「おむつぐみ」(68)
Added 2020-05-08 11:31:43 +0000 UTC「いいわよ、みーたん。そのまま続けてちょうだい」 「え、えっと――」 和実は先ほど、園長の前でおこなった「自己紹介」を思い出しながら、鏡に映る自分――「おむつ組」の制服を着て、無邪気な笑顔を浮かべている「みーたん」になりきって、 「み、みーたんが、ちゅきな、ものは、かわいい、おようふくでちゅ。こ、この、ちぇいふくも、とっても、りぼんや、ぶるまーのおちりの、ふりふりが、あかちゃんみたいで、とってもかわいくて、だいしゅき、でちゅ」 「その調子よ。おむつと、おもらしは?」 「お――おむつも、たっぷりあててるとふかふかで、とっても、あんちんしまちゅ。おもらちも――がまんしてた、ちっちを、だしゅと、ほっとちて、おまたのぶぶんがあったかくなるのが、きもちいい、でちゅ……」 「自己紹介」を続けるうち、先ほど感じた心の軋みが、いっそう強くなる。 笑顔を浮かべて鏡に映る自分を見つめるだけで、恥ずかしくて仕方ない「おむつ組」の制服を着た自分自身すらも、肯定できるような――口にしたことのすべてが、一つ一つ本心になっていくような、奇妙な感覚。 そうした意識の変容が、いまだ羞恥を消しきれていない心との間に乖離をもたらしているのだった。 (な、なにこれ――ぼく、ほんとに、みーたんになっちゃうみたい……!) 自我が崩壊する恐怖に、和実がぞっと身震いすると、背後から近づいてきた貴子の手が、その肩をそっと抑えて、 「ふふっ、怖がることはないわ。みーたんは『おむつ組』の園児なんだから、心までなりきっちゃって構わないのよ」 「で、でも――みーたん、ほんとは……!」 「大丈夫。それより――」 貴子は脇に置いていたクリップボードを取り上げ、一通りチェックを付けた後、 「これで第二試験も終わりね。じゃ、あらためて園長室に行きましょう。あとは『おむつ組の誓い』を作って、入園願にサインをしたら、今日の『面接』はおしまいよ」 「ほっ……って、お、おむちゅ、ぐみの、ちかい……?」 おしまいと聞いて少し気を緩めたものの、不穏なワードに顔を引きつらせ、 「ちょ、ちょれって、どういう――?」 「ふふっ、それは後のお楽しみ。さ、行きましょ、みーたん」 貴子は答えてくれず、和実は不安を抱えたまま園長室に戻り―― 「『おむつ組の誓い』とは、『おむつ組』の園児の心構え、行動規範であると同時に、それらを自分の意志でおこなうという宣言でもあります」 再び中央のソファで向かい合った稲村園長は、相変わらずの硬い表情と声で、そう説明した。 「いわば校則、園則のようなものですね。『おむつ組』の園児は、毎日これを朝の会で暗誦することになっています。なので倉石くんも、しっかり覚えてくるように」 「は、はい……」 「ですが、内容自体はそんなに難しくはありませんので、安心して大丈夫ですよ。自分の日々の生活を思い出して、振り返ればいいだけですから。……まぁ、ここであれこれ言うよりも、見てもらうのが一番早いですね。これが――」 稲村園長は特にもったいぶることもなく、数枚をホチキスでまとめたプリントをテーブルの上に置くと、鉛筆と消しゴムを添えて和実の前に押し出した。 「『おむつ組の誓い』の雛形です。そこに自分で必要な内容を書き入れて、あなた自身の『おむつ組の誓い』を完成させてくださいね」 「みーたんが、じぶんで……」 和実はそれを取り上げて、「おむつ組の誓い 令和*年度 倉石和実用」と書かれた表の一枚をめくりあげる。 すると、そこには―― 「*自己紹介と、『おむつ組』志望理由* 以下の内容を記入してください。 ・所属学年と、自己紹介 ・元の所属学年と、『おむつ組』編入の経緯 ・『おむつ組』編入の志望理由 ・『おむつ組』生活への意気込み」 「なっ――なに、これ……!?」 各項目の間に空欄が設けられた一枚目に、和実は絶句する。 「ち、ちぼう、りゆうって……みーたん、しゅきでおむちゅぐみに、なったわけじゃ――」 「『誓い』は、そういう形式になっているのよ。元の学年でトイレの失敗をしてしまった、だから幼稚園の『おむつ組』で、赤ちゃんからやり直したい――とね」 「うう、ちょんな……」 「さ、さっそく記入してちょうだい。――そうそう、その前に、これも装着してあげないとね。本当なら昨日、水無瀬先生が渡す予定だったのだけれど」 稲村園長はそう言って、ソファの座席に置いてあったものを取りあげながら、横に控えていた水無瀬貴子を一瞥した。首をすくめて舌を出す彼女に、仕方なさそうにため息をついたのち、ビニールの包みを開けて、テーブルに置く。 それは制服の吊りブルマーとおそろいの、淡い黄色のギンガムチェックの――きんちゃく袋か、ドアノブカバーのような、袋状のモノ。口の部分はフリルになっている。 和実は戸惑い、 「な、なに、これ……?」 「赤ちゃん用のミトンよ。平たく言えば手袋ね。今後はそのミトンも、制服の一部として着用なさい。ほら、はめてあげるから、手を出して」 「は、はい……おねがい、ちまちゅ……」 ここにきてまさかの新しい制服オプションに面食らいながらも、素直に手を出してミトンをはめてもらう和実。サイズはやや小さく、手のひらを軽く曲げないと入りきらないくらいだった。 そしてすぐ、重大なことに気付く。 「って、ちょ、ちょっと、まって……こんなの、おててにはめたら、えんぴちゅ、ちゃんとにぎって、かけないよ……!」 「ええ。少なくとも普通に字を書くのは、とても難しいでしょうね。まして漢字なんて」 「な、なら、どうすれば――」 「簡単なことです」 稲村園長は一拍置いて、真面目な顔でこう言った。 「ミトンの上から握りこむように持って、全てひらがなで、記入してください。幼稚園児のような書き方で、幼稚園児のような文字を――ね」 (続く)