちゅ。だから、みーたんは、ねんしょうぐみの、おねえちゃんたちより、もっとちたの、おむちゅぐみのえんじとちて、にゅうえんしゅることに、なりまちた――」 (嘘だ、嘘だ――!) (可愛いベビー服も、おむつも、おもらしも、恥ずかしくて仕方ないのに――自分からそれが好きだなんて口にして、しかもそのために「おむつ組」に入園希望したなんて、ぜんぜん本心じゃないのに――) (なのに――こうして紙に書いて、口にすると、本当のことのように錯覚しちゃう――) 刷り込まれそうになる暗示を必死にかき消そうとする和実。 しかしまだ「誓い」は終わらず―― 「しょ、しょれで、みーたんは、おねがいのとおりに、おむちゅぐみに、いれてもらえまちた。これからは、おむちゅぐみに、ふさわちい、りっぱなあかちゃんえんじになれるよう、がんばっていきまちゅ」 (うう、こんなのをおぼえて、暗誦できるようにならなくちゃいけないなんて……) (しかも、毎朝、幼稚園児たちの前で言わされるなんて、おかしくなりそう――!) 羞恥に顔を厚くしながらも、なんとか言い終えて息をついた和実。 だが―― 「いいわよ、和実ちゃん。それじゃあ、続きも読んでちょうだい」 「ちゅ――ちゅじゅき?」 思わぬ言葉に目を丸くして――ようやく気付く。 「しょ、しょういえば、まだ、ぷいんとが……」 「ええ。二枚目以降はテンプレート通りの内容になってますが、自分の名前を入れて読み上げてくださいね」 「は、はい……」 恐る恐る、次のページをめくると―― 「こ、これを、みーたんが……!?」 「ええ。読むだけではなく、きちんと守るための『誓い』です。そのことを頭に入れて、読み上げてくださいね」 「ううう……は、はい、わかり、まちた……」 和実はいよいよ泣きそうになりながらも、その内容を読み上げ―― そして。 「では最後に、入園願にサインを」 「はい……」 「おむつ組の誓い」を読了したところで、和実は情けない声で答えながら、「入園願」にサインをする。 「陸奥学園高等部 倉石和実 上記生徒は、陸奥学園附属女子幼稚園特別クラス『おむつ組』への編入を希望し、今後はその校則、及び『おむつ組の誓い』に従うことに同意する。 令和*年4月**日 陸奥学園附属幼稚園園長 稲村喜久子」 「――ええ、これであなたは正式に、『おむつ組』の園児となりました」 書類を一瞥した後、そう言いながら押印する稲村園長に、 「ああ……」 和実は大きく、嘆息する。 (もうこれで本当に、後戻りはできない……) (ぼくはもう、高校生の倉石和実じゃなくて、幼稚園児――それも「おむつ組」の、みーたんなんだ……) 「ではその証として――改めておしゃぶりと名札を付けて上げますので、ここに出してください」 「は、はい……」 和実は横に置いてあったリュックの中から、今までつけていなかったただ二つの品――大きなリボンがついたおしゃぶりと、ゾウさんの顔の形をした青い名札を取り出す。 そしてそれを取った園長に、 「はい、あーんしてください」 「あ、あーん」 まずはおしゃぶりを、口に咥えさせられる。 「横に回り込んで、こちらにおむつを近づけて」 「んっ……」 肯いて立ち上がり、園長の座るソファの横に回って、おむつの股間を近づける。 園長はゾウさんの名札を、安全ピンでその股間に留めた。まるでその下に生えている少年の証を暗喩するかのような名札の中に入っているのは、彼が高校生だったころの学生証。高校生活への不安と、希望とが入り混じった表情をした自分の顔写真に、和実はまた泣きそうだった。 「――ええ、ええ。『おむつ組』の制服、とてもよく似合っていますよ、倉石くん。高校の制服より、ずっとね」 「う……あ、ありがとう、ございまちゅ……」 賛辞に、和実は情けない声でお礼を言う。「おむつ組」の園児として、「制服が似合う」と言われたら喜ばなければならないのだ。 その答えに、園長は改めて満足げにうなずいて、 「では――本日はこれで、おしまいです。倉石くんの入園届、確かに受理しました。数日中に入園式の案内が届くと思いますので、それまでに『おむつ組の誓い』を暗記しておいて、ご家庭でも、その通りの生活を送ってくださいね」 「はい……」 和実はうなだれるように頭を下げ、園長室を――そして母親とともに幼稚園を後にするのだった。 (続く)